2020.1.12~2020.1.18 今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(担当 三浦勇二)        9:45

〇クワイア練習                礼 拝 後

〇コイノニア                礼 拝 後

今 週 の 集 会

◎祈祷題「浦和教会各団体の活動のため」

〇日曜学校教師研修会(横浜海岸)13日(月・休)10:30~15:45

〇総会資料印刷          15日(水)10:00

〇聖書の学びと祈りの会      16日(木)10:00

歴代誌下18章(担当 三輪地塩) 司会 伊木 美穂子

*総会資料製本・配布           同 上 後

〇聖書の学びと祈りの会      16日(木)14:00

ヘブライ人への手紙8章1節~6節 担当  岡 野 庸 子

 
【牧師予定】

〇聖学院大学講義・礼拝説教   15日(水)

〇中会財務委員会(浦和)    16日(木)

〇中会常置委員会(柏木)    17日(金)

2020.1.12 週報掲載の説教

<2019年5月5日の説教から>

マルコによる福音書15章16節-20節

『唾を吐きかけて拝む』
三輪 地塩

宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』で、千尋(ちひろ)という主人公が、湯婆婆(ゆばーば)と呼ばれる魔女の下で働く時、名前から下の部分を取られ、「千」(せん)と呼ばれ、湯婆婆に支配される場面がある。名前を奪われることは、その人自身にある尊厳を失うことになる。よく知られたことだが、アウシュビッツの看守も、ユダヤ人たちを氏名ではなく番号で呼ぶことによって、「そのひと性」を失わせるという手法を取り、ナンバリングされた「物」として扱った。

この聖書の場面でも同様に、「イエス」とは呼ばず「王」と呼ぶ。これは侮辱としての呼び名である。意図的に実名を伏せたのかどうかは分からないが、少なくとも、政治・軍事権力者たちが「全員揃って」、イエスを孤立させ、尊厳を侵害し、孤立させたことは明らかであろう。このような侮辱行為の中に「十字架」がある。

この侮辱をしたローマ兵について、考古学的なことであるが、この時のローマ兵は、本物のローマ人ではなく、サラリーを得て従事している外国人傭兵であった。だが、イタリア半島からエルサレムに多くのローマ人を連れてくるのはコスト的にも無駄なため、現地募集の方法を採っていたと考えられる。この時、ローマ軍を構成していたのは、イスラエルとは仲が悪かったシリア人であった。イスラエルはシリアと何度も戦争を繰り返し(現在に至るまで!)、喧嘩が絶えない関係であった。このような隣国との不和を巧みに利用した傭兵制度は、ユダヤ地方を抑え付けるには十分だった。傭兵たちの暴力はそれゆえに憎悪に満ちたものになっていたかもしれない。マルコによる福音書の読者は、ここで、あらゆる軽蔑と恥辱を受けながらも神に忠実を尽くした「預言者イザヤ」の「苦難の僕」(53章)を思い起こす。

キリスト教の「罪」概念を伝えると、たびたび「キリストを十字架に架けたのは私じゃないのに、なぜ我々は罪人と呼ばれるのか」と質問される。確かに「罪」に飛躍があるように思われるかもしれない。しかし、キリスト教信仰における「罪」とは、「実行犯」に対する罪だけではなく、その罪の計画者となり得る全ての者の罪、すなわち我々が本質的に持っている「内在的罪」の全てを含んでいるのである。

2020.1.5 の礼拝案内

週 報 752020.1.5
すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。    (ルカによる福音書2章49節~50節)

主 日 礼 拝  午前 10:30
<新年合同礼拝・聖餐式>

奏楽  板 垣 玲 子

<神の招き>
招 詞 詩編119編105節

*讃 詠  545b

*罪の告白と赦し 交読詩編5編12節~13節

*讃美歌  74

<神の言葉>
聖 書 申命記16章16節~17節(旧約P.307)

ルカによる福音書2章39節~52節   (新約P.104)

祈 り

*讃美歌  411

説  教   「少年イエス物語」   三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  Ⅱ182

*日本キリスト教会信仰の告白

聖餐式  204

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  541

*派遣と祝福

*後 奏

聖餐補佐 松谷、三浦、安井、増田

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礼拝当番 (今週) 加藤、新畑、武政み、中山莉

(次週) 松谷、岩本、浜田、浜野

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掃除当番 (今週) 松本、浜田、佐藤真、加藤ヨ

板垣、草野

(次週) 薄田、青木、志賀洋、越智

加藤純、平野、白川

☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください

2020.1.5 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

説教 「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」   三 輪 地 塩

イザヤ書40章3節~5節

ルカによる福音書3章1節~20節

讃美歌 546、77、516、532、542      三 輪 志 都

 
日曜学校説教「神が戦ってくださる」   済 陽 高 志

出エジプト記14章19節~31節

 
 
総会資料の締切りは次週12() です。各団体・委員

の担当の方は、資料を書記 増田裕子まで、メール添付で

お送りください。 資料はB5 、フォント10.5 の明朝体、数字はcentury、名前は、全てフルネームでお願いします。

 
◇クリスマスの写真は受付の用紙でお申込みください。

1枚300円です。       (担当     )

 
家庭礼拝暦の年間購読(20204月~20213月)

受付は本日から開始します。各週報ボックスの封筒にて

お願いします。2月2日(日)締切です。

(担当 國見照子)

2019.12.29~2020.1.11今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(担当 休会)          9:45

〇クワイア練習                礼 拝 後

〇コイノニア                礼 拝 後

〇定期小会                 礼 拝 後

今 週 の 集 会

◎祈祷題「中会日曜学校教師研修会のため」(1月13日(月・休))「日曜学校教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会       9日(木)10:00

歴代誌下17章(担当 三輪地塩) 司会 森 﨑 千 恵

〇聖書の学びと祈りの会       9日(木)14:00

使徒言行録19章11節~20節   担当  安 井 国 雄

〇トレインキッズ 餅作り     11日(土)11:00

〇会計監査            11日(土)13:30

 
【牧師予定】

〇聖学院大学講義   8日(水)

2020.1.5 週報掲載の説教

<2019年4月28日の説教から>

マルコによる福音書15章1節-15節

『イエスとバラバ』
三輪 地塩

2020年を新しい思いで迎えようとしている我々に「犯罪者バラバ」の箇所が示された。明けましておめでとうと言えない「バラバ釈放」について聖書は語る。

ピラトは、毎年ユダヤの慣習となっている「過越祭の恩赦」について民衆に「誰を釈放して欲しいかと」問うた。当時牢獄に入っていた者の一人に「バラバ」という男がおり、彼は政治犯であった。群衆は彼を釈放しろと要求する。もっと正確に言うならば「祭司長たちは、群衆を煽動し、イエスではなく「バラバを釈放せよ」と言わせた」のであった。

その結果釈放されたのはバラバであった。ピラトはイエスを群衆に示し、「この男が一体どんな悪事を働いたというのか」と問うも、群衆は取り合わず「イエスを十字架につけろ」「バラバを釈放せよ」と騒ぎ立てるのであった。ピラトは、これ以上群衆に騒がれてしまうと、混乱をきたすと考えたのだろう、祭司長たちの要求通りイエスを鞭で打ち、十字架の準備をするのである。

この箇所で重要なのは、10節「祭司長たちは、ねたみのためにイエスを引き渡した」ということにある。彼らの妬みの原因は「イエスが真実な人物であったから」である。祭司長たちは人一倍権威欲と名誉欲があり、誰からも尊敬されて一目置かれたいという欲を持っていたと思われる。だが自分たちにではなく、イエスに大勢の人たちが従った。イエスが、神の真実を語れば語るほど、人々は励まされ、神の言葉の恵みに気づいていく。しかし反比例するように、祭司長たちの権威は失われ、焦り、妬みを膨らませていくのである。イエスを排除しようとする彼らの企みと、その権力を持つ彼らは、民衆を煽動し、焚きつけ、イエスを悪人に仕立てて行こうとする。民衆はまんまと乗せられてしまう、無思慮な群衆の行動が、「十字架につけろ」「十字架につけろ」と繰り返される言葉で表現されている。心が痛くなる場面である。

我々の国はどうだろうか。我々の住んでいる町はどうだろうか。新しい年を迎え、われわれ民衆が無思慮であることを肝に銘じつつ、しかしキリストの福音と共に、「鳩のような素直さと、蛇のような賢さ」(マタイ10:16)によって、為政者に煽動されることなく、思慮深く歩む一年でありたい。