2020.10.11の週報掲載の説教

<2019年7月14日の説教から>
混じりけのない霊の乳をペトロの手紙一21節~10
                       牧師 三輪地塩

ヨハンナ・シュピリの『アルプスの少女ハイジ』という作品は実に福音的なストーリーである。叔母に連れられてアルプスのアルムに連れられて来たハイジは、山奥で暮らすおじいさんの元に預けられる。ハイジの利発で明るい性格は、自然の中でさらに育まれてく。だが、読み書きなどの教育が行き届かないことを憂慮した叔母は、ハイジを大都市フランクフルトに引っ越しそこの学校に入学させた。読み書き、計算、躾け、マナーをならい、山の暮らしと異なる厳しい生活を送るも、ハイジは馴染めず精神を患って「夢遊病」になる。精神科医の診断は「山の生活に戻ること」であった。

とは言え、大都会の暮らしは、必ずしも悪いことだけではなく、クララという親友とそのおばあさんと出会い、彼女の熱心なキリスト教信仰に出会うという宝を得るのだった。ハイジは聖書の話しを聞き、神の存在と祈る素晴らしさを「大都会で」学ぶのだった。そこでハイジはおばあさんから、パウル・ゲルハルトの讃美歌「朝の恵み」という以下の詩を教えられた。

「黄金の太陽は、喜びと歓喜に満ち、私たちの世界にその輝きと一緒に、心を爽やかにする光を届けてくれます。打ちひしがれていた 私の頭と手足は、再び起こされ、私は元気に明るく、空に顔を向けます」。 パウル・ゲルハルトは、讃美歌107番の作詞家として有名なルター派の牧師である。この詩で重要なのは「打ちひしがれていた 私の頭と手足は、再び起こされ、私は元気に明るく、空に顔を向けます」という、「復活」「回復」が語られていることにある。この『アルプスの少女ハイジ』という物語は、読者に「自然vs都会」という二元論的価値観を強要せず、どちらにも良い部分があることを伝える。自然の良さ、都会での出会い、この両面がハイジの霊的な成長を支えたのだった。自然を通して神を知り、聖書を通して神を知る。豊かさを通して神を知り、苦しみを通して神を知る。この『ハイジ』の物語は、人間の全ての出来事が神の深い思慮の中にあることが示される。当該の聖書箇所、2章4節。「この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです」。この言葉には、ハイジが苦しみを経て神の救いに出会ったような、深い神の思慮、すなわち「十字架の救い」に我々の目を向けさせる。