2020.11.22 の週報掲載の説教

<2019年8月25日の説教から>

『憐れみ深く謙虚になりなさい』
ペトロの手紙一3章8節~12節

牧師 三輪地塩

 
信仰者にとっての「一致」の意味が語られる。「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」とあるように。「心を一つにすること」「一致すること」が求められている。

これまでキリスト教会の長い歴史は、「一致」によって、分裂や分断を生んできた。信仰を一致させる、という行為によって、「教派」が作られ、神学が発展することになったという正の側面があった。違いを指摘し、違いを考え、違いを分析することは礼拝や神学の発展を推進してきた。

だがひとたび、人間社会における一致を考える時、何を持ってそれを、一致とするかが問題になってくる。

この箇所で示されているのは。「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。」という言葉である。「憐れみと、謙虚である」が求められている。あるいは相手に対する「尊敬の念」、と言い換えても良いかもしれない。キリスト者が「謙虚」を求められるのは、「キリストが謙虚であられたから」である。「キリストは十字架の道に至るまで、へりくだり、神に従順であった」(フィリピ2章6節‐8節)。我々は、それに倣って謙虚であることが求められる、というのです。しかしもう一つ我々が謙虚になる理由があります。それは「我々が神の被造物である」からです。

「一致すること」は必ずしも善ではない。全員が同じ思想になることを振りかざすのは、独裁政治であり帝国主義の萌芽となる。人間の違いを無理に一致させることは、何らの正義ではなく、単に歪な人間を作り出す。 だが当該箇所において、一致するとは、赦しとへりくだりによって成り立つと述べられている。謙遜は、復讐を打ち止めにする。謙遜は、人の命を尊ぶ。そこには愛が現れます。戦い、分裂、憎しむ心を止める。詩編34編に「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」(詩編34編)

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