2020.12.20 の週報掲載の説教

<2019年9月22日の説教から>

卑しい利得のためにではなく献身的に

ペトロの手紙一5章1節~7節

牧師 三輪地塩

著者は「思い煩い」(7節)について語る。我々は多くの思い煩いを持つ。健康や仕事、目や耳の衰えや体力の低下、子どもの教育、老後の心配、進学や受験等々に至るまで、我々の生活は思い煩いに満ちている。「思い煩う」行為は、読んで字のごとく「思いを」「煩う」のであって、決して手足を動かして労苦することではない。まだ起こっていない未知・未見の出来事をあれこれと考え、自分の理解可能な枠の中に閉じこもり、「神を抜きにして」悩んでいる状態を「思い煩い」であると聖書は言う。

悩むことは誰にでもある。だが悩んだ時、いつも思い起こしたいのは当該書簡5章7節の言葉である。「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。神が、あなた方の事を心にかけていて下さるからです」。我々はこの言葉を心から信じたいと思う。悩む時、神に全てを任せる信仰を持ちたいのだ。詩編55編17節~18節、23節に次のように書かれている。

「私は神を呼ぶ。主は私を救ってくださる。夕べも朝も、そして昼も、私は悩んでうめく。神は私の声を聞いて下さる。」(17~18節)。「あなたの重荷を主に委ねよ。主はあなたを支えて下さる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らって下さる」(23節)

我々の人生を取り巻く思い煩いや悩みは絶えず起こる、だが神は全てを取り計らって下さる方である。神は、決して無意味なことを行なう方ではない。時には喜びを与え、時には苦しみを与え、その全てが我々の生活にとって意味深いものになる。

そのために「信仰にしっかりと踏みとどまって悪魔に抵抗しなさい」(9節)と著者は言う。信仰を持ち、キリストにしっかりと繋がっていることによって、我々は苦難を乗り越えて「完全な者とされるのです」(10節)と、著者ペトロは語る。

謙遜に、身を低くし、慎みをもって、多くの悩みや誘惑から身を守りたい。悪魔の力に勝利したキリストの十字架を見上げつつ、復活によって死から勝利されたキリストに目を向け、いよいよ信仰を強められて歩みたい。