2021.1.1 浦和教会

新しい年が始まりました。この2021年も、心豊かに、感謝と喜びの日々を歩みたいと願っています。

昨年は未曽有の感染症拡大の打撃を受け、難しい判断を強いられる毎日でした。これまでの考え方や

生き方を変えることを余儀なくされ、心身ともに疲弊してしまう方が多かったことでしょう。

私たちは、このような時だからこそ聖書の言葉に聴きたいと考えます。聖書を読めば、預言者のように

先を見通すことが出来るわけではありません。しかし、先人の知恵の集積がそこにはあります。これまで

人類の歴史は、多くの苦難、恐れ、慄きに見舞われてきましたが、その度ごとに時宜に叶った救いが必ず

与えられてきました。聖書には、人間が困難を乗り越えた知恵の源がどこにあるのかが示されています。

生きるための希望の光が指し示されています。

2021年も浦和教会は皆さんの前に開かれています。どうぞ日曜礼拝にお越しください。

“あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。”

(ヨハネによる福音書16章33節)

日本キリスト教会浦和教会牧師 三輪地塩

2021.1.3 主日礼拝の案内

週 報 76巻 1号 2020.1.3
そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。(ルカによる福音書10章2節)

主 日 礼 拝  2021年1月3日(日) 午前10:30
<新年礼拝・聖餐式>
奏楽  加 藤 純 子

<神の招き>
招 詞 詩編119章105節

*讃 詠  545A

*罪の告白と赦し 交読詩編62編8節~9節

聖書  箴言1章1節~7節(旧約P.990)

日曜学校説教「主を畏れることは知恵の初め」

薄 田 東 正

*讃美歌 312〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 申命記24章14節~15節(旧約P.318)

ルカによる福音書10章1節~12節

(新約P.125)

祈 り

*讃美歌 90〔1-2〕

説  教 「弟子の派遣」            三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 529〔1-2〕

聖餐式 Ⅱ179

公 告

*主の祈り

*頌 栄 544

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)安井国雄、済陽高志

(次週)増田裕子

2021.1.3 週報 教会からのお知らせ

◇日本キリスト教会「大信仰問答」を申込まれた方は

お受取りください。代金1,700円(1,600円+送料100円)

(担当 菊地晴子)

クリスマスの写真が出来ました。
受付の申込用紙で、お申込みください。

代金は2枚1組で300円です。見本が受付にあります。

(担当 薄田東正)

【家庭礼拝暦の申込み】
2021年4月~2022年3月分家庭礼拝暦の申込み受付け

を致します。週報ボックスに配布の封筒に年間購読料

2000円を入れ、2月7日(日)までにお申込みください。

(担当 國見照子) 
《対面礼拝についての注意》
1.教会内に入るときには、玄関での手指消毒、マスクの

着用を必ずお願いします。

2.人との会話の際はマスクを着用し、ソーシャルディスタンスをお取りください。

3.聖餐を受ける方は、それぞれ十分に気を付けつつ、聖餐にあずかって下さい。

2021.1.4~1.10 集会案内

      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会   休 会

〇朝カフェ              休 会

〇入門の会              休 会

〇クワイア練習            中 止

〇コイノニア              中 止

〇礼拝堂・1階の消毒・大掃除(有志)    礼 拝 後

  今 週 の 集 会
◎祈祷題 「新しい年の歩みが守られるように」

〇聖書の学びと祈りの会     7日(木)10:00

ヨハネの黙示録21章(担当 三輪地塩)

〇司会 菊 地 晴 子

〇「生と死」の学び       担当 志 賀 洋 子

ボンヘッファー著「共に生きる生活」③P26~P33

〇聖書の学びと祈りの会      7日(木)14:00

使徒言行録21章27節~40章 担当 安 井 国 雄

〇会計監査        9日(土)13:00

次 週 礼 拝
説教 「悔い改めること」      三 輪 地 塩

イザヤ書14章12節~15節

ルカによる福音書10章13節~16節

讃美歌
545B、454(1-2)、74(1-2)、122(1-2)、539

岩 本 道 子

日曜学校説教

「わたしの言葉を心に保て」             済 陽 高 志

箴言4章1節~5節

2021.1.3 の週報掲載の説教

<2019年9月29日の説教から>

身を慎んで目を覚ましていなさい
ペトロの手紙一5章8節~14節

牧師 三輪地塩

人は困難・艱難に見舞われるとき、とかくその苦しみが自分にだけに降りかかった不幸であると考えがちだ。「誰も分かってくれない」「この苦しみをみんなに聞いてもらいたい」と一人で塞ぎ込むことはしばしば起こるだろう。

当該箇所で著者ペトロは、「苦しみの共有」「苦しむ者たちの繋がり」について語っている。「あなた方だけが苦しみ、痛んでいるのではない。今、共に闘っている同労者がいる」と述べ、「ローマ帝国で苦しむ信徒」の声を伝えている。我々は現在、Instagram、Facebook、LINEなど多くのSNSによって世界と繋がる社会に生きている。SNSの素晴らしさは言うまでもない。だが同時に、発信される情報は、個人の裁量に任されている。つまり「人間活動の良い面」が発信されることが多いと言える。自分の不利益、罪の告白、人を傷つけた過去の出来事、迫害され虐げられた生活を赤裸々に発信するよりも、「リア充」(※実生活が充実していることを表す現代用語)を発信する傾向は強いだろう。SNSから発信される有益な諸情報が数多くあったとしても、「人間の心の奥底の痛み」「誰にも相談できない苦しみ」は、「今のところ」デジタル・ネット社会に解決できてはいない。

だが、SNSには苦しんでいる人々の連帯を強める#me tooのような社会運動がある。この視点から考えると、当該箇所はいわば#me too運動さながらである。巨大国家に虐げられ、地域住民から害を受けた、小アジアの片隅で苦しむキリスト者たちの心の叫びを共有し連帯を促している。一人一人では解決できない信仰者たちの痛みの連帯、被迫害者たちのネットワークを、著者ペトロはいわば「ホストサーバー」となって励ましの言葉を与えるのだ。「共に選ばれてバビロンにいる人々」(5章13節)と言われる苦しむ者たちの繋がりの根本が「キリスト」であることを著者は伝え、この手紙を「キリストによる平和」で締めくくる。最後の「平和があるように」の言葉は、ヘブル語では「シャーローム」。シャーロームは「主にある平安」であり、「安全・無事・平々凡々」を意味しない。闘いや苦悩の中にもシャーロームがあり、痛みや迫害の中にもシャーロムは存在する。キリストを信じる仲間たちと共に耐え忍ぶことが出来れば、そこに「シャーローム」が存在する。