2021.4.4 の週報掲載の説教

<2019年12月15日の説教から>

ルカによる福音書1章57節~80節

ザカリアの預言』
牧師 三輪地塩

 
「ヨハネ」という名にしたのは、天使ガブリエルに命じられていたことであった。エリサベトが無事出産し、近隣の肉親友人たちが、ザカリアとエリサベト夫婦のところに集まり、子どもの誕生を喜び合っていた。当時の律法では、出産後、「7日間は汚れている」と考えられいたため、8日目になって男児の場合は「割礼」を施す習わしだった。割礼は、「正式な神の民になること」を意味していた。割礼によって子どもは、生涯にわたる神の祝福の約束を受けると信じられていたためである。

59節「そこに来た人々は、父の名をとってザカリアと名付けようとした」とある。恐らく「ザカリアという名前になるのが順当だろうな」と話し合っていた、ということだろう。

ルカ福音書1章5節では、ザカリアが「アロン家の血筋」の「アビヤ組」という祭司家系にあり、妻のエリサベトもアロン家の血筋の由緒正しき家柄であったと記されている。祭司家系、アビヤ組は、大祭司の務めを24組に分けて制度化させた組の一つのため、大変に名誉ある血筋であった。エリサベトも「アロンの血筋」なので祭司職家庭としては申し分ない家柄だった。この血筋を守っていくザカリアは、もちろん息子にも、代々受け継がれてきた由緒正しい名前を付けるだろうと人々は考えていたのだ。

しかしエリサベトは「ヨハネ」という名を主張した。ザカリア家には「ヨハネ」という名の先祖がいなかったため、皆、驚き、ザカリアに訪ねた。ガブリエルに口を閉ざされていたザカリアは、文字板に「この子の名はヨハネ」と書き、妻と同じ思いであることを明らかにしたのだ。この時、ザカリアの口が開かれ、舌のもつれがほどけた。単に肉体的な問題ではなく、「イスラエルの救済史」に関わる転換を迎えたことを示している。つまり、「これまでの古い祭司制度の終焉と、新しい神の時代の始まり」である。旧約律法こそが「神の言葉」「神の御心の現われ」と理解してきた民であるが、ヨハネ以降から、新しい時、新しい契約時代、すなわち「神の言」としてのイエス・キリスト時代を迎えたことが示されている。この箇所は単なる「命名」逸話ではなく、新たな救いの転換を示すのである。