2021.4.25 主日礼拝の案内

週 報 76巻17号 2021.4.25
「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」 (ルカによる福音書12章56節

主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽  加 藤 純 子

<神の招き>
招 詞 ヨハネによる福音書12章24節

*讃 詠  545A

*罪の告白と赦し 交読詩編96編1節~6節

聖 書 ヨハネによる福音書21章1節~14節

(新約P.211)

日曜学校説教「ティベリアス湖畔で」岩 本 道 子

*讃美歌 465

<神の言葉>
聖 書 ミカ書7章8節~9節    (旧約P.1457)

ルカによる福音書12章49節~59節

(新約P.133)

祈 り           森 﨑 千 恵

*讃美歌 280〔1-2〕

説  教 「今の時を見分ける」     三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 522〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 544

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番    (今週)三浦勇二

(次週)済陽高志

2021.4.25 週報 教会からのお知らせ

2021.4.25 週報 教会からのお知らせ
浦和教会85周年記念説教抄録について
2冊以上必要な場合は、それに応じて任意の金額を募金箱

に入れ、お名前と冊数のご記入をお願いします。

◇各週報ボックスに「東京中会所属神学生支援資金募金」

封筒をお入れしました。現在日本キリスト教会の神学生は

6名ですが、そのうち東京中会の神学生は以下の3名です。どうぞ祈りにお覚え下さり、支援募金をお願いします。

2018年からこの募金を奨学金として支給しています。

東京中会の神学生:安彦晴樹(秋田教会)

武田巌(横浜桐畑教会)、大石啓介(鶴見教会)

「あしなが育英基金」への募金は本日までです。

2021.4.25~5.01 集会案内

2021.4.25~5.01 集会案内
      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会  休 会

〇朝カフェ             休 会

〇入門の会             休 会

〇クワイア練習           中 止

〇コイノニア            中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)     礼 拝 後

〇日曜学校教師会          礼 拝 後

今 週 の 集 会
◎祈祷題 「平和憲法を覚えて」(5月3日)

「日曜学校のため」(5月5日)

〇聖書の学びと祈りの会 4月29日(木・休) 10:00

エズラ記1章(担当  三輪地塩)   司会 板 垣 玲 子

*教会での対面とラインの両方で行います。

次 週 礼 拝
< 聖 餐 式>
説教 「来年は実がなるかもしれない」   三 輪 地 塩

イザヤ書8章5節~8節

ルカによる福音書13章1節~9節

讃美歌

545B、354(1-2)、234A(1-2)、380(1-2)、Ⅱ179、539

三 輪 志 都

日曜学校説教「イエスさまの証人となる」 済 陽 高 志

使徒言行録1章6節~11節

2021.4.25 の週報掲載の説教

NEW! 2021.4.25 の週報掲載の説教
<2019年12月29日の説教から>

ルカによる福音書2章22節~38節

『救いを待ち望む人々』
牧師 三輪地塩

シメオンは「老人と思われる男性」である。彼は「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた」と言われている。これは「祈りの人だった」という意味である。いつも祈りと共にある生活、常に祈りをもって神に応答していた人生であった。

このシメオンが、神殿に詣でて来た幼子イエスに出会う。彼はイエスを腕に抱き、神を讃美し言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、このしもべを安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万人の為に整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」。シメオンは救いの現実性を目の当たりにする。幼子を抱き、それを目で見、待ち望んでいた救いである事を、リアルに感じたのだった。

アンナという女預言者も出てくる。彼女は84歳であった。この当時の寿命からは想像できない長寿である。彼女は、「若いとき嫁いでから7年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ」とある。このような境遇の場合、未亡人としての人生がどれだけ苦難に満ちていたかは想像に難くない。彼女は「預言者だった」とあり、おそらく神殿に従事する預言者と考えられる。彼女は「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」。つまり、彼女の行き着いた生活が「神」と共にある生活だったというのだ。

この二人の老人の出来事について、聖書は何を伝えているのか。老いることで得るものは人それぞれだと思うが、大きく分けて二通りの老い方がある。「積極的に老いること」と「消極的に老いること」の二通りである。シメオンとアンナはどうだったか。エルサレムの神殿で、神の御子に最初に気づいたのは若者でも、青年でもなく、生涯の殆んどを歩み終えた老人であったというのがこの箇所のメッセージである。聖霊に満たされていたのは老人だった。箴言20章29節に「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」とあるように、老齢者にしか成しえない形で、神の計画への参与の仕方があると聖書は言う。それこそが「積極的な老い」なのだ。生産世代ではないかもしれない。だが「霊性に富んだ世代」こそが老齢者である、と聖書は言う。