2021.4.11 主日礼拝の案内

週 報 76巻 15号 2021.4.11
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。」

(ルカによる福音書12章22節)

2021.4.11 主 日 礼 拝  午前10:30
奏楽  岩 本 道 子

<神の招き>
招 詞 ヨハネによる福音書12章24節

*讃 詠  545B

*罪の告白と赦し 交読詩編96編7節~9節

聖 書 ヨハネによる福音書20章11節~18節

(新約P.209)

日曜学校説教「マリアは園の番人だと思って」

薄 田 東 正

*讃美歌 461〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 イザヤ書33章15節~16節(旧約P.1113)

ルカによる福音書12章22節~34節(新約P.132)

祈 り          加 藤 純 子

*讃美歌 514〔1-2〕

説  教 「小さな群れよ、恐れるな」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 284〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 542

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)増田裕子

(次週)三浦勇二

2021.4.11 週報 教会からのお知らせ

2021.4.11 週報 教会からのお知らせ
【神学校オンライン聴講のお知らせ】
科 目:教会史Ⅰ  講 師:芳賀繁浩(豊島北教会牧師)

開講期間:前期 2021年4月~2022年2月まで14回、後記14回

*詳細は1階掲示板をご覧ください。申込みは4月8日まで。

 
【カルヴァン・改革派神学研究所公開リレー講座のご案内

「災禍のうちに『改革された』教会

~その祈り・告白・実践の歴史と現在」

初回2021年6月11日(金) 19:30~21:00

講 師:大石周平(府中中河原教会牧師)

テーマ:スイス宗教改革の発端としての感染症

~ツヴィングリ「ペストの詩」を読む

8月、10月、12月  2022年4月、6月、8月、10月、12月、2月

*申込方法は、QRコードからお申込みください。

Z00mを利用したオンライン講座です。参加ご希望の方は 2日前までにお願いします。

*詳細は1階掲示板をご覧ください。

2021.4.11~4.17 集会案内

  2021.4.11   集 会
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会

〇朝カフェ               休 会

〇入門の会               休 会

〇クワイア練習             中 止

〇コイノニア              中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)   礼 拝 後

今 週 2021.4.11~4.17  の 集 会
◎祈祷題 「新しい任地に赴く教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会 4月15日(木)10:00

歴代誌下35章(担当  三輪地塩)

司会 森 﨑 千 恵

*ラインで行います。

次 週 2021.4.18~4.24  礼 拝
説教 「忠実で賢い管理人」        三 輪 地 塩

民数記15章27節~31節

ルカによる福音書12章35節~48節

讃美歌 546、454、288(1-2)、Ⅱ184(1-2)、543

板 垣 玲 子

日曜学校説教 「イエスとトマス」

ヨハネによる福音書20章24節~29節

三 輪 地 塩

2021.4.11 の週報掲載の説教

<2019年12月22日の説教から>

ルカによる福音書2章1節~21節

 『神には栄光、地に平和』
牧師 三輪地塩

アウグストゥスは勅令を出して人口調査をしたため、ベツレヘム周辺はとても込み合っていた。泊まる宿屋がどこも一杯だったという。「彼らの泊まる場所がなかった」というのは、場所の問題でなく、「宿泊拒否」「泊めてもらえなかった」ということなのかもしれない。だとすれば、「失望の言葉」であり「絶望の言葉」となる。聖書は、ヨセフとマリアの状況を我々に提示することで、キリストが我々の「絶望」や「困窮」と共にいることを伝える。

マリアは馬小屋で出産をしたと考えられている。暖かさではなく寒さがあり、人々からの受け入れではなく拒否があり、温かな布団ではなく一枚の布があり、清潔な産湯ではなく飼い葉桶があったのだ。この全ての状況によって、聖書は我々に、キリスト誕生の意味をつぶさに示す。

この嬰児は、この世に生まれてくるどの子どもとも同じように、弱く、小さく、頼りなく生まれた。母親はこの嬰児が凍えないように、おくるみに包んだ。しかしそれは暖かな布団でも毛布でもない「布切れ」だった。飼い葉桶の中に寝かせられていたことは、この嬰児が帰る場所(故郷)を失っていたことを伝える。この弱く、小さく、頼りない幼子。帰る場所がなく、世(間に見放され、一枚の布で包まれたこの乳飲み子は、小さく頼りなく、帰る場所にも、世間にも見放され、一畳一間の部屋にうずくまる小さな者たちに対しても福音を語るのだ。すなわち、現代に生きる、居場所を失った全ての人々、暗く寒い場所で凍えている人々、心を塞いでいる人々、喪失感・絶望感の中を生きている全ての人々と共に、キリストは生まれたと聖書は語っている。我々が考え得る限りの、貧しさの極みの中に入り込み、如何なる者もこれ以上に低く、弱く、助けなき者となったことがないところにまで来て下さった。イエス・キリストは、我々の困窮の中に来て下さった。

救いはすぐ近くにある、と聖書は言う。救いとは、遠く離れた場所にある、人間の貧しさと苦しさとは無縁の美しさにあるのではなく、我々の苦しみの真っ只中に存在している。神はまさにそこに居られる。日々心を悩ませ、労苦する者たちと共に、主は居られるのだ。それが「インマヌエル」の主である。