2021.9.5 主日礼拝の案内

2021.9.5 主日礼拝の案内
週 報 76 巻 36 号 2021.9.5
イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。(ルカによる福音書18章1節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽 三 輪 志 都

<神の招き>
招 詞 エフエソの信徒への手紙5章14節b

*讃 詠  545A

罪の告白と赦し 交読詩編119編1節~8節

*讃美歌 20〔1-2〕

 
<神の言葉>
聖 書 詩編88編2節~8節    (旧約P.924)

ルカによる福音書18章1節~8節(新約P.143)

祈 り

*讃美歌 249〔1-2〕

説  教 「気を落とさずに絶えず祈る」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 533〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 544

*後 奏

 
礼拝当番(今週)岩本 道子

(次週)三浦 勇二

ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2021.9.5~9.11 週報 集会案内

2021.9.5~9.11 週報 集会案内
      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会  休 会

〇朝カフェ             休 会

〇入門の会             休 会

〇クワイア練習           中 止

〇コイノニア            中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)     礼 拝 後

〇定期小会               礼 拝 後

今 週 の 集 会
◎祈祷題 「礼拝生活の充実のため・

対面礼拝に出席できない人のため」

〇聖書の学びと祈りの会は9月9日まで休会です。

 
次 週 礼 拝
説教 「高ぶる者と、へりくだる者」三 輪 地 塩

イザヤ書49章11節~13節

ルカによる福音書18章9節~14節

讃美歌
545B、312(1-2)、139(1-2)、Ⅱ182 (1-2)、539

板 垣 玲 子

  日曜学校説教 「御名をあがめさせたまえ」

マタイによる福音書6章9節~13節  済 陽 高 志

*日曜学校礼拝は第2主日と第4主日に行います。

2021.9.5 週報 教会からのお知らせ

2021.9.5 週報 教会からのお知らせ
会堂改修工事について
823(月)1ヶ月間の予定で1階トイレ工事中です。
9月5日、12日(日)の主日礼拝の日は、1階のトイレは

使用できませんので、2階のトイレをご利用ください。

 
◇教会の礼拝に出席できない方の献金振込み先のご案内
郵便局 郵便振替口座番号:00170-1-23202

みずほ銀行浦和支店 口座番号:1202548 普通

*どちらも名義は日本キリスト教会 浦和教会です。

*依頼人欄に献金者の氏名・住所のご記入をお忘れなく。

*維持献金、感謝献金、夏季献金、礼拝献金、会堂改修など献金の種類が分かるようにしていただけると幸いです。

 
◇今年は、従来通りタビタの会に献金を捧げることと致し

ます。献金封筒は週報箱に配布いたしました。期間は

9月~11月までです。ご協力宜しくお願い致します。

2021.9.5 の週報掲載の説教

2021.9.5 の週報掲載の説教
<2020年3月29日の説教から>

ルカによる福音書5章27節~32節

『罪人を招く』
牧師 三輪地塩

当時のユダヤ人を神経質にさせる強制的・屈辱的な支払いこそがローマ帝国への納税であった。レビは、税の取り立てを生業としている徴税人であった。税の徴収は、各家庭を歩き回って集めるのではなく、通行税の取り立てであると考えられている。「収税所に座っていた」とあるように、彼は通行人が来るのを座って待っており、そこで余計以上に上乗せした税を取り立てていたのだった。南にエジプト、北に小アジア、ギリシャ、ローマに続くのユダヤ地方は、地政学的に交通の要衝であったため、周辺諸地域の人たちが移動する場合は必ずこのふとどきな「税関」を通らなければならなかった。この嫌われ者の徴税人は、ユダヤ教でも同胞を裏切る「罪人」と定められていた。

このレビが、イエスの求めに応じて立ち上がり、イエスに従う者になった。彼は「何もかも捨てて」従ったのであるが、それは単に財産を放棄したということではなく、自分が歩んでいたそれまでの人生、或いは価値観を清算し、これまでの自分を一旦リセットした、という意味ではないだろうか。「物」「物質」は、使う人の哲学や、倫理、モラルが反映される。財産も同じである。財産が沢山あろうとなかろうと、それは人間の価値を決めるものではない。だが、それを「どのように使うのか」によって、人の生き方は変わってくる。この時のレビは、イエスが共にいなかった時と比べて雲泥の差を生んだと思われる。

なぜレビは、27節のイエスの一言ですぐに従うことができたのだろうか。彼の葛藤について福音書記者は述べていないため、憶測する以外にない。だが、このようなレビの姿は、我々の身近な社会でも起こり得る。例えば、不法薬物や振り込め詐欺、或いはイジメの加害者などが逮捕されたあと「いつか止めなければならなかったことは分かっていた」「いつも罪の意識に苛まれていた」と吐露することが多い。更に「今捕まって良かった」ということを述べる者もいる。このことは、人間は罪意識を持ちながらも、それを捨てる事が出来ない場合が多いという例証であろう。つまり、ここでイエスが語りかけた「私に従いなさい」という呼び掛けの言葉は、レビにとっては悔い改めを促す後押しでもあった。「いつか止めなければならなかった」罪に気付き、イエスと共に歩むことを選ぶ、信仰告白に導く招きであった。