2021.9.12 主日礼拝の案内
週 報 76 巻 37 号 2021.9.12
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカによる福音書18章14節)
主 日 礼 拝 午前10:30
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 エフエソの信徒への手紙5章14節b
*讃 詠 545B
聖 書 マタイによる福音書6章9~13節(新約.9)
日曜学校説教「御名をあがめさせたまえ」
済 陽 高 志
*讃美歌 312〔1-2〕
<神の言葉>
聖 書 レビ記27章30節~34節 (旧約P.209)
ルカによる福音書18章9節~14節(新約P.144)
祈 り 増 田 裕 子
*讃美歌 139〔1-2〕
説 教 「高ぶる者と、へりくだる者」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 Ⅱ182〔1-2〕
公 告
*主の祈り
*頌 栄 539
*後 奏
礼拝当番(今週)三浦 勇二
(次週)森﨑 千恵
ライブ配信当番
(今週)小出 勝
(次週)新畑 信
2021.9.12~9.18 週報 集会案内
2021.9.12~9.18 週報 集会案内
本 日 の 集 会
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「聖書の学びと祈りの会のため」
〇聖書の学びと祈りの会 9月16日(木)10:00
エズラ記7章(担当 三輪地塩) 司会 板 垣 玲 子
※ラインで行います。
次 週 礼 拝
説教 「子供のように神の国を受け入れる」
三 輪 地 塩
イザヤ49章11節~13節
ルカによる福音書18章15節~17節
讃美歌
546、23(1-2)、136(1-2)、138 (1-2)、540
岩 本 道 子
*日曜学校礼拝は第2主日と第4主日に行います。
本 日 の 集 会
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「聖書の学びと祈りの会のため」
〇聖書の学びと祈りの会 9月16日(木)10:00
エズラ記7章(担当 三輪地塩) 司会 板 垣 玲 子
※ラインで行います。
次 週 礼 拝
説教 「子供のように神の国を受け入れる」
三 輪 地 塩
イザヤ49章11節~13節
ルカによる福音書18章15節~17節
讃美歌
546、23(1-2)、136(1-2)、138 (1-2)、540
岩 本 道 子
*日曜学校礼拝は第2主日と第4主日に行います。
2021.9.12 週報 教会からのお知らせ
2021.9.12 週報 教会からのお知らせ
◇会堂改修工事について
*8月23日(月)~1ヶ月間の予定で1階トイレ工事
本日まで、1階のトイレは使用できません。
1階で礼拝する方も2階のトイレをご利用ください。
【タビタの会献金について】
浦和教会では、昨年は献金をいたしませんでしたが、毎年
9月~11月末まで献金のご協力を願いしております。
タビタの会の働きは「教会に仕えた方に仕えよう」という
理念のもとに、引退教職とその配偶者、逝去教職配偶者の方々の生活支援及び病気や怪我のお見舞いと問安、季節ごとの便りやクリスマスメッセージとプレゼントなどを行っております。また、多くの引退教職の先生方は、応援教師と
して様々な教会・伝道所でお働きくださり、教職者の減少を補ってくださっていることを覚え、お祈り下さい。
◇会堂改修工事について
*8月23日(月)~1ヶ月間の予定で1階トイレ工事
本日まで、1階のトイレは使用できません。
1階で礼拝する方も2階のトイレをご利用ください。
【タビタの会献金について】
浦和教会では、昨年は献金をいたしませんでしたが、毎年
9月~11月末まで献金のご協力を願いしております。
タビタの会の働きは「教会に仕えた方に仕えよう」という
理念のもとに、引退教職とその配偶者、逝去教職配偶者の方々の生活支援及び病気や怪我のお見舞いと問安、季節ごとの便りやクリスマスメッセージとプレゼントなどを行っております。また、多くの引退教職の先生方は、応援教師と
して様々な教会・伝道所でお働きくださり、教職者の減少を補ってくださっていることを覚え、お祈り下さい。
2021.9.12 の週報掲載の説教
2021.9.12 の週報掲載の説教
<2020年4月5日の説教から>
ルカによる福音書5章33節~39節
『新しい葡萄酒は、新しい革袋に』
牧師 三輪地塩
現在「宗教的断食」をすることは殆どない。体調維持のためのデトックス効果を期待して「断食道場」に通う人がいるぐらいである。或いは安保闘争や学生紛争でハンガーストライキをした若かりしの時分を懐かしむ人はいるかもしれない。
イエスの時代のファリサイ派たちは、宗教行為として断食をしていた。断食にも種類があり、モーセの律法に定められた「年に一度の7月10日の断食」、「エルサレム滅亡とバビロン捕囚を記念した断食(4、5、7、10月)。ファリサイ派が独自に行なう月曜と木曜の断食である。イエスの考えとは真逆なファリサイ派たちはこのような「厳格な律法遵守主義」を貫く者たちであった。
古来、「宗教」と「断食」は切っても切り離せない関係にあった。仏教、ヒンドゥー教、イスラム教など世界の宗教にも断食はある。だが断食は「行為それ自体」が崇高なものになってしまい、断食の「意味」を失った「形骸化された形式主義」に陥る危険も伴う。それはイエスが最も危惧し、嫌っていた態度でもあった。35節には「しかし花婿が奪い取られる時が来る。その時には彼らは、断食する事になる」とある。イエスは断食自体を否定しているわけでなく、形式的な信仰であってはならない、と言うのである。
断食は、本来苦しく厳しい行為である。だが、その行為が、厳しいものであるがゆえに「個人的な努力」「我慢強さ」に注目が集まりがちだ。そこから派生し、「断食している姿を人々に見せつける優越感」「信仰深さのアピール」にも繋がってしまう。
イザヤ書58章4節以下にこう書かれている。「断食しながらいさかいを起こし、神に反逆する。それが断食の姿であろうか。本当の断食とは、悪の束縛を断ち、軛をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。飢えた人に必要な食事を与え、さまよう貧しい人を招きいれ、裸の人には衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまない事である」。預言者イザヤ(第3イザヤ)を通して明確に語られている。我々は、真の信仰とは何であり、何をすることが神の御心であるのかが問われている。あなた自身の栄光ではなく「神の栄光」なのだ。
<2020年4月5日の説教から>
ルカによる福音書5章33節~39節
『新しい葡萄酒は、新しい革袋に』
牧師 三輪地塩
現在「宗教的断食」をすることは殆どない。体調維持のためのデトックス効果を期待して「断食道場」に通う人がいるぐらいである。或いは安保闘争や学生紛争でハンガーストライキをした若かりしの時分を懐かしむ人はいるかもしれない。
イエスの時代のファリサイ派たちは、宗教行為として断食をしていた。断食にも種類があり、モーセの律法に定められた「年に一度の7月10日の断食」、「エルサレム滅亡とバビロン捕囚を記念した断食(4、5、7、10月)。ファリサイ派が独自に行なう月曜と木曜の断食である。イエスの考えとは真逆なファリサイ派たちはこのような「厳格な律法遵守主義」を貫く者たちであった。
古来、「宗教」と「断食」は切っても切り離せない関係にあった。仏教、ヒンドゥー教、イスラム教など世界の宗教にも断食はある。だが断食は「行為それ自体」が崇高なものになってしまい、断食の「意味」を失った「形骸化された形式主義」に陥る危険も伴う。それはイエスが最も危惧し、嫌っていた態度でもあった。35節には「しかし花婿が奪い取られる時が来る。その時には彼らは、断食する事になる」とある。イエスは断食自体を否定しているわけでなく、形式的な信仰であってはならない、と言うのである。
断食は、本来苦しく厳しい行為である。だが、その行為が、厳しいものであるがゆえに「個人的な努力」「我慢強さ」に注目が集まりがちだ。そこから派生し、「断食している姿を人々に見せつける優越感」「信仰深さのアピール」にも繋がってしまう。
イザヤ書58章4節以下にこう書かれている。「断食しながらいさかいを起こし、神に反逆する。それが断食の姿であろうか。本当の断食とは、悪の束縛を断ち、軛をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。飢えた人に必要な食事を与え、さまよう貧しい人を招きいれ、裸の人には衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまない事である」。預言者イザヤ(第3イザヤ)を通して明確に語られている。我々は、真の信仰とは何であり、何をすることが神の御心であるのかが問われている。あなた自身の栄光ではなく「神の栄光」なのだ。