2021.11.28 の週報掲載の説教

2021.11.28 の週報掲載の説教
<2021年6月21日の説教から>
ルカによる福音書6章46節~49節

『岩の上に土台を置いて』
                  牧師 三輪地塩

我々の生涯には、さながら洪水のような厳しい状況が襲い掛かる。それを「家」に譬えてイエスは語る。ユダヤの気候は日本とは異なり、長い夏と短い冬、つまり雨期と乾期の2つしかない。イスラエルは地中海岸沿いにあるが、砂漠地方の気候に属している。1日の温度差は激しく、時には真昼と真夜中で40℃の差があることも珍しくない。その分、雨の降り方も尋常ではない。年間降雨量はたった500mmであり、日本の約30分の1程度しかない。だがその雨が3月と10月に集中して降るため、すさまじい豪雨となり、数分で川をあふれさせる。最近の日本の豪雨災害を思い起こせばその凄まじさを幾らかでも想起できよう。もし土台がしっかりしてなければ、その氾濫した地域の家は、激流に一気に流されてしまう。このような背景を元にしてイエスは語る。「土台がしっかりした家は、揺り動かす事が出来なかった」「決して崩れない」。この豪雨を知っている聴衆は、イエスの確信ある言葉を力強く受け取ったことだろう。

我々の人生に起こる「洪水」もまた然り。氾濫して押し寄せる困難から免れ得ない。自らの足で立つ事が不可能と感じさせられる苦しみが幾度となく押し寄せる。だがその際にも、キリストを土台にするならば、岩の上に基礎を据えた者は、全てに耐えうる力を得られるとイエスは言う。揺るがない「キリスト」が土台である限り、我々も揺るがないのだ。

主を告白する我々は、日々御言葉に接し、御言葉と共に歩んでいることを、この箇所から再確認させられる。我々の教会では「日本キリスト教会信仰の告白」を制定し、これを告白している。この信仰告白は「暗唱」することが目的ではなく、内容や意味が理解され、信仰者の実生活に生かされるための告白である。信仰告白は「理解に」留まらず、生活の中で生かされる事が大切だ。同時に我々は、その告白内容をいつも吟味することが重要となる。イエス・キリストという基礎の上に固く据えられた岩の上の家ならば、例え洪水が押し寄せても、決して揺り動かされることはない。我々は、我々が基礎とするキリストと真剣に向き合っているか。土台であり基礎であるキリストの言葉に、我々自身が真摯に取り組んでいるか。その自己吟味が問われている。