2022.6.5 の週報掲載の説教

2022.6.5 の週報掲載の説教
<2022年5月15日の説教から>

『信仰によって互いに励まし合う』

ローマの信徒への手紙1章8-15節

牧 師 鈴木美津子

 
「励まし合いたい」という言葉は、「励ましを受けたい」とも訳すことができる。パウロは、「信仰によって、ローマの信徒たちと共に神から励ましを受けたい」、と願っている。要するに、パウロとローマの信徒たちを励ますのは、人ではなく、神であり、主イエスなのである。私たちは励まし合うとき、互いの中に、生きて働いておられる神の御業を目の当たりにして、共に神から励まされる。「励ます」という言葉は、「慰める」とも「力づける」とも訳される。私たちは主日の礼拝に集うことで、互いに与えられている信仰によって、共に励まされ、慰められ、力づけられるのである。

神は、一人一人に「賜物」を与えてくださっている。あなたの「賜物」で、誰かが助けられ、慰められ、励まされ、力を受ける。賜物は、自分のためではなく、ほかの人のために与えられているからである。信仰を持っている者が集まるとき、互いに神から与えられた賜物で励ましを受け合う。これがパウロのいう「霊の賜物」である。彼には、福音を宣べ伝え、福音を説き明かす賜物が与えられている。彼は、福音を豊かに説き明かす賜物で、ローマの信徒たちの力になりたいと記している。しかし、実際には、その奉仕を通して、パウロも豊かに励まされることができるし、また何よりもその励ましを彼自身が受ける必要があると知っていたからである。そうすることで、共に神からの励ましの恵みを受けることができるからである。

その恵みは、今の私たちにも与えられている。神は、その恵みを与えてくださるために、この浦和教会での交わりを私たちに与えてくださっている。コロナ感染拡大によって、いっとき分断されたが、再開後私たちは、その恵みの偉大さを思い知らされたのではないか。私たちは、この与えられた恵みにもっと感謝すべきである。そうすれば、私たちは、神からの慰めと励しと力を受けて、この教会から、周りへ、更にもっと外の世界へとその交わりを広げることができる。そうして、私たちの周りに神の恵みが満ち溢れ続けるのである。