2022.6.12 主日礼拝の案内
週 報77巻24号 2022.6.12
なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 (ローマの信徒への手紙1章21節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 岩 本 道 子
<神の招き>
招 詞 ローマの信徒への手紙12章1節
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編147編8節~11節
*讃美歌 67
<神の言葉>
聖 書
詩編19編2節~7節 (旧約P.850)
2 天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
3 昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
4 話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
5 その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。
そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
6 太陽は、花婿が天蓋から出るように
勇士が喜び勇んで道を走るように
7 天の果てを出で立ち
天の果てを目指して行く。
その熱から隠れうるものはない。
ローマの信徒への手紙1章18節~23節(新約P.274)
18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
祈 り 三 浦 勇 二
*讃美歌 492
説 教 「神の怒り」 鈴木 美津子
<神への応答>
*讃美歌 90
*使徒信条
公 告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄 541
*派遣と祝福
*後 奏
礼拝当番
(今週)増田裕子
(次週)野田昭子
献金当番
(今週)伊木美穂子 鈴木惠子
(次週)薄田東正 青木節子
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
2022.6.13~2022.6.19の集会案内
本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇 礼拝堂・1階の清掃(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「ウクライナに平和がもたらされるように」
〇聖書の学びと祈りの会 6月16日(木)10:00
ヨブ記11章(担当 鈴木 美津子) 司会 森 﨑 千 恵
※対面とラインの両方で行います。
次 週 礼 拝
説教 「罪は留まるところを知らない」 鈴 木 美津子
イザヤ書57章1節~4節
ローマの信徒への手紙1章24節~32節
讃美歌、 545B、70、86、252、542 板 垣 玲 子
日曜学校説教「宣教旅行への派遣」 松 谷 信 司
使徒言行録13章1節~3節
2022.6.12 週報 教会からのお知らせ
<礼拝前の心得>
礼拝前、会堂に入りましたら、私語は慎み、静粛にお願い
します。礼拝開始5分前までには、会堂にお入りください。
◇浦和教会案内が新しくなりました。受付にありますので、どうぞ
ご自由にお持ちくださり、伝道用にご利用下さい。
◇暑くなりましたので、熱中症予防のため、冷たい水をご用意致し
ました。礼拝前、礼拝後、お帰り前にどうぞお飲みください。
◇次週6月19日(日)礼拝後、避難訓練を致します。皆様ご参加宜しくお願いします。体調の悪い方はご無理の無いように。
*避難訓練後、1階、2階物置の片づけを行います。
お手伝いいただける方は、どうぞ宜しくお願いいたします。
【東京中会信徒のつどい】*玄関入り口に掲示しています。
日時・会場:8月11日(木・休)10:00~15:15 柏木教会
主題:「讃美」 指導:高浪晋一(日本讃美歌学会運営委員)
講師:小林宏和(世田谷教会牧師) *受付に申込書があります。
2022.6.12 の週報掲載の説教
<2022年5月22日の説教から>
『キリスト者の責任』
ローマの信徒への手紙1章13節~15節
牧 師 鈴木美津子
「あなたには、借金がある」、といきなり言われたら、あなたはどうするだろうか。パウロは、この手紙の中で、自分には「果たすべき責任がある」、と言っている。実は、この「責任」という言葉が、大切で、これはもともと金銭上の負債、つまり借金をあらわす言葉であった。でも、あなたは、「これはパウロ自身の問題で、私には関係ない」と思うかもしれない。しかし、あなたがキリスト者であれば、それは大きな間違いである。あなたにも、借金がある、それも神様に対してあるのだ。
マタイ福音書18章21節以下には、主イエスの語る「仲間を許さない家来のたとえ」の中に「一万タラントンの借金をしている家来」が登場する。一タラントンは六千デナリオン。その当時の労働者の二十万年分の賃金である。つまり、一生かかっても決して返す事の出来ない借金である。ところが、この家来の債権者である王は、この家来を憐れに思って、その借金をすべて免除したのである。猶予ではなく、帳消し、もう返さなくてよい、ということである。そんなこと有り得ないと思うかもしれない。しかし、これこそ神様が主イエス・キリストの十字架によって、私たちに与えて下さった罪の赦しの恵み、救いである。
ところが、パウロはこれには続きがあるという。それが「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任」(14)がある、ということだ。全ての罪が赦され、全ての罪が帳消しにされたのと引き換えに、パウロに与えられた負債は「福音宣教」であった。そして、キリスト者である以上、私たちも同じである。私たちも罪を帳消しにされた時、福音宣教が新しい負債として与えられている。福音宣教に仕える、これが私たちの負債である。罪の負債が支払う報いは死であったが、福音宣教という負債によって約束される報いは永遠の命である。
今日、わたしたちが覚えたいことは、わたしたちも「すべての人に果たすべき責任がある」と表現されるほどに、神からの大きな恵みを頂いている者であるということである。私は喜んで、この責任を生涯負って行きたいと思う。皆さんも共にこの責任を負ってくださるだろうか。