2022.7.24 の週報掲載の説教

2022.7.24 の週報掲載の説教

<2022年6月26日説教から>

『あなたは神の憐みを軽んじるのですか?』
ローマの信徒への手紙2章1節~5節

牧師 鈴木 美津子

「弁解の余地はない」。神の民であるユダヤ人たちに向けられた神の怒りと裁きは、より厳しいものであった。彼らは、神から憐れみを受けた民、また受けている民である。 しかし、彼らは、その神の憐れみを勘違いしてしまった。神の憐れみがあまりも大きすぎたために、自分たちは裁かれることがないかのように考えてしまったのである。そうして、彼らは神の豊かな慈愛と寛容と忍耐を軽んじ、他の人を裁くようになった。そのような彼らに、パウロは「あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えている。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現される」(5)、と告げる。

聖書は、常に、自分自身を何よりも先に裁かなければならない、と教えている。自分自身の罪に真剣に向き合うことは、私たちを謙らせ、他の人に対して憐れみ深くさせるからである。それはまた、私たちに罪に対する戦いについての知恵をも備えさせる。そして最も重要なことは、そのことが、クリスチャンの全生涯において悔い改めと真実な信仰をもって生きる、ということを意味しているのである。だからこそ、神が大いなる御恵みによって、私たちを救ってくださったということ、私たちの主イエス・キリストとその十字架上の贖罪の御業によってのみ、私たちは神の御前に立ち得るのだということを、決して忘れてはならない。

神が、主イエスを死者の中から復活させられたことは、すべての人に、神が世を裁かれることを示す確かな証しである。それは、主イエス・キリストの十字架の死と復活が、主の日の裁きの先取りだからである。神の憐れみ、慈しみは、主イエス・キリストを通して、すべての人に現された。だから、ユダヤ人であっても、ギリシア人であっても、誰であっても真に自分の罪を裁く者は救われる。それが福音である。ユダヤ人であっても、ギリシア人であっても、誰であっても真に自分の罪を悔い改める者は救われる。主イエス・キリストの十字架の働きによって、私たちの罪は完全に取り除かれているからである。

十字架に死に引き渡され、三日目に復活させられた神の御子イエス・キリストこそ、来るべき時の神の怒りそして厳しい裁きから私たちを救ってくださるお方である。