2022.7.31 の週報掲載の説教

2022.7.31 の週報掲載の説教
<2022年7月3日説教から>

『神は人を分け隔てしない』
ローマの信徒への手紙2章6節~11節

牧師 鈴木 美津子

聖書は、「神が忍耐強く善を行う者には永遠の命を与え、真理ではなく不義に従う者には怒りと憤りを示される」と一貫して教えている。だから、私たちはそのために、忍耐強く善を行なう努力をしなければならないのか。決してそうではない。なぜなら、聖書における「善」は、神のことであって、「善を行う」とは神の掟に適うことを意味するからである。ユダヤ人はもとより異邦人も、神の掟を行えば命を得ることができ、神の掟に従わないならば滅びを招く。つまり、人間が忍耐強く善を行なったとしても、栄光と誉れと不滅のもの、つまり永遠の命を得ることができる者はだれ一人いないのである。

では、どうすれば、永遠の命の救いを得ることができるのか。キリストの福音を信じ、救いに預かることである。神は、私たち人間を憐れんで、豊かな慈愛と寛容と忍耐を持って、独り子主イエス・キリストを世に遣わされた。主イエスは、私たちが自分の上に蓄え続けた神の怒り、また最後の審判において、私たちの上に下るはずの神の怒りを、すべて代って引き受けて下さったのである。この大いなる神の恵みによって、私たちは悔改めへと導かれた。これが神の救いの御業、これが私たちの救いである。この救いは、私たちが忍耐強く善を行うことによって得られるのではない。私たちが、この救いにあずかるために欠かすことのできないことは、 自分自身の罪をはっきりと知り、その罪に対する神の怒り、裁きを、他人事としてではなく自分の問題として受け止めることである。自分の罪に対する神の怒り、裁きを真正面から見つめることによってこそ、主イエスによる罪の赦し、救いが自分に与えられていることをもはっきりと見ることができるからである。

神はおのおのの行いに従ってお報いになります。すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり」。この御言葉は、十字架の死から復活された主イエスにおいて、すでに実現している。そうだからこそ、主イエスを信じる私たちは、栄光と誉れと不滅のものを求めて忍耐強く善を行うことができるのである。