2022.10.9 週報 教会からのお知らせ

2022.10.9 週報 教会からのお知らせ
◇本日礼拝後、「浦和教会のつどい」にどうぞご参加ください。

サンドイッチ(400円)、お菓子(100円)、コーヒー(100円)

召しあがりながら、楽しい交わりの時をお過ごしください。

 
*10月10日(月)13:30~17:00

「東京中会長老・執事・委員研修会」Zoomにより開催

 
【訃報】

9月29日(木) に北海道中会教師 堀田治郎先生が逝去(98歳)され、

10月4日(火)葬儀式は、帯広教会にて北村一幸旭川教会牧師司式に

より行われました。ご遺族のためにお祈りいたします。

2022.10.9 の週報掲載の説教

2022.10.9 の週報掲載の説教
<2022年8月28日説教から>
『神は唯一だからです』

ローマの信徒への手紙3章29節~31節

牧 師 鈴木美津子

 
では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました(27)」。何らかの誇りがなければ生きていけないのが人間である。プライドと言い換えたほうがわかりやすいだろうか。私たちは、それにしがみつきながら生きている。誰かにプライドを傷つけられた、と言っては怒り、また意気消沈したり、また落ち込んでみたり・・・。それが人間である。

ユダヤ人たちは、自分たちが神の民、選ばれた民であるということを誇り、神に与えられた特権としての律法に、そして選民の象徴である割礼に、しがみついて生きていた。そのように生きてきたユダヤ人たちにとって、「律法によって救われるのではなく、信仰によって救われる」、というパウロの言葉は、彼らの「誇り」要するにプライドを、ズタズタに傷つけたのだ。「信仰によってのみに生きる」ということは、ユダヤ人であっても、異邦人であっても、がっしりとしがみついていた「誇り」が取り去られることである。キリスト教信仰に一歩足を踏み入れたならば、学歴、経歴、職業、経済的な豊かさ、知識の深さ、人柄の良さ、行いの豊かさなどなどを誇ることが、取り去られるということである。ところが信仰生活が始まっても、誇りがなければ生きていけないという人間の性は、なかなか死なないのが現実である。それでもパウロは、「誇りは取り去られた」、と言う。では、一切の誇りが取り去られた私たちは、どのように生きていくのか。パウロは、「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう(コリント二12:9)」と語る。信仰者の生きる力の源は、主イエスの十字架にある。あらゆる誇りを取り去られて、ただ主イエスの十字架から力をいただき、自分の弱さを誇る者になることである。キリスト者が誇るとすれば、自らの弱さである。誇りなど何もない、まったくない、それが主イエスを信じる者の生き方、それが真に信仰に生きるということだからである。

唯一の神が備えられた救いの道は、イエス・キリストを信じることによって義とされることのみ。その神の御前に私たちは唯一誇れること、それは神が私たちを正しい者とするために、愛する御子を十字架の死へと引き渡してくださったことのみである。

 
*先週8月28日説教としましたが、9月4日説教の誤りでした。

掲載が前後してしまいましたことをお詫びいたします。

2022.10.2 主日礼拝の録画映像

2022.10.2 主日礼拝の録画映像

主 日 礼 拝   2022.10.2  午前 10:30
      スマホおよびPADでも視聴できます!
YouTube
 
URL;    https://youtu.be/Ourr45i0XAs
浦和教会 礼拝ホール上記,下線の部分をクリックしてください。
YouTubeが立ち上がります。
      スマホおよびPADでも視聴できます!
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2022.10.2 主日礼拝の案内
わたしたちは知っているのです。

苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

希望はわたしたちを欺くことがありません。

(ローマの信徒への手紙5章3節b~5節a)

週 報 77巻 40号 2022.10.2
主 日 礼 拝   午前 10:30
< 聖 餐 式 >
奏楽 板 垣 玲 子

<神の招き>
招 詞   エフエソの信徒への手紙5章14節b
14  明らかにされるものはみな、光となるのです。
それで、こう言われています。
 
*讃 詠   545A

*罪の告白と赦し 交読詩編1編1節~6節
*讃美歌   15(1-2)

 
<神の言葉>
聖 書
詩編34編16節~23節     (旧約P.865)
16  主は、従う人に目を注ぎ
助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
17  主は悪を行う者に御顔を向け
その名の記念を地上から絶たれる。
18  主は助けを求める人の叫びを聞き
苦難から常に彼らを助け出される。
19  主は打ち砕かれた心に近くいまし
悔いる霊を救ってくださる。
20  主に従う人には災いが重なるが
主はそのすべてから救い出し
21  骨の一本も損なわれることのないように
彼を守ってくださる。
22  主に逆らう者は災いに遭えば命を失い
主に従う人を憎む者は罪に定められる。
23  主はその僕の魂を贖ってくださる。
主を避けどころとする人は
罪に定められることがない。
 
ローマの信徒への手紙5章1節~5節(新約P.279)
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 
このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 
希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
 
祈 り

*讃美歌  183(1-2)

説  教  「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を」
鈴木 美津子

 
<神への応答>
*讃美歌  294(1-2)

*日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。 神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。 旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。 教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。 古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。 わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

 
聖餐式  205

公 告

*献金感謝

*主の祈り
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
 
*頌 栄  544

*派遣と祝福

*後 奏

 
聖餐補佐 伊木、増田、森﨑、安井、松谷

 
☆讃美歌は、1節、2節のみとします。

 
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今こそ私たちの祈りを結集させ、

主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。

主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に *******************************************************