Happy New Year ! 2023.1.1 の週報掲載の説教

Happy New Year   2023.1.1 の週報掲載の説教
<2022年10月30日の説教から>

『アダムとキリスト』
ローマの信徒への手紙5章16節~17節     牧 師 鈴木 美津子
 
「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです(17)」。

聖書でいう「死」とは、命の源である神との交わりを失っている状態のことである。創世記の3章には、善悪の知識の木の実を食べて罪を犯したアダムと女が、神との親しい交わりを失って、エデンの園から追放されたことが記されている。こうして、人は霊的に死んだのである。この神との親しい交わりを失うという霊的な死は、アダムだけではなく、アダムのすべての子孫にも及ぶことになった。人間の目からすれば、生きていても、神の目からすれば、死んでいるということである。

しかし、その私たちに神は、主イエス・キリストを信じる信仰を与えてくださり、主イエス・キリストにあって生きる者、神との親しい交わりに生きる者としてくださった。それは、アダムがエデンの園においてもっていた神との交わり以上に、親しい交わりである。私たちは、御子イエス・キリストの霊を与えられ、神を「アッバ、父よ」と呼ぶ、父と子との最も親しい交わりに生かされているからである。だから、「キリストの恵みの賜物は、アダムによってもたらされたものとは比較できないほど豊かである」というパウロの言葉に、アーメン、と答えることができるのである。

かつて、エデンの園において罪を犯したアダムと女は、神を畏れて園の木の間に身を隠した。けれども、今、私たちは主イエス・キリストにあって、大胆に神の恵みの座に近づくことができるのである。主イエスにあってすべての罪を赦されて、神との親しい交わりに、あずかることができるその場所はどこであるのか。

それは、週ごとに招かれる礼拝である。私たちは、礼拝においてこそ、自分たちが神の恵みと義の賜物とを豊かに受けていることを知ることができる。また、礼拝においてこそ、私たちは一人の主イエス・キリストを通して生かされ支配する者とされていることを知ることができるのである。