2023.2.12 の週報掲載の説教

2023.2.12 の週報掲載の説教
<2023年1月22日の説教から>
『神の恵みの下にある者として』
ローマの信徒への手紙6章12節~14節             牧 師 鈴木美津子

なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです(14)」。

新しく生まれた者は、もはや罪によって支配されることはない。自分が何者なのかを覚えて神に自分自身をささげて歩むならば、決して罪に支配されることはない、ということである。「罪に対して死に、神に対して生きる者となった」ということは、真に神の栄光のために生活を送ることができる者になったということであるからだ。

しかし、キリスト者になったから、罪を全然犯さなくなって完全な者となった、いうことではない。「たとえ罪を犯しても、御前に悔い改めて、もう一度立ち上がって義の道を歩む」者になったということである。キリスト者は罪の支配に対して死んだ。

私たちはキリストを信じて、恵みを受け、罪の支配に死んで、新しく生まれた。これは神の一方的な恵みの業である。私たちは、今は恵みの下にあるので、自分をキリストと共に死んでキリストと共に生きている者だということを認めることができる。なぜなら、キリストにあって生きているということを覚えて、自分を神にささげる人生を送ることができるのは、恵みの下にあるからだ。

しかし、そうであると覚えながらも私たちは罪を犯す。私たちは罪人だから、どうしても、失敗したり罪を犯してしまう。だからこそ、私たちは恵みの下にあるので、自分の罪を悔い改めて、キリストを信じて、なおも自分を神にささげるのである。

私たちは「恵みの下にある」ということの意味を、私たちの日々において常に覚えて、考えなければならない。それは、私たちが繰り返し自分の罪を告白し、それらを悔い改め、神の恵みとその赦しに信頼するということである。神は、毎主日に特別の交わりのために御自身の御前に出るように私たちを招いてくださる。それは、私たちが何者であるか、何を目的にして生きている者なのか、恵みの下にいるとはどのような意味であるのかを思い起こさせられる時である。