2023.4.30 の週報掲載の説教

2023.4.30 の週報掲載の説教
<2023年3月12日の説教から>
『私たちを神の子とする霊』
ローマの信徒への手紙8章12~17節
                  牧 師 鈴木美津子
 
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び畏れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。(14-15)

 
パウロは、ここでは神の霊を、「神の子とする霊」と言う。「神の子とする霊」とは「神の養子とする霊」である。神の御子、独り子はイエス・キリストである。そのイエス・キリストを信じて、洗礼を受けた私たちは、聖霊を与えられて神の養子、神の子とされたのである。パウロが、「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と語るとき、そこでは、「この霊」が「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊であることを教えている。パウロは、ガラテヤ書に「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります(4:6)」と記している。「アッバ」とはユダヤ人の日常語であるアラム語で、幼い子どもが父親に呼びかけるときに使う言葉で「おとうちゃん」とか「パパ」と訳せる言葉である。ユダヤ人たちは、そのような言葉を神に対して用いることはなかった。しかし、主イエスは、「アッバ、父よ」と神に親しく呼びかけ、祈られた。真に神の子であるからだ。パウロは聖霊を、キリストの霊とも言うが、私たちは御子キリストの霊を与えられて、「アッバ、父よ」と呼ぶ者たちとされたのである。「呼ぶ」という言葉は、「叫ぶ」とも訳せる。主イエスは、ゲツセマネにおいて、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように(マルコ14:36)」と叫ぶように祈られた。御子の霊を受けた私たちは、口先だけで「アッバ、父よ」と呼ぶのではなく、心の底から、「アッバ、父よ」と叫ぶ、信頼する心を与えられたのである。神を「アッバ、父よ」と呼び、信頼する心をもって、私たちは祈る者とされた。父と子との交わり、それは最も親密な交わりである。私たちは神の独り子である主イエスの聖霊を受けて、神と最も親しい父と子との交わりに生きる者とされたのである。