2023.9.10 主日礼拝の案内

2023.9.10 主日礼拝の案内
週 報78巻37号 2023.9.10
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。 (コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章13節)

 
主 日 礼 拝     午前 10:30
司式  松 谷 信 司
奏楽  三 輪 志 都
 
<神の招き>
 
招 詞   ヨハネによる福音書13章34節
34  あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 
 
*讃 詠   545A
父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらの御栄えあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
*罪の告白と赦し 交読詩編51編1節~11節
1【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。 
2   ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
4わ  たしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。
わたしは咎のうちに産み落とされ
母がわたしを身ごもったときも
わたしは罪のうちにあったのです。
あなたは秘儀ではなくまことを望み
秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。
10  喜び祝う声を聞かせてください
あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
11  わたしの罪に御顔を向けず
咎をことごとくぬぐってください。
*讃美歌    66(1-3)
聖なる、聖なる、聖なるかな、
三つにいまして 一つなる
神の御名をば  あさまだき
  おきいでてこそ ほめまつれ。
聖なる、聖なる、聖なるかな、
神のみまえに  聖徒らも、
 かむりをすてて ふしおがみ、
 みつかいたちも み名をほむ。
聖なる、聖なる、聖なるかな、
 罪ある目には  見えねども、
みいつくしみの 満ちたれる
  神のさかえぞ  たぐいなき。
アーメン
 
<神の言葉>
 
聖 書  ホセア書6章4節~6節   (旧約P.1409)
4 エフライムよ
わたしはお前をどうしたらよいのか。
ユダよ、お前をどうしたらよいのか。
お前たちの愛は朝の霧
すぐに消えうせる露のようだ。
5 それゆえ、わたしは彼らを
預言者たちによって切り倒し
わたしの口の言葉をもって滅ぼす。
わたしの行う裁きは光のように現れる。
6 わたしが喜ぶのは
愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
焼き尽くす献げ物ではない。
 
 
コリントの信徒への手紙一 13章1節~13節(新約P.317)
1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 
2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 
3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 
5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 
6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 
7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 
9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。 
11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。 
12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。 
13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
 
 
祈 り                 
 
*讃美歌  7(1-3)                       
主のみいつとみさかえとを
こえのかぎりささえて、
またき愛とひくきこころ
みざにそなえひれふす。
ゆだねまつるわが重荷を
主はかわりて負いたもう、
なやみおおき世の旅路も
主のいませばやすけし。
よろこびもて御前にいでん、
まずしきみのささぐる
あいとまこと主はよみして、
みくらちかく召したもう。
アーメン
 
説  教   「もし愛がなければ」五十嵐 喜和
 
 
<神への応答>
 
*讃美歌   461(1-3)
主われを愛す、主は強ければ、
われ弱くとも 恐れはあらじ、
 わが主イエス、わが主イエス、
わが主イエス われをあいす。
わが罪のため さかえをすてて、
天よりくだり 十字架につけり。
わが主イエス、わが主イエス、
わが主イエス われをあいす。
みくにの門を ひらきてわれを
招きたまえり、いさみて昇らん。
わが主イエス、わが主イエス、
わが主イエス われをあいす。
アーメン
 
*使徒信条
 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告  
 
*献金感謝 
 
*主の祈り(座席前そなえつけ) 
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
 
*頌 栄   541
父、み子、みたまの
おおみかみに、
ときわにたえせず
みさかえあれ。
みさかえあれ。
アーメン
*派遣と祝福
 
*後 奏  
 
礼拝当番
(今週)三浦 勇二

(次週)済陽高志

 
献金当番
(今週)増田 裕子 國見 照子

(次週)松谷 信司 白川 典子

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2023.9.10~2023.9.16 の集会案内

2023.9.10~2023.9.16 の集会案内
      集 会
 
〇日曜学校                9:00

〇朝カフェ                 休  会

〇クワイア練習              中  止

〇「讃美歌を歌う会」           礼 拝 後

〇浦和教会建設90周年記念事業委員会    礼 拝 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「全国青年の集い」9月16日~18日

「聖書の学びと祈り会のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会は、9月14日(木)まで休会

 
【牧師予定】
 
*9月4日(月)~13日(水)夏期休暇

 
次 週 礼 拝
説教「今や、救いは近づいている」 
イザヤ書21章11節~12節

ローマの信徒への手紙13章11節~14節

 
讃美歌           板 垣 玲 子
545B、67 (1-3)、172 (1-3)、474 (1-4)、542

日曜学校説教「弟子の召命」  伊木 美穂子

マタイによる福音書4章18節~22節

2023.9.10 週報教会のお知らせ

2023.9.10 週報教会のお知らせ
◇本日の説教は鈴木美津子牧師に代わり、

五十嵐喜和先生が奉仕してくださいました。

 
【全国青年の集いのお知らせ】

2023年9月16日(土)~18日(月)

主題:”DISCOVER ~あらゆる枠を越えて~”

場所:1、2日目札幌国際ユースホステル

2日目札幌北一条教会

3日目札幌琴似教会

 
タビタの会献金のお願い

タビタの会の献金封筒は各教会員の週報ボックスに配布し、また、受付にも置いてあります。期間は9月~11月末です。

 
湘南教会献堂式お知らせ

2023年9月24日(日)15時~ 湘南教会において

JR東海道本線平塚駅西口海岸側 徒歩3分

2023.9.10 の週報掲載の説教

2023.9.10 の週報掲載の説教
<2023年7月9日の説教から>

 
『神の慈しみと厳しさを考えなさい』  牧 師 鈴木 美津子
ローマの信徒への手紙11章7節~24節

 
 
パウロは、ここではオリーブの木の接ぎ木にたとえて、異邦人とユダヤ人のことを語っている。オリーブの木は、旧約において神の民イスラエルを指す(エレミヤ11:16)。だから、オリーブの木に接ぎ木されるとは神の民とされることであり、そこから折り取られるとは、神の民ではなくなることを意味している。オリーブの木に接ぎ木された野生のオリーブの木はキリストを信じた異邦人を、オリーブの木から折り取られた枝は、キリストを信じないユダヤ人を指している。神を知らずに生きていた異邦人が神の民イスラエルの一員とされたのは、神によって、オリーブの木に接ぎ木されるという仕方によってであったのである。そのようにして、異邦人は根から豊かな養分を受けるようになり、神がアブラハムと結ばれた恵みの契約にもあずかるようになったのだ。

しかし、そのことによって一つの問題が生じた。接ぎ木された異邦人が、折り取られた枝であるユダヤ人に対して思い上がるようになってしまったのである。このような思い上がりは、異邦人の救いが神の計画の最終目的であるという誤解から生じた。確かに、ユダヤ人は不信仰のために折り取られた。しかし、同じことは、異邦人においても言える。接ぎ木されるのも、折り取られるのも、どちらも神がなされることであるからだ。そうであれば、接ぎ木された異邦人は自分たちに神の慈しみを、折り取られたユダヤ人に神の厳しさを見るべきではないか。その神の慈しみと厳しさを考えるならば、思い上がることなどできずに、むしろ神を恐れるべきではないか、とパウロは語る。

彼は、23節で、ユダヤ人も不信仰にとどまらないなら再び接ぎ木されると語っている。神の民ではない異邦人にキリストを信じる信仰を与えて、神の民とされた神は、神の民であるイスラエルにキリストを信じさせることができないはずはないからだ。それは異邦人を神の民とするよりもたやすいことなのだ。神のご計画は、ご自分の国、神の国の民として、イスラエル民族だけをお選びになったのではなく、この民族を通して、あらゆる民族の人々が救いの祝福にあずかるようにすることであった。そうだからこそ、キリストにつまずいてしまったイスラエルにも回復と救いの祝福にあずかる希望があるのである。