2023.12.10 主日礼拝の案内

2023.12.10 主日礼拝の案内
週 報79巻50号 2023.12.10
 
神の子イエス・キリストの福音の初め。
(マルコによる福音書1章1節)
 
主 日 礼 拝     午前 10:30
 
<アドベントⅡ>                                                                                                                                            
奏楽  板 垣 玲 子
 
<神の招き>
 
招 詞 エレミヤ書33章14節~16節
14  見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。
15  その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。
彼は公平と正義をもってこの国を治める。
16  その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。
その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。
 
 
讃 詠    (21)28
み栄えあれや、父と子と聖霊に、
はじめも今も とわにかわらず、
み神に アーメン、アーメン。
罪の告白と赦し 詩編143編7節~12節
7  主よ、早く答えてください
わたしの霊は絶え入りそうです。
御顔をわたしに隠さないでください。
わたしはさながら墓穴に下る者です。
8  朝にはどうか、聞かせてください
あなたの慈しみについて。
あなたにわたしは依り頼みます。
行くべき道を教えてください
あなたに、わたしの魂は憧れているのです。
9  主よ、敵からわたしを助け出してください。
御もとにわたしは隠れます。
10  御旨を行うすべを教えてください。
あなたはわたしの神。
恵み深いあなたの霊によって
安らかな地に導いてください。
11  主よ、御名のゆえに、わたしに命を得させ
恵みの御業によって
わたしの魂を災いから引き出してください。
12  あなたの慈しみのゆえに、敵を絶やしてください。
わたしの魂を苦しめる者を
ことごとく滅ぼしてください。
わたしはあなたの僕なのですから。
 
讃美歌   (21)204(1-3)
1.よろこびの日よ、ひかりの日よ、
なぐさめの日よ、いこいの日よ、
よよの聖徒の みまえにふし、
こよなき御名を たたえし日よ。
2.この日の光は やみに照りぬ、
この日わが主は よみがえりぬ、
この日聖霊は 世にくだりぬ。
よろこびみつる このあしたよ。
3.平和の鐘は 今も響き、
めぐみの花は きよくにおい、
いのちの水は わきあふれて、
み民をきよめ、世をうるおす。
 
 
<神の言葉>
 
聖 書
 
イザヤ書40章1節~5節(旧約P.1123)
1 慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
2 エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。
3 呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
5 主の栄光がこうして現れるのを
肉なる者は共に見る。
主の口がこう宣言される。
 
マルコによる福音書1章1節~8節(新約P.61)
1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
2 預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、
ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
祈 り        増 田 裕 子
 
讃美歌  (21)268(1-3)
1.朝日は昇りて 世は照らせり、
暗きに住む人、 来たりあおげ。
知恵に富みたる主 世にいでたり、
この世の悟りも むなしきもの。
2.力にみつる主 世にのぞめり、
かよわき人々 来りたのめ。
やすきをたまう主 世にくだれり、
苦しめる人は 来たり受けよ。
3.なぐさめたまう主 世に生まれぬ、
うれいあるひとは 来たり告げよ。
いのちをたまう主 世に来たれり、
罪に死ぬる身も 来たり生きよ。
 
 
説  教   「良き知らせ」             鈴木 美津子
 
 
<神への応答>
 
讃美歌  (21)241(1-3)
1.来たりたまえ われらの主よ、
主を待ち続ける民に。
恵みの主よ、 今くだり
この世のくらきをやぶり、
とわの光 与えたまえ。
来たりたまえ われらの主よ、
主を待ち続ける民に。
2.嘆きの地は 主の愛 受け
希望の光はのぼる。
われらの救いのために
しもべの姿をとりて、
まぶねの中 主の愛 受け
希望の光はのぼる。
3.ひびけよ、天に、あまねく地に、
喜びあふるれる知らせ。
天使の賛美にこたえ
うたえ、 つくられし者は、
主をたたえる祝いの歌。
ひびけよ、天に、あまねく地に、
喜びあふるれる知らせ。
使徒信条
 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告  
 
献金感謝 
 
主の祈り(座席前そなえつけ) 
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
頌 栄  (21)29
天のみ民も、地にあるものも、
父・子・聖霊なる神をたたえよ、
とこしえまでも。
アーメン。
派遣と祝福
 
後 奏 
 
 
礼拝当番
(今週)森﨑 千恵

(次週)安井 国雄

 
献金当番
(今週)安井 国雄  勝 理恵

(次週)菊地 晴子    星野 勇

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2023.12.10~2023.12.16 の集会案内

2023.12.10~2023.12.16 の集会案内
      集 会
 
〇日曜学校            9:00

〇朝カフェ             休  会

〇クワイア 練習           中  止

〇讃美歌を歌う会           礼 拝 後

 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題「対面にもライン礼拝にも出席できない会員のため」
 
〇聖書の学びと祈りの会  12月14日(木)10:00 
エゼキエル書18章(担当 鈴木 美津子) 司会 白 川 典 子

 
*河合楽器担当者と浦和教会担当者等との協議
12月13日(水)10:00

 
*牧師予定

12月15日(金)大会人権委委員会(13:00〜オンライン)

 
次 週 礼 拝
 
<アドベントⅢ>
 
説教「初めに言があった」     鈴木 美津子
  イザヤ書11章1節~9節
  ヨハネによる福音書1章1節~5節
 
讃美歌                           田 中 愛
545B、66(1-3)、961,-3)、338(1-3)、539
日曜学校説教「主イエスの誕生」  森 﨑 千 恵
 ルカによる福音書2章1節~7節

2023.12.10 週報教会のお知らせ

2023.12.10 週報教会のお知らせ
 
12月の予定・クリスマスの集い》
 
1223() 13:00~15:00 こどもクリスマス会
礼拝、「靴屋のマルチン」スライドショー、
クリスマスグッズ作り、ティータイム、プレゼント
 
・12月24日(日) 10:30~クリスマス合同礼拝
礼拝後、祝会、新入会員歓迎会  会費600円(昼食、菓子)

日曜学校生徒のスライドショーと楽器の演奏、そのほか

 
・同日16:00~ クリスマスイブの集い 燭火礼拝 トーンチャイム等
 
・12月26日(日) 礼拝後、大掃除
 
・12月28日(木) 祈祷会は休会 クリスマスの片づけ、掃除。
 
◇本日礼拝後、トーンチャイムの練習を致します。
 
◇本日礼拝後、花壇の手入れを致しますので、宜しくお願いします。

2023.12.10 の週報掲載の説教

2023.12.10 の週報掲載の説教
<2023年10月1日説教から>
 
『生きるにしても、死ぬにしても私たちは主のものです』
           ローマの信徒への手紙14章7-9節
                                                             牧 師 鈴木美津子
 
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
                                     死ぬとすれば主のために死ぬのです(8)」。

 
キリスト者とは、どのような者であるのか?それは、「自分のために生きる者ではなく、自分のために死ぬ者でもない」というのが、キリスト者である。

私たちがキリスト者となる前は、どうであったのか?私たちは、自分のために生き、自分のために死ぬ者であった。「生きるのも、死ぬのも、自分次第。自分の人生は自分のもの」と考えていたのである。主イエスを主と信じ、受け入れる前は、自分自身が主人であったのだ。

しかし、主イエスを信じて、キリスト者とされた今はどうかと言えば、私たちは、「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」者とされたのである。このことは、主イエスの御支配が私たちの全生涯に及ぶということ、地上の生涯ばかりではなく、死んでからの生涯にも及ぶということを教えている。

パウロは4節で、「召し使い」という言葉を使っているが、主イエスの召し使いである私たちは、自分のために生き、また死ぬのではなく、主イエスのために生き、また死ぬ者とされているのである。ところで、主のために死ぬとは、一体、どのようなことなのか?それは、キリスト者と主イエスとの関係は「死によって断ち切られることはないと信じて死を迎える」ということである。それが主イエスのために死ぬということである。では、なぜ、そのように言えるのか?それは、主イエスが私たちの罪のために死んで、私たちを正しい者とするために復活されたからである。主イエスは、弟子たちに「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。(マルコ10:45)」と言われた。「身代金」とは「贖いの代価」とも訳せる。主イエスは十字架のうえで命をささげることによって、私たちを罪から贖い、御自分のものとしてくださった。そして、復活することによって、御自分と私たちとの関係が、死をはるかに越えて続いていくことを示されたのである。

私たちが生きるにも死ぬにも、主イエスのものであること。それは、私たちにとっての確かな拠り所であり、力強い慰めである。