2023.12.31 の週報掲載の説教

2023.12.31 の週報掲載の説教

<2023年10月8日説教から>

「聖霊によって、義と平和と喜びに生きる」

ローマの信徒への手紙14章10節~17節

牧師 鈴木 美津子

 
神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。(17)」

パウロが、「何を食べるか、何を飲むかということは、神の国では中心的なことではない」、と言うとき、「そのようなことは当然である」と、ほとんどの人が答えるであろう。しかし、ローマの教会で問題となっているのは実に、この飲み食いのことなのである。なぜ、このようなことが起きてしまうのか。「神の国のために生きる」というところから焦点が離れてしまっているからである。「神の国を求める」という心を失っているからである。神の国を求める心から離れて、神の国に目を留めて歩むことから外れてしまえば、どんな些細なことでも深刻な問題に成り得るのである。

では、神の国において何が大切であるのか。それは「聖霊によって与えられる義と平和と喜びに生きる」ことである。一つ目の「聖霊によって与えられる義」とは、主イエス・キリストの十字架によって与えられる「義」、ただ信仰にみによって与えられる「義」である。「義」とは「正しさ」であり、この「正しさ」は、神様の御前に悔い改め、神様の憐れみによって赦していただいて与えられる義、正しさである。

次に二つ目の「聖霊によって与えられる平和」とは、神との間に与えられる平和である。この「平和」には、神との平和、神との和解、他の人たちとの和解、そして自分の心の中での平安、その全部が含まれている。

三つ目の「聖霊によって与えられる喜び」とは、神が私たちを愛して救いを与えてくださったことの喜びである。神様の恵みによって義とされ、神との間に平和を与えられた者は、喜びに満たされ、この喜びに生きるのである。教会が神の国を指し示しているとするならば、この「聖霊によって与えられる喜び」に満ち溢れる。

しかし、教会が、キリスト者が、この「聖霊による義と平和と喜び」を見失ってしまえば、お互いにそれぞれの立場を尊重せず、自分の義を主張し、平和でなく争いに、喜びでなく意地悪な思いに陥ってしまう。些細なことが深刻な問題へとなり得るのである。

なぜなら神の国とは、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」だからである。私たちは、神の恵みのご支配の下に生きることを真剣に願い求めて、「聖霊が与える義と平和と喜び」が、この教会において実現することを堅く信じるのである。