2024.1.14 の週報掲載の説教

2024.1.14 の週報掲載の説教
<2023年10月22日説教から>

「自分の満足ではなく、隣人の喜びのために
ローマの信徒への手紙15章1節~6節

牧師 鈴木 美津子

わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。(1)」「強くない者の弱さを担う」とは、強い者が強くない者の立場を忍耐して受け止めることである。教会の中での一致は、時として忍耐が必要である。自分が強いと思うのであれば、自分の立場について、相手に我慢させるのではなく、相手を受け止める忍耐がいっそう要求されるのである。パウロは、さらに強い者に対して、「自分の満足を求めるべきではない」ことを求める。人は、ついつい何のためらいも悪気もなく、自分の気に入った事柄を優先させようとしてしまうことがある。まして自分の方が強いという思いがあればあるほど、弱い者に対して自分の考えや意見を通そうとしてしまいがちだからである。

では、「自分の満足のためではない」ということのために、私たちは、どこに心を用いるべきなのか。パウロは、「おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべき(3)」であると語る。「おのおの」、「互いの」とあるように、パウロは、「強い者」だけではなく、「強くない者」にも語りかけている。教会の一員であるおのおのが善を行って兄弟姉妹を喜ばせ、互いの徳を高めるべきだというのである。それは、ただ単に相手が喜ぶから、ということだけではなく、そのことが善となり徳を建て上げることになるかどうか、そのことに十分に心を用いるべきである。
パウロは、強くない者の弱さを担ってくださった方として、また、自分の満足を求めなかった方として、キリストを模範として示す。キリストは徹底して他者に仕えるお方であった。キリストこそが、強い者であり、それゆえに、弱い人たちの弱さを担われた。私たちが、このキリストを模範とし、このキリストに倣って生きるときに、教会の一致がいっそう深められるのである。

パウロは、最後に「心を合わせ声をそろえて」と、強い者と弱い者に、キリストに従って、互いに同じ思いが与えられるよう祈る。キリストに従うときに、与えられる同じ思いとは、神の御心を第一とする思いである。それは、主の祈りの第一の祈願である、父なる神の御名が聖なるものとされることを願う思いである。

この時にこそ、私たちは心を合わせ、声をそろえて、私たちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえることができるのである。教会の一致は、そのようにして、世に示される。