2026.8.23 主日礼拝の案内

2026.8.23 主日礼拝の案内

めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。

(フィリピの信徒への手紙2章4節))

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週 報 82巻 34号

2026.8.23

主 日 礼 拝     午前 10:30

奏楽 田 中 愛

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<神の招き>

招 詞  マタイによる福音書5章9節
9 平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
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讃 詠 (21)83(1)  聖なるかな

1 聖なるかな、聖なるかな、
聖なるかな、主なる神。
主の栄光は 地に満てり。
聖なるかな、主なる神。

2 ダビデの子に ホサナ、ホサナ、
み名によりて 来たる主に
祝福あれ、栄えあれ。
いとも高き神に ホサナ。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-083.htm
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罪の告白と赦し 詩編51編12節~21節

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12 神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
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13 御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
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14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によって支えてください。
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15 わたしはあなたの道を教えます
あなたに背いている者に
罪人が御もとに立ち帰るように。
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16 神よ、わたしの救いの神よ
流血の災いからわたしを救い出してください。
恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
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17 主よ、わたしの唇を開いてください
この口はあなたの賛美を歌います。
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18 もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
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19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
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20 御旨のままにシオンを恵み
エルサレムの城壁を築いてください。
:
21 そのときには、正しいいけにえも
焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ
そのときには、あなたの祭壇に
雄牛がささげられるでしょう。
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讃美歌 (21)3    扉を開きて

1 扉を開きて われを導き
まことの光と 慰め満る
神の家へと 迎えたまえや。

2 わが主よ、 みまえに われは来たりぬ。
われらのこころに 主もまた来たり、
われらをきよめて、 やどりたまえや。

3 おそれおののきて みまえに来たり、
こころもからだも すべてをささぐ、
祈りと歌を 受け入れたまえ。

4 導く星なる 主のみことばを
われらに与えて つねに慰め、
弱きこころに 力をたまえ。

5 語りたまえ、主よ、祈るわれらに。
いのちのいずみは ここに湧き出で、
苦難の日にも 慰めあふれん。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-003.htm
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<神の言葉>

聖 書

ミカ書6編6節~8節    (旧約P.1456)

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6 何をもって、わたしは主の御前に出で
いと高き神にぬかずくべきか。
焼き尽くす献げ物として
当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
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7 主は喜ばれるだろうか
幾千の雄羊、幾万の油の流れを。
わが咎を償うために長子を
自分の罪のために胎の実をささげるべきか。
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8 人よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。
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フィリピの信徒への手紙2章1節~4節(新約P.362)

そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、

2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。 
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3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、

4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
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祈 り           森 﨑 千 恵

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讃美歌 (21)462  はてしも知れぬ

1 はてしも知らぬ うき世の海の
あさせあらなみ いわおのなかを、
主よ、水先の しるべしたまえ。

2 母のみどりご ねむらすごとく、
みこえしずかに あらしをおさめ、
主よ、水先の しるべしたまえ。

3 さしゆくはまべ まぢかくなりて、
磯うつなみの さかまくときも、
主よ、水先の しるべしたまえ。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-462.htm
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説  教  「キリストにあって一つとされる喜び」鈴木 美津子

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<神への応答>

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讃美歌  (21)471  勝利を望み

1 勝利をのぞみ 勇んで進もう、
大地ふみしめて。
ああ、その日を信じて
われらは進もう。

2 恐れをすてて 勇んで進もう、
闇に満ちた今日も。
ああ、その日を信じて
われらは進もう。

3 手をたずさえて 歩もう共に、
勝利のときまで。
ああ、その日を信じて
われらは進もう。

4 平和と自由 主はいつの日か、
与えてくださる。
ああ、その日を信じて
われらは進もう。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-471.htm
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使徒信条

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わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。

アーメン。

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公 告

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献金感謝

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主の祈り

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天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
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頌 栄 (21)29   天のみ民も

天のみ民も、地にあるものも、
父・子・聖霊なる神をたたえよ、
とこしえまでも。
アーメン。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-029.htm
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派遣と祝福

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後 奏

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礼拝当番

(今週)安井 国雄・星野 勇・菊池 淑子

(次週)松谷 信司・福永 真理・勝 理恵

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配信当番

(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2026.8.23~2026.8.29の集会案内

2026.8.23~2026.8.29の集会案内

      集 会

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〇日曜学校             9:15

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〇コイノニア            礼拝後

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〇日曜学校教師会          礼拝後

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今 週 の 集 会

 

◎祈祷題 「新学期を迎える子どもたちの歩みが主に守られるため」

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〇聖書の学びと祈りの会

夏の暑さを考慮して、79()910()まで休会です。
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【牧師予定】

8月25日(火)マイノリティ宣教センター運営委員会

(ウェブ 13:00~)

次  週  礼 

<こどもとおとなの合同礼拝>

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説教「イエス様のもとで踏み出す一歩」    鈴木 美津子

 
詩編23編1節~4節

マタイによる福音書11章28節~30節

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讃美歌 *546、(Ⅱ)26、312、494、541    石井 ひろみ

2026.8.23 浦和教会からのお知らせ

2026.8.23 浦和教会からのお知らせ

【ウエストミンスター小教理問答】

 
問106 第六の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。

 
答 (「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」とい

う)第六の祈願1で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑

から守ってくださるか2、私たちが試みられる時に私たちを支

えて助け出してくださるように3、ということです。

1  マタイ6:13。  2  マタイ26:41。

3 Ⅱコリント12:7~8

 
【訃報】

会員岡野庸子さんが13日(木)朝、心不全のため召天。(95歳)

葬儀を16日(日)14:00~15:00 鈴木牧師が執り行いました。

ご遺族の上に主のお慰めをお祈りいたします。

 
【千葉県北部記録的豪雨被害について】

被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

地域にある習志野教会と南柏教会に関しては、被害の報告は

ありませんでした。

2026.8.23 週報掲載の説教

2026.8.23 週報掲載の説教

<2026年5月31日の説教から>

マリアの名を呼ばれる復活の主

ヨハネによる福音書20章1節〜18

牧師 鈴木美津子

 
主イエスは十字架にかけられ、死んで、墓に葬られた。弟子たちは深い悲しみと戸惑いの中にあった。そのあとに迎えた朝、マグダラのマリアは、まだ暗いうちに墓へ向かった。墓に着くと、入り口をふさいでいた大きな石が取りのけられていた。マリアは驚く。しかし、何が起こったのかは、まだ分からない。マリアは弟子たちのもとへ走り、「主が墓から取り去られた」と告げる。

ペトロともう一人の弟子も墓へ向かい、中を見る。体を包んでいた布は残されていた。しかし、それでもなお、彼らには復活が分からない。ヨハネ福音書は、「二人はまだ理解していなかった」と語る。見ているのに分からない。そこにあっても気づかない。この復活の記事は、そのようなところから始まっている。

弟子たちは帰っていくが、マリアはその場にとどまり、泣き続ける。振り向くと、一人の人が立っている。しかし、それが主イエスであるとは分からない。主イエスは死んでしまった、そのように思い込んでいるからである。主を求めているのに、その主に気づくことができない。

そのとき、主イエスは「マリア」と名を呼ばれる。ただその一言で、すべてが変わる。マリアは、「ラボニ」と応える。自分で見いだしたのではない。主が先に呼ばれ、その呼びかけによって気づかされたのである。

さらに主イエスは、マリアを弟子たちのもとへ遣わされる。「わたしは主を見ました」と語る者とされたのである。ここから、一人に語られた主の言葉が、人から人へと広がっていく。教会の歩みは、この出来事から始まっている。

私たちもまた、自分でたどり着いたのではない。主に呼ばれてここに立たされている。どのような時にも、主は私たちの名を知り、呼びかけておられるのである。