2024.4.14 週報教会のお知らせ

2024.4.14 週報教会のお知らせ
◇「台湾地震被災者支援募金」のお願い
本日4月14日~5月30日まで、募金箱を受付に置きますので、

ご協力お願いいたします。

 
【志木北教会建設式・三好明の牧師就職式のお知らせ

4月28日(日) 午後3時 志木北伝道所

司式:村松惠美(大宮東伝道所牧師)

勧告:藤井和弘(南浦和教会牧師)

 
【柏木教会 南望の牧師就職式のお知らせ】
4月29日(月・休) 午後1時 柏木教会

司式:真田泉(東京主僕教会牧師)

勧告:小野寺ほさな(荻窪北教会牧師)

2024.4.14 の週報掲載の説教

2024.4.14 の週報掲載の説教
<2024年2月25日説教>

『独り子である神』
ヨハネによる福音書1章14節~18節

牧師 鈴木 美津子

 
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(14)」

この箇所は、ヨハネによる福音書におけるクリスマス出来事の記述である。ただし、ここには、他の福音書と違って、天使も羊飼いも登場しない。なぜなら、この福音書は、主イエスがどこで、どのようにお生まれになったのかということではなく、クリスマスの出来事とは一体何であったのか、主イエスの誕生とは一体何なのか、どういう意味を持った出来事なのかということを語っているからである。

言が肉体をもった」、これこそがクリスマスの重要な出来事なのだと告げる。「言」とはもちろん、天地を神様と共に造り、初めから神と共におられた、そして神であるイエス・キリストのことである。この「言」が肉体をもち、人間となられた。この出来事が真にクリスマスの出来事である。言は肉をとって人になった。しかし言は神であることをやめたのではない。神でありながら、人となったのだ。人となったということは、時間や空間というものに制限された存在になったということ、弱さをもった存在になったということである。永遠の神であり、栄光に満ちた聖なるお方イエス・キリスト。そのお方が、おとめマリアを母として、弱い小さなひとりの男の子として、この世に誕生した、この不思議、それがクリスマスである。
このクリスマスの出来事を「肉を受ける」と書いて、「受肉」と言う。この「受肉の出来事」、これは「秘儀」というべき出来事であり、私たち人間には説明することができない。「受肉」という出来事は秘儀であり、説明しようがないからである。しかし、この「秘儀」の上に私たちの救いがかかっていることも事実である。もしイエス・キリストが真の神様でなければ、私たち人間の罪を全て担うなどということは出来ない。もし、イエス・キリストが真の人間でなければ、十字架の死によって、私たち人間の身代わりになることは出来ない。この「受肉」という秘儀が、主イエスの十字架による私たちの救いの根拠である。これは、私たちの「救い」ため、私たちを罪から解き放つための出来事である。そして、そのことを伝えるために、ヨハネ福音書は記されたのである。

NEW! 2024.4.7 主日礼拝の案内

2024.4.7 主日礼拝の案内
 
週 報80巻14号 2024.4.7
 
「するとナタナエルが、『ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい』と言った。」

(ヨハネによる福音書1章46節)

 
主 日 礼 拝     午前 10:30                                                                                                                                            
< 聖 餐 式 >  
 
奏楽  板 垣 玲 子
 
<神の招き>
 
招 詞   ヘブライ人への手紙4章14節~16節
14  さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。 
15  この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 
16  だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
 
讃 詠   28
み栄えあれや 父と子と聖霊に
はじめも今も とわにかわらず
み神に アーメン、アーメン
罪の告白と赦し 詩編143編1節~6節
1【賛歌。ダビデの詩。】
主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
 
 
讃美歌  13(1-3)
(1)みつかいとともに イェスのみ名の
   力をたたえて 主をあがめよ。
   かんむりをささげて 主とあがめよ。
(2)いのちをささげし あかしびとよ、
   ダビデのみ子なる 主をあがめよ。
   かんむりをささげて 主とあがめよ。
(3)まことの神にて まことのひと、
   あがないぬしなる 主をあがめよ。
   かんむりをささげて 主とあがめよ。
 
 
<神の言葉>
 
聖 書
 
イザヤ書44章1節~8節 (旧約P.1132)
そして今、わたしの僕ヤコブよ
わたしの選んだイスラエルよ、聞け。
あなたを造り、母の胎内に形づくり
あなたを助ける主は、こう言われる。
恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。
わたしの選んだエシュルンよ。
わたしは乾いている地に水を注ぎ
乾いた土地に流れを与える。
あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ
あなたの末にわたしの祝福を与える。
彼らは草の生い茂る中に芽生え
水のほとりの柳のように育つ。
ある者は「わたしは主のもの」と言い
ある者はヤコブの名を名乗り
またある者は手に「主のもの」と記し
「イスラエル」をその名とする。
イスラエルの王である主
イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。
わたしは初めであり、終わりである。
わたしをおいて神はない。
だれか、わたしに並ぶ者がいるなら
声をあげ、発言し、わたしと競ってみよ。
わたしがとこしえの民としるしを定めた日から
来るべきことにいたるまでを告げてみよ。
恐れるな、おびえるな。
既にわたしはあなたに聞かせ
告げてきたではないか。
あなたたちはわたしの証人ではないか。
わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。
わたしはそれを知らない。
 
 
ヨハネによる福音書1章43節~51節 (新約P.165)
43  その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。 
44  フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 
45  フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 
46  するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。 
47  イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」 
48  ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。 
49  ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 
50 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」 
51  更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
 
祈 り              
 
讃美歌  287(1、2、4、6)
(1節)
ナザレの村里、花咲く牧場(まきば)に
遊び たわむれた 昔を偲(しの)んで、
幼い主イェスの み姿を想う。
(2節)
ガリラヤの湖(うみ)の 逆まく波をも
たちまち静めた 昔を偲(しの)んで、
平和の主イェスの み力を想う。
(4節)
ゴルゴダの丘の 十字架の上で
罪人(つみびと)ゆるした 昔を偲んで、
救いの主イェスの あわれみを想う。
(6節)
オリーブの山より 祝福あたえて
天に昇られた 昔を偲んで、
栄えの主イェスの み名をたたえよう。
                                                             
説  教   「来て、見なさい」  鈴木 美津子
<神への応答>
 
讃美歌  432
(1節)「重荷を負う者、 迷う者よ、
     誰でも来なさい、ためらわずに」。
     招きに従い   私は行く。
     慰めと平和   受けるために。
(2節)「渇いている者、 疲れた者、
     誰でも来なさい、ためらわずに」。
     いのちの主イェスに 私は行く。
     生きたその水を 飲みほすため。
(3節)「この世の務めに 悩む者よ、
     誰でも来なさい、ためらわずに」。
     光の主イェスに 私は行く。
     終わりまで共に 歩むために。
日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、
真の神であり真の人です。
主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、
人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、
あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、
救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。
 神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、
キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、
神の子とされます。また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、
信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。
この三位一体なる神の恵みによらなければ、
人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。
 旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、
主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。
 教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、
主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、
終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
 古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。
わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、
讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。
わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、
死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、
天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。
わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
 
 
聖餐式  76
1.今こそ歌いて よろこび祝え、
とうときみ体 きよき血汐に
み神の秘めたる くしき恵みを。
2.マリアにやどりし 神のひとり子、
世の罪にないて 悩みしイエスは
十字架の道のり たどりたまえり。
3.最後の食卓 囲みしその夜、
主はみかえを み手に取り上げ、
感謝し、分かちて、与えたまえり。
4.血汐を流せる 主の死によりて
われらのすぎこし ここに果たされ、
救いといのちは ここにあふるる。
5.よろこび、歌いて 救いを祝わん。
恵みにあふるる み父とみ子に
ほまれとみ栄え とわにあれ、アーメン
公 告  
 
献金感謝 
 
 
主の祈り(座席前そなえつけ)  
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
 
頌 栄  29
天のみ民も 地にあるものも
父・子・聖霊なる神をたたえよ
とこしえまでも
アーメン
派遣と祝福
 
後 奏 
 
聖餐補佐 三浦 森﨑 安井 増田

 
 
礼拝当番
(今週)安井 英子

(次週)森﨑 千恵

献金当番
(今週)野田 昭子 菊池 淑子

(次週)薄田 東正 國見 照子

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2024.4.7~2024.4.13 の集会案内

2024.4.7~2024.4.13 の集会案内
 
      集 会
〇日曜学校            9:00

〇朝カフェ            休  会

〇クワイア 練習          中  止

〇定期拡大小会           12:00

〇定期小会              同 上 後

 
今 週 の 集 会
◎祈祷題「家族の救いのため」

〇聖書の学びと祈りの会       4月11日(木) 10:00

エゼキエル書29章(担当 鈴木 美津子) 司会 伊木 美穂子

 
牧師予定
特にありません。

 
次 週 礼 拝
説教「カナでの婚礼の奇跡 -水をぶどう酒に-」

鈴木 美津子

列王記下4章1節~7節

ヨハネによる福音書2章1節~12節

讃美歌 83(1)、16(1-4)、457、286(1-4)、24       三 輪 志 都

 
日曜学校「私の小羊を飼いなさい」        鈴木 美津子

ヨハネによる福音書21章15節~19節

2024.4.7 週報教会のお知らせ

2024.4.7 週報教会のお知らせ
◇過日の「あしなが育英基金」への募金額は¥18,200でした。

皆様のご協力に感謝いたします。

 
◇恵みのあと

過日のイースター合同礼拝には、80名の方が出席し、礼拝後は

有志の方の楽器演奏、讃美歌合唱などを楽しみました。

 
【志木北教会建設式・三好明の牧師就職式のお知らせ】

4月28日(日) 3:00 志木北伝道所

司式:村松惠美(大宮東伝道所牧師)

勧告:藤井和弘(南浦和教会牧師)

 
【柏木教会 南望の牧師就職式のお知らせ】

4月29日(月・休) 13:00 柏木教会

司式:真田泉(東京主僕教会牧師)

勧告:小野寺ほさな(荻窪北教会牧師)

2024.4.7 の週報掲載の説教

2024.4.7 の週報掲載の説教
<2024年2月18日説教>

『証し人ヨハネ』
ヨハネによる福音書1章6節~13節

牧師 鈴木 美津子

 
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。(6-7)」

ここに登場する「ヨハネ」は、主イエスより先に生まれ、主イエス様に先だってヨルダン川に忽然と姿を現わした洗礼者ヨハネのことである。そして、彼は主イエスに洗礼を授けた預言者である。この当時、洗礼者ヨハネは、悔い改めを求める説教をし、ヨルダン川で洗礼を授け、多くの人々から支持され、大変な影響力を持っていた。「洗礼者ヨハネこそが旧約の預言者によって預言されてきた救い主、メシアではないか」、そのように思っていた人も少なくなかったのだ。

しかし聖書は、洗礼者ヨハネは主イエス・キリストについて証しするために来たのだと告げている。神に選ばれ、遣わされた人であるので、洗礼者ヨハネもまた偉大な預言者であるに違いない。しかし、彼は、あくまで主イエスを指し示す人であり、主イエス抜きにして偉大な人ということではない。8節に「彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」とある。つまり、洗礼者ヨハネは光ではない。光は主イエス・キリストである。彼が光について、つまり主イエス・キリストについて証しをするというのは、「主イエスが誰であるか、どんな方であるのか、そのことを告げる」ということ。そして、この証しの目的は、つまり洗礼者ヨハネの目的は、彼の証しを聞く人が「主イエス・キリストを信じるようになる」ということである。預言者として彼の使命は、正確に主イエス・キリストを指し示すということなのである。
この洗礼者ヨハネの役割を現代において担っているのが、教会であり、私たちキリスト者である。教会に来れば主イエスが分かる、キリスト者に出会えば主イエスが分かる、そのような使命を与えられた者として私たちは、ここに、この浦和教会に立てられているのである。