2021.1.24 の週報掲載の説教

<2019年10月27日の説教から>

『明けの明星があなたの心に昇るまで』
ペトロの手紙二 1章12節~21節

牧師 三輪地塩

「明けの明星が心の中に昇るときまで」とあるが、この「明けの明星」は何を表わしているのだろうか。言い換えると「気付き」ではないかと思う。福音による「気付き」は「光の差し込み」に似ている、と。つまりこういう意味である。我々は、聖書は読めるし、礼拝への参加も出来る。聖書研究会も行なえる。だがそれらは、キリスト教についての「知識」である。「気付き」とは知識を超えた福音の本質とその価値が、明らかとなるということだろう。

スコットランドの改革長老教会が作成した『ウェストミンスター信仰告白』という信仰問答書があるが、それを解説した文章に次のようなものがあった。

「正典としてまとめられた聖書は、神の言葉として、私たちが神を知り、神を信じるための必要な知恵が与えられる書簡です。これが聖書の「外的照明」です。ただ、すべての人が聖書を読めば、神さまを知り、信じることが出来るか、といえばそうではありません。私たちの側、私たちの心の中に聖霊が働いて下さることが必要です。これが「内的照明」です。内的照明がなければ、私たちはいくら聖書を読んでも、神を受け入れることは出来ず、神を信じることが出来ないのです」。今日の箇所で「明けの明星」と呼ばれているのは聖霊の促し、つまり「内的照明」である。

我々には、聖書の知識は必要である。しかし最も大切なのは、聖書の知識を得ることではなく、それを神の言葉として受けること。それを神の言葉として信じて聞くこと。当然、信仰者であっても、我々のうちには揺れ動く思いや、信じる心と信じられない心は湧き起こる。最も大切なのは、信じることの出来ない状況にあってもなお、「神の聖霊の促しが起こること」、すなわち「心のうちに明けの明星が昇る」のを信じ続け、待ち続けることである。

たとえ感染症禍に疲弊し、心が落ち込み、神の祝福を感じれなかったとしても、私たちには「明けの明星が心の中に昇るとき」が必ず来ることを、聖書から聞き続けたい。心からそう願っている。