2021.7.11 の週報掲載の説教

<2020年2月16日の説教から>

イザヤ書61章1節~3節

ルカによる福音書4章14節~30節

『神の恵みの年を告げるため』
牧師 三輪地塩

預言者イザヤは61章で、バビロン捕囚後の苦しむ民に対し、喜びの知らせを語っている。61章1節の後半、「私を遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕われ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」。このようにイザヤ書61章は、慰め、自由、回復、解放というような実に明るく希望に満ちた預言が語られている。

だが2節には「主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して」とある。明るく希望溢れた文脈の預言とは異なり、この部分は復讐心に満ちている。つまり、バビロン捕囚から解放された喜びと同時に、捕囚を行ったバビロンへの復讐の思いを込めて「私たちの神はあなた方を赦しませんよ、報復しますよ」というのである。なぜなら、神はイスラエル人の神であり、イスラエルを導き、祝福を与える神であるから。そのイスラエルに悪さをするバビロンは、報復されるのは当然であるとイザヤは語る。これが当時のイスラエルの民の神理解であり、罪と罰、祝福と呪詛の理解であった。

だが、ルカにおいてはイザヤ61章はまた違った光を当てられる。ルカ4章18節。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

ユダヤ教の会堂シナゴーグに入りイザヤ書61章を読んだ。だが、上記の通り、61章はイエスによって改変されている。注意深い人はこのことに気付くだろう。何を改変しているのか?それは「復讐の削除」である。イザヤ61章2節の「主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して~~」の部分を削除し、解放、回復、自由、主の恵みのみを強調して伝えている。イエスは「復讐」の箇所を読まなかった。異邦人に敵対する全ての復讐心、報復の思いを取り除いたのだ。「報復は神のなさること。人間の業ではない」ということだろう。この世から、復讐や報復が取り除かれる日は、いつ来るのだろうか。