2021.10.10 主日礼拝の案内

2021.10.10 主日礼拝の案内
週 報 76 巻 41 号 2021.10.10
イエスは言われた。

「今日、救いがこの家を訪れた。

この人もアブラハムの子なのだから。

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

(ルカによる福音書19章9節~10節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽 加 藤 純 子

<神の招き>
招 詞 ヨハネによる福音書12章24節

*讃 詠  546

*聖 書 マタイによる福音書6章9節~13節

(新約P.9)

*日曜学校説教「罪を赦して下さい」

岩 本 道 子

*讃美歌 461[1-2]

<神の言葉>

聖 書 詩編78編43節~51節   (旧約P.915)

ルカによる福音書19章1章~10節

(新約P.146)

祈 り         安 井 国 雄

*讃美歌 288〔1-2〕

説  教 「今日、救いがこの家を訪れた」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 Ⅱ184〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 543

*後 奏

礼拝当番(今週)増田 裕子

(次週)野田 昭子

ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2021.10.10~10.16 週報 集会案内

2021.10.10~10.16 週報 集会案内
      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会  休 会

〇朝カフェ             休 会

〇入門の会             休 会

〇クワイア練習           中 止

〇コイノニア            中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)    礼 拝 後

今 週 の 集 会
◎祈祷題「日曜学校教師のため」

「対面礼拝ができない人のため」

〇聖書の学びと祈りの会  10月14日(木)10:00

ネヘミヤ記1章(担当 三輪地塩) 司会 野 田 昭 子

※ラインで行います。

 
次 週 礼 拝
説教 「ムナの譬え」

イザヤ書19章4節~10節

ルカによる福音書19章11章~27節

三 輪 地 塩

讃美歌

545A、54(1-2)、280(1-2)、522 (1-2)、544

岩 本 道 子

2021.10.10 週報 教会からのお知らせ

2021.10.10 週報 教会からのお知らせ
墓前礼拝のお知らせ
日時:2021年10月31日(日)13時30分~

場所:青葉園 浦和教会墓地

会堂改修工事についてお知らせ
①10月から約1ヵ月1階小会堂の改修工事をいたします。

まず、1階会堂に入り、左側に新しい事務室を新設し、

これまでの事務室は様々な用途の部屋として用います。

②1階での礼拝はこれまで通りです。

 
福音時報20221~12 申込みのお知らせ
10月17日(日)に封筒を週報ボックスに配布します。

11月14日(日)までに封筒に¥1800を入れて、お申込みください。教会に出席できない皆様には週報と一緒に送付いたします。

(担当 國見照子)

2021.10.10 の週報掲載の説教

2021.10.10 の週報掲載の説教
<2020年5月3日の説教から>

ルカによる福音書6章12節~16節

12人の使徒を選ぶ』
牧師 三輪地塩

イエスは12人の「使徒」を選んだ。BC722年のアッシリア捕囚以降、12部族は消滅していたため、民族再建の旗印として使徒選びは大きな意味を持っている。12人の選び「新しいイスラエルの再建」と、ローマに支配された疲弊した国を鼓舞し、「アイデンティティの回復」を想起させるものであった。

12使徒を集めた目的について、マルコの平行箇所(マルコ3章7~19節)と比較してみたい。マルコでは、イエス一行が困難を抱えた人たちへの癒しの行為、奇跡の行為を行っている文脈で12使徒の召命が書かれている。マルコの当該箇所にはこう書かれている(3:13)。 「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。」
つまり任命した理由は「自分のそばにおくため」「派遣するため」「奇跡行為の権能を持たせるため」であったと述べられている。イエスがあまりに多忙なので、宣教の前進と拡大のため、また多くの人を救うために、弟子たちの働きが必要であったという意図を感じる。

これに対し、ルカの12使徒選びには、こうした意図がまるで書かれていない。6章12節「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。」

たったこれだけである。すなわちルカが言いたいのは「イエスは弟子たちのサポートを必要としていない」ということである。12使徒が、イエスの多忙さを緩和させ、肉体疲労を軽減させるため、お弟子さんたちに身の回りの世話をしてもらった、ということではない。ではなぜ集めたのか。それこそが「回復」と「再建」である。12使徒は、正しき「レギュラー陣」ではなく、むしろ「罪人の代表者」として集められた、キリストの救いを受けるモデルとして集められた。イエスを裏切った者、十字架の手前で逃げた者、疑い深い現実主義者、熱狂的な政治思想の持ち主等々、この12人は決して品行方正な人物の集まりではない。「使徒」(アポストロス=派遣)は、まさに罪の赦しを身に受けた体現者の集まりだと言えるだろう。