2021.10.10 の週報掲載の説教

2021.10.10 の週報掲載の説教
<2020年5月3日の説教から>

ルカによる福音書6章12節~16節

12人の使徒を選ぶ』
牧師 三輪地塩

イエスは12人の「使徒」を選んだ。BC722年のアッシリア捕囚以降、12部族は消滅していたため、民族再建の旗印として使徒選びは大きな意味を持っている。12人の選び「新しいイスラエルの再建」と、ローマに支配された疲弊した国を鼓舞し、「アイデンティティの回復」を想起させるものであった。

12使徒を集めた目的について、マルコの平行箇所(マルコ3章7~19節)と比較してみたい。マルコでは、イエス一行が困難を抱えた人たちへの癒しの行為、奇跡の行為を行っている文脈で12使徒の召命が書かれている。マルコの当該箇所にはこう書かれている(3:13)。 「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。」
つまり任命した理由は「自分のそばにおくため」「派遣するため」「奇跡行為の権能を持たせるため」であったと述べられている。イエスがあまりに多忙なので、宣教の前進と拡大のため、また多くの人を救うために、弟子たちの働きが必要であったという意図を感じる。

これに対し、ルカの12使徒選びには、こうした意図がまるで書かれていない。6章12節「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。」

たったこれだけである。すなわちルカが言いたいのは「イエスは弟子たちのサポートを必要としていない」ということである。12使徒が、イエスの多忙さを緩和させ、肉体疲労を軽減させるため、お弟子さんたちに身の回りの世話をしてもらった、ということではない。ではなぜ集めたのか。それこそが「回復」と「再建」である。12使徒は、正しき「レギュラー陣」ではなく、むしろ「罪人の代表者」として集められた、キリストの救いを受けるモデルとして集められた。イエスを裏切った者、十字架の手前で逃げた者、疑い深い現実主義者、熱狂的な政治思想の持ち主等々、この12人は決して品行方正な人物の集まりではない。「使徒」(アポストロス=派遣)は、まさに罪の赦しを身に受けた体現者の集まりだと言えるだろう。