New ! 2023.3.5 主日礼拝の案内

2023.3.5 主日礼拝の案内
週 報78巻10号 2023.3.5
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」  (ローマの信徒への手紙8章11節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
<レ ン ト Ⅱ・聖 餐 式>
奏楽  岩 本 道 子

 
<神の招き>
 
招 詞   エフェソの信徒への手紙5章14節b
14  明らかにされるものはみな、光となるのです。
それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
*讃 詠   545A

 
罪の告白と赦し 交読詩編51編1節~11節
1【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。2   ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
3   神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
4   わたしの咎(とが)をことごとく洗い
罪から清めてください。
5   あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
6   あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。
7   わたしは咎のうちに産み落とされ
母がわたしを身ごもったときも
わたしは罪のうちにあったのです。
8   あなたは秘儀ではなくまことを望み
秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
9   ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください
わたしが清くなるように
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。
10   喜び祝う声を聞かせてください
あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
11   わたしの罪に御顔を向けず
(とが)をことごとくぬぐってください。
 
 
*讃美歌   67(1-2)

 
<神の言葉>
 
聖 書   エゼキエル書36章25節〜28節 (旧約P.1356)
25  わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。 
26  わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。 
27  また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。 
28  お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。
 
ローマの信徒への手紙8章5節~11節(新約P.284)
肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。 
肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。 
なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。 
肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。 
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。 
10  キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。 
11  もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
 
 
祈 り
 
*讃美歌  164(1-2)

 
説  教   「死ぬはずの体をも生かしてくださる神」  鈴木 美津子
 
<神への応答>
 
*讃美歌  515(1-2)

 
日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。

主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。

神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。

また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。

この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。

旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。

教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。

古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。 わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。

聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン
 
聖餐式  202

 
公 告

 
*献金感謝

 
主の祈り(座席前そなえつけ)
 
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
 
*頌 栄  539

*派遣と祝福
*後 奏

 
聖餐補助 三浦 森﨑 安井 松谷

 
礼拝当番
(今週)安井 国雄

(次週)増田 裕子

 
献金当番
(今週)國見 照子 薄田 東正

(次週)伊木 美穂子 星野 勇

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2023.3.5~2023.3.11 の集会案内

2023.3.5~2023.3.11 の集会案内
      集 会
〇日曜学校           9:00

〇朝カフェ           休  会

〇クワイア練習         中  止

〇礼拝堂・1階の清掃(有志)    礼 拝 後

〇第3回拡大定期小会        12:00

〇第3回定期小会         同 上 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「日本キリスト教会の教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会  3月9日(木)10:00

ヨブ記39章(担当 鈴木 美津子) 司会 伊木 美穂子

 
次 週 礼 拝
 
<レ ン トⅢ>
 
説教「私たちを神の子とする霊」  鈴木 美津子
イザヤ書63章15節〜19節

ローマの信徒への手紙8章12節~17節

 
讃美歌             三 輪 志 都
(21) 28、355(1-2)、411(1-2)、455(1-2)、26

 
 
日曜学校説教 「聖霊の約束」 鈴木 美津子
ヨハネによる福音書16章5節~15節

2023.3.5 週報 教会からのお知らせ

2023.3.5 週報 教会からのお知らせ
◇3月の木曜祈祷会予定

3月9日(木)10:00

ヨブ記39章(担当 鈴木 美津子)   司会 伊木 美穂子

3月16日 鈴木牧師は東京中会出席のため休会とします。

3月23日 奨励は神学校卒業生 武田巌さんがしてくださいます。

祈祷会後、軽い昼食で交わりの会を致しますので、ご希望の

方はどうぞお申込みください。    (担当 野田昭子)

 
【トルコ・シリア震災被災者支援募金について】

日本キリスト教会大会は、日キの属している世界改革教会共同体(WCRC)のかかわっている送金先に募金を贈る予定です。

受付けに募金箱がありますので、どうぞ皆様のご協力を宜しくお願いします。

 
【第72回東京中会】

日時:3月16日~17日(木~金)

場所:柏木教会(対面)

浦和教会の代議員:牧師 鈴木美津子、長老 増田裕子(16日出席)

補員 長老 松谷信司(17日出席)

2023.3.5 の週報掲載の説教

2023.3.5 の週報掲載の説教
<2023年1月29日の説教から>
『義の奴隷』
ローマの信徒への手紙6章15節~23節
                 牧 師 鈴木美津子
 
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです(23)」。

23節は、これまで6章で示されてきた罪の奴隷か、神の奴隷かの議論の結論である。罪という主人に仕えたその報いが死、とはなんと愚かな結末だろう。

他方、「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命」であると約束されている。ここで大切なのは、神の報酬が永遠の命である、とは言わないで「神の賜物」、と言葉を変えているところである。「賜物」とは、神の贈り物という意味である。ですから、「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命である」、と聖書が言う時、それは、報酬ではなくて、神から一方的にいただけるプレゼントなのだ。

死は、罪に対する報酬として必ず与えられる。しかし、永遠の命は、私たちが労したものに見合う報酬として与えられるようなちっぽけなものではない。神の御子、わたしたちの主イエス・キリストの十字架の血が流されたほどの高価なもの、貴いもの、それが永遠の命である。

「恵みが増すようにと、罪の中にとどまる」などというような、福音とキリスト者の自由を曲解する立場は、大きな勘違いである。そもそも、恵みは人間の意志や行為で増大できるような物ではない。恵みとは、ただ神の御心によって値なしに私たち罪人に注がれるものであって、私たちが自ら増大できるような恵みは、ただの一つもないのである。「恵みが増すようにと、罪の中にとどまる」とき、そこで増加するのは、恵みではなくて罪や汚れであり、その最終地点には「罪が支払う報酬は死」というゴールが待つのみである。私たちも以前は、そのゴールに真っすぐ向かっていた。しかし、「罪の奴隷」から解放され、今や「義の奴隷」となった私たちが、やがてたどり着く先にあるのは、「わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命」、この神の賜物(プレゼント)なのである。