New ! 2023.3.26 主日礼拝の案内

2023.3.26 主日礼拝の案内
週 報78巻13号 2023.3.26
 
人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。

“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために

執り成してくださるからです。(ローマの信徒への手紙8章27節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
 
 <レ ン ト Ⅴ>
奏楽  三 輪 志 都

 
<神の招き>
 
招 詞   エフェソの信徒への手紙5章14節b
14  明らかにされるものはみな、光となるのです。
それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
 
*讃 詠  546

 
*罪の告白と赦し 交読詩編143編1節~6節
1   主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
*讃美歌  80(1-2)

 
<神の言葉>
 
聖 書   詩編139編1節~10節 (旧約P.979)
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。
どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
10  あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
 
ローマの信徒への手紙8章18節~30節(新約P.284)
18  現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。 
19  被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。 
20  被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 
21  つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 
22  被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 
23  被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 
24  わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。 
25  わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
26  同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。 
27  人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。 
28  神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 
29  神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 
30  神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
 
 
祈 り            増 田 裕 子
 
*讃美歌  292(1-2)                                                                                                                                                                            説  教   「聖霊のとりなし」 鈴木 美津子
 
<神への応答>
 
*讃美歌  498(1-2)

 
*使徒信条
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは

、真の神であり真の人です。

主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、

人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、

あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、

救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。

神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、

キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、

神の子とされます。

また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、

信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。

この三位一体なる神の恵みによらなければ、

人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。

旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、

主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。

教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、

主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、

終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。

古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。

わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、

讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。

わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、

ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、

死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、

天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。

わたしは、聖霊を信じます。

聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、

永遠のいのちを信じます。

 
公 告
 
*献金感謝
 
*主の祈り(座席前そなえつけ)
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
 
*頌 栄  541
 
*派遣と祝福
 
*後 奏
 
礼拝当番
(今週)松谷 信司

(次週)菊地 晴子

 
献金当番
(今週)加藤 純子 石井ひろみ

(次週)野田 昭子  草野 恵

 
ライブ配信当番
(今週)薄田 東正

(次週)小出 勝

2023.3.26~2023.4.1 の集会案内

2023.3.26~2023.4.1 の集会案内
 
本  日  の  集 会
 
〇日曜学校           9:00

〇朝カフェ           休  会

〇クワイア練習         中  止

〇礼拝堂・1階の清掃(有志)   礼 拝 後

〇日曜学校教師会        礼 拝 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「新社会人・新入学生のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会  3月30日(木) 10:00

ヨブ記40章(担当 鈴木 美津子) 司会 板 垣 玲 子

 
次 週 礼 拝
 
< 受 難 週 >
 
説教「覆すことのできない神の恵み」
 詩編116編5節~11節
 ローマの信徒への手紙8章31節~34節   鈴木 美津子
 
讃美歌    岩 本  道 子
545A、11 (1-2)、138(1-2)、266(1-2)、202、542

 
日曜学校説教「本当にこの人は神の子だった」 岩 本  道 子
マタイによる福音書27章45~56節

2023.3.26 週報 教会からのお知らせ

2023.3.26 週報 教会からのお知らせ
 
【神学校入学式お知らせ】

日時:4月10日(月)13:00~ 神学校

説教:「神のみ言葉は、盾である」

久野牧(北海道中会所属教師)

 
入学生:北村幸啓(旭川教会)

 
始業講演:同日14:00~15:30

「新約聖書原典から学ぶ教理と実践」

佐藤泰將(新約学部門主任講師)

 
◇4月8日(土)13:00~

イースターの卵作りを有志によって行います。

 
◇4月9日(日)イースター礼拝、礼拝後祝会を行いますので、

どなたもご参加ください。会費(サンドイッチ代 \400)

礼拝後、会堂出口でイースターの卵を一つずつお渡しします。

祝会予定(会の進行:新畑信)

開会祈祷、ゲーム・クイズ、讃美歌148番、閉会祈祷

2023.3.26 の週報掲載の説教

2023.3.26 の週報掲載の説教
ローマの信徒への手紙7章7-25節(7-13節)

『律法と罪の関係』

牧 師 鈴木美津子

 
それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした(13)」。

律法は神の御心であり、神の御性質をそのまま反映するものであった。しかし、罪は、あの蛇に扮したサタンが、神の命令の背後に忍び込んできたように、律法の背後から忍び込んできたのである。神の愛であり、本来私たち人間の命を育むはずの律法が、人間によって罪に変えられ、死をもたらすことになってしまったのだ。この律法と罪と死の関係が非常に大切である。

神の律法が先で、人間の罪はその後、そして死はその帰結である。神の命令の後に、人間が罪を犯し、死をもたらしたのである。この関係がひっくり返った時、「では、律法は罪であろうか」、という勘違いが起こる。律法と罪の正しい関係を無視することによって、このような考えが起こるのである。これは、人間が神より先になっている時に頭をもたげる詭弁なのだ。

実にこの律法と罪を同一視する傾向は、現代のように人間中心になればなるほど強まるのではないか。戦争や災害が起こる時、人々は「もし神がいるのならどうしてこうなるのだ」、とつぶやく。「神が悪いのだ」、ということである。「律法は罪であろうか」、これは現代において「神が悪いのではないか」にそのまま置き換えられる。

しかし、災害も戦争も人間のむさぼりの結果である。むさぼりが環境を破壊し、それが災害を引き起こす。そして同じむさぼりが戦争も引き起こすのである。このむさぼりの本質は真の神を神としない偶像崇拝である。

律法を与えてくださった神は、それを罪に変えてしまった私たち人間を尚も憐れみ、御子イエスキリストを世に賜った。この十字架の愛、ここに真の神の愛が存在する。だからこそ、私たちは欺かれてはならない。罪の欺きは私たちを死へと誘うからである。