2023.3.12 主日礼拝の案内

2023.3.12 主日礼拝の案内
 
週 報78巻11号 2023.3.12
 
「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。」(ローマの信徒への手紙8章15節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
 
<レ ン ト Ⅲ>
 
奏楽  三 輪 志 都

 
<神の招き>
 
招 詞   エフェソの信徒への手紙5章14節b
14  明らかにされるものはみな、光となるのです。
それで、こう言われています
「眠りについている者、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
 
*讃 詠 (21)28(1-2)

 
罪の告白と赦し 交読詩編51編12節~21節
12  神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
13  御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
14  御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によって支えてください。
15  わたしはあなたの道を教えます
あなたに背いている者に
罪人が御もとに立ち帰るように。
16  神よ、わたしの救いの神よ
流血の災いからわたしを救い出してください。
恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
17  主よ、わたしの唇を開いてください
この口はあなたの賛美を歌います。
18  もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
19  しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
20  御旨のままにシオンを恵み
エルサレムの城壁を築いてください。
21  そのときには、正しいいけにえも
焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ
そのときには、あなたの祭壇に
雄牛がささげられるでしょう。
 
 
*讃美歌 (21)355(1-2)

 
<神の言葉>
 
聖 書   イザヤ書63章15節〜19節 (旧約P.1165)
15  どうか、天から見下ろし
輝かしく聖なる宮から御覧ください。
どこにあるのですか
あなたの熱情と力強い御業は。
あなたのたぎる思いと憐れみは
抑えられていて、わたしに示されません
16  あなたはわたしたちの父です。
アブラハムがわたしたちを見知らず
イスラエルがわたしたちを認めなくても
主よ、あなたはわたしたちの父です。
「わたしたちの贖い主」
これは永遠の昔からあなたの御名です。
17  なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを
あなたの道から迷い出させ
わたしたちの心をかたくなにして
あなたを畏れないようにされるのですか。
立ち帰ってください、あなたの僕たちのために
あなたの嗣業である部族のために。
18  あなたの聖なる民が
継ぐべき土地を持ったのはわずかの間です。
間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。
19  あなたの統治を受けられなくなってから
あなたの御名で呼ばれない者となってから
わたしたちは久しい時を過ごしています
どうか、天を裂いて降ってください。
御前に山々が揺れ動くように
 
ローマの信徒への手紙8章12節~17節(新約P.284)
 
12  それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、
それは、肉に従って生きなければならないという、
肉に対する義務ではありません。 
 
13  肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。
しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。 
 
14  神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 
 
15  あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、
神の子とする霊を受けたのです。
この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 
 
16  この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、
わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。
 
 17  もし子供であれば、相続人でもあります。
神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。
キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
 
 
祈 り                森 﨑 千 恵
 
*讃美歌 (21)411(1-2)

 
説  教   「私たちを神の子とする霊」    鈴木 美津子
 
 
<神への応答>
 
*讃美歌 (21)455(1-2)

 
使徒信条
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン
 
公 告

 
献金感謝
 
主の祈り(座席前そなえつけ)
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
*頌 栄 (21)26

 
*派遣と祝福

 
*後 奏

 
 
礼拝当番
(今週)増田 裕子

(次週)三浦 勇二

 
献金当番
(今週)伊木 美穂子 星野 勇

(次週)菊地 晴子 勝 理恵

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2023.3.12~2023.3.18 の集会案内

2023.3.12~2023.3.18 の集会案内
      集 会

〇日曜学校                    9:00

〇朝カフェ                     休  会

〇クワイア練習                  中  止

〇礼拝堂・1階の清掃(有志)            礼 拝 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「第72回定期中会のため」

 
〇第72回定期東京中会   3月16日(木)~17日(金) 柏木教会

16日10:00~開会礼拝

説教「涙と共に種を蒔く」 小野寺ほさな牧師

 
聖書の学びと祈りの会は、鈴木牧師が東京中会出席のため
休会とします。
 
次 週 礼 拝
 
<レ ン トⅣ>
 
説教「目に見えないものを待ち望む」  鈴木 美津子
詩編38編16節〜23節

ローマの信徒への手紙8章18節~25節

 
讃美歌                             板 垣 玲 子
545B、73(1-2)、183(1-2)、474(1-2)、540

 
 
日曜学校説教 「主イエスの逮捕」  安 井 国 雄
 
ヨハネによる福音書18章1節~11節

2023.3.12 週報 教会からのお知らせ

2023.3.12 週報 教会からのお知らせ
◇ 3月23日(木) 祈祷会奨励は神学校卒業生 武田巌さんがして
くださいます。
*祈祷会後、軽食で交わりの会を致しますので、ご希望の方は

本日までにお申込みください。(昼食代400円 当日)

(担当 野田昭子)

 
◇本日礼拝後、花壇の手入れを致します。お手伝いしてくださる方は

礼拝後、花壇にお集まりください。宜しくお願いします。

内容:花壇の草取り、スノーポールの植え付け

 
【トルコ・シリア震災被災者支援募金について】
日本キリスト教会大会は、日キの属している世界改革教会共同体(WCRC)のかかわっている送金先に募金を贈る予定です。

受付けに募金箱がありますので、どうぞ皆様のご協力を宜しくお願いします。

2023.3.12 の週報掲載の説教

2023.3.12 の週報掲載の説教
 
<2023年2月5日の説教から>
 
『律法に対して死に、神に対して生きる』
 
ローマの信徒への手紙7章1節~6節    牧 師 鈴木美津子
 
私たちは、キリストの十字架によって律法の要求から自由にされ、赦されている。しかし、それでも、律法を守れない自分を恥じ、嘆いている自分がいる。そのことが信仰の戦いをすればするほど、それが鮮明に見えてくるのだ。殺すな、と言いつつ人を憎み、姦淫するなと諳んじては情欲を抑えられない。この私は一体何者なのか、と苦しむ心は叫びをあげる。パウロの時代もそして今も、愚直な信仰者ほど、苦しむのではないのか。それは、信仰の戦いがあって初めてわかることである。ところが、その戦いの最中にこそ、その闇の中にこそ、「しかし今は、」なのだ。律法は、私を縛っていた、私は一つさえまともに律法を守れなかった、私はあがくのがやっとだった、その状態の私が、律法から解放されている、という福音の光に今照らされたのだ。実に、私たちが、信仰者として失格だ、と落胆する時にこそ、この律法から解放されている、という御言葉が響くのではないだろうか。キリスト者として元気に前進している時ではなく、転倒し暗闇に隠れて嘆いている時にこそである。そして、大切なのは、さらに続けて「その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。(6b)」、と新しい生き方が示されるところである。

律法の文字は、私たちを罪に定め、死の判決を下す。これが「文字に従う古い生き方」である。しかし、私たちは、「“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっている」のだ。この生き方をパウロはコリント書で、「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。」(コリ二3:6)」、と適切に表現している。私たちは、新しい契約であるキリストの十字架の福音を宣教するために用いられているからだ。

主と同じ姿に造りかえられていくという聖化の歩みは、私たちの力ではなく、主の霊の働きによるのである。そうである以上、私たちはもはや自分の弱さに嘆いたり、罪深さに恥じる必要はない。それでも尚、主と同じ姿に造りかえられていくのだから。私たちがどのように、自分自身を卑下していても “霊”に従う新しい生き方は、聖霊の働きによって今その弱い者の中で実現しているのである(フィリピ1:6)。