2023.3.26 の週報掲載の説教

2023.3.26 の週報掲載の説教
ローマの信徒への手紙7章7-25節(7-13節)

『律法と罪の関係』

牧 師 鈴木美津子

 
それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした(13)」。

律法は神の御心であり、神の御性質をそのまま反映するものであった。しかし、罪は、あの蛇に扮したサタンが、神の命令の背後に忍び込んできたように、律法の背後から忍び込んできたのである。神の愛であり、本来私たち人間の命を育むはずの律法が、人間によって罪に変えられ、死をもたらすことになってしまったのだ。この律法と罪と死の関係が非常に大切である。

神の律法が先で、人間の罪はその後、そして死はその帰結である。神の命令の後に、人間が罪を犯し、死をもたらしたのである。この関係がひっくり返った時、「では、律法は罪であろうか」、という勘違いが起こる。律法と罪の正しい関係を無視することによって、このような考えが起こるのである。これは、人間が神より先になっている時に頭をもたげる詭弁なのだ。

実にこの律法と罪を同一視する傾向は、現代のように人間中心になればなるほど強まるのではないか。戦争や災害が起こる時、人々は「もし神がいるのならどうしてこうなるのだ」、とつぶやく。「神が悪いのだ」、ということである。「律法は罪であろうか」、これは現代において「神が悪いのではないか」にそのまま置き換えられる。

しかし、災害も戦争も人間のむさぼりの結果である。むさぼりが環境を破壊し、それが災害を引き起こす。そして同じむさぼりが戦争も引き起こすのである。このむさぼりの本質は真の神を神としない偶像崇拝である。

律法を与えてくださった神は、それを罪に変えてしまった私たち人間を尚も憐れみ、御子イエスキリストを世に賜った。この十字架の愛、ここに真の神の愛が存在する。だからこそ、私たちは欺かれてはならない。罪の欺きは私たちを死へと誘うからである。