2023.6.11 主日礼拝の案内

2023.6.11 主日礼拝の案内
週 報78巻24号 2023.6.11
 
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。

(ローマの信徒への手紙10章10節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽  岩 本 道 子

 
<神の招き>
招 詞   ローマの信徒への手紙12章1節
1  こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
 
*讃 詠   (21)28
み栄えあれや、父と子と聖霊に、
はじめも今も とわにかわらず、
み神に アーメン、アーメン。 


 
*罪の告白と赦し 交読詩編1編1節~6節
1 いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
2 主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
3 その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
4 神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
5 神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。
神に逆らう者の道は滅びに至る。
 
*讃美歌   (21)12
1 とうときわが神よ、
  くらぶるものなき主よ、
 心貧しけれど、
 聖霊の力受け、
 主イェスのみ名をあがめ
  われほめたたえ歌わん。
2  うるわしき歌もて
   声高く歌うとも、
   いかなる言葉もて
   主のみわざ語るとも、
   限りなきその恵み
   いかでのべ伝うべき。
3   いかに祈るべきか
    弱きわれら知らねど、
  深きうめきをもて
    聖霊とりなしたもう。
  み国の世継ぎとされ
  「アッバ、父」とわれら呼ばん。
4 いかに幸なるかな、
     信じて求むる者、
   その祈りすべてを
   神は常にききたもう。
   たぐいなき愛の主を
   とこしえにほめたたえん。
          アーメン
 
<神の言葉>
 
聖 書  申命記30章11節~14節    (旧約P.329)
11 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。
12 それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 
13 海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 
14 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
 
ローマの信徒への手紙 10章5節~13節(新約P.288)
5 モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。 
6 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。 
7 また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。 
8 では、何と言われているのだろうか。
「御言葉はあなたの近くにあり、
あなたの口、あなたの心にある。」
これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。 
9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 
10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 
11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 
12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。 
13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
 
祈 り                 松 谷 信 司
 
*讃美歌  (21)447(1-2)
1 神のみこころは つねにいと正しく、
  信じるものらを み手もて助けたもう。
  悩みより救う 深きあわれみ
  われら心より 信じてより頼まん。
2 わが主は慰め わがいのちの望み、
  出来事生み出す 真実のみことば。
  われらの全てを み手におさめて、
  髪のひとすじも 残さず数えたもう。
   アーメン
 
 
説  教   「心で信じて、口で告白する」  鈴木 美津子
 
 
<神への応答>
 
*讃美歌  (21)447(3-4)
3 すべてを知りたも み神を恐れつつ
  み顔をしたいて 安らぎを身に受けん。
  終わりの時にも 迷わず委ねん。
  罪も死も陰府も われに勝つことなし。
4 悩み、苦しみに 嘆くわれをとらえ、
  おじまどう者を 慰めたもう主は
  せつなる祈りを 拒むことなし。
  聖き主のみ名を とわにたたえよ、アーメン。
   アーメン
 
*使徒信条
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告
 
*献金感謝
 
*主の祈り(座席前そなえつけ)
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
*頌 栄  (21)29
天のみ民も、地にあるものも、
父・子・聖霊なる神をたたえよ、
とこしえまでも。
アーメン。
 
*派遣と祝福

 
*後 奏

 
〇防災ガイダンスのビデオ上映
 
礼拝当番
(今週)森﨑 千恵

(次週)薄田 東正

 
献金当番
(今週)加藤 純子   石井 ひろみ

(次週)野田 昭子  安井 英子

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2023.6.11~2023.6.17 の集会案内

2023.6.11~2023.6.17 の集会案内
      集 会
 
〇日曜学校                 9:00
〇朝カフェ                   休  会
〇クワイア練習                 中  止
〇防災ガイダンスのビデオ上映        礼 拝 後
〇礼拝堂の清掃(有志)           礼 拝 後
〇「讃美歌を歌う会」(毎月第2、参加自由)   同 上 後
〇伝道委員会                同 上 後
〇テモテ交わりの会             同 上 後
 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「戦いの地に平和がもたらされるように」

 
〇聖書の学びと祈りの会  6月15日(木) 10:00
エゼキエル書4章 (担当 鈴木 美津子)

司会  増 田 裕 子

 
次 週 礼 拝
 
説教「良い知らせを伝える者」  鈴木 美津子
イザヤ書52章7節~10節

ローマの信徒への手紙 10章14節~21節

 
讃美歌    田 中  愛
546、11(1—4)、(21)394、225(1—3)、544

日曜学校説教 「暴風におそわれる」 増 田 裕 子
使徒言行録27章13節~26節

2023.6.11 週報 教会からのお知らせ

2023.6.11 週報 教会からのお知らせ
◇本日礼拝後、防災ガイダンスのビデオ上映を致します。
*6月18日礼拝後、防災通報訓練を実施します。(長老・執事)
 
【信徒の集いお誘い】
2023年8月11日(金・休)10:00~15:15 柏木教会

主題:『讃美』~新しい歌を主に向かって歌おう~

講師:小林宏和(世田谷千歳教会牧師)

賛美指導:高浪晋一(日本賛美歌学運営委員)

*掲示板の下に申込用紙がありますので、7月2日(日)までにお申し込みください。参加費は1000円です。

 
◇会員消息
会員室橋明子さんが5月30日(火)天に召されました。(享年93)

6月2日(金) 鈴木美津子牧師司式で火葬式を行いました。

 
◇本日礼拝後、雑草の除去と花壇の手入れを行います。ご都合の

宜しい方はご協力宜しくお願いします。

2023.6.11 の週報掲載の説教

2023.6.11 の週報掲載の説教
<2023年4月23日の説教から>

『選びの民のために祈る』
ローマの信徒への手紙9章1節~5節

 
牧 師 鈴木美津子

 
パウロにとって、肉による同胞のユダヤ人たちがイエス・キリストを信じないことは、深い悲しみであり、絶え間ない心の痛みであった。パウロは、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ願ったほどである。なぜなら、ユダヤ人たちの多くは、イエス・キリストを拒んで、神から見捨てられた者となっていたからだ。

神は、アブラハムを召し出し、イサク、ヤコブと契約を結び、ヤコブをイスラエルと呼び、約束のとおりその子孫を天の星のように増やされた。そして、イスラエルを御自分の民として、栄光、契約、律法、礼拝、約束を与えられた。神はそのようにして、イスラエルが約束のメシアであるイエス・キリストを受け入れるようにと計画され、準備をして来られたのである。

しかし、実際にイエス・キリストが生まれると、イスラエルはイエス・キリストを拒んだ。拒んで、十字架につけて殺してしまったのだ。それだけでなく、復活して、万物の上におられるイエス・キリストを今も拒み続けている。なぜ、神の民であるイスラエルが約束の救い主であるイエス・キリストを今も拒み続けているのか?そのことを思うとき、パウロは深い悲しみと絶え間ない心の痛みを覚えずにおれなかったのである。

この御言葉を読むとき、私たちが問われる一つのことは、私たちもイエス・キリストを拒み続ける肉による同胞である日本人のために、深く悲しみ、絶え間ない痛みを覚えているか?ということである。パウロの肉による同胞は神の民イスラエルであり、私たちの肉による同胞である日本人は真の神を知らない異邦人である。状況は同じであるとは言えない。しかし、もし、私たちがイエス・キリストを拒み続ける同胞に対して悲しみと心の痛みを覚えないというのなら、それはキリスト者として不健全ではないだろうか。なぜなら、その悲しみ、心の痛みこそ、イエス・キリストの悲しみであり、心の痛みだからである。イエス・キリストは、すべての人を救うために、神から見捨てられるという十字架の死を死んでくださった。そのイエス・キリストの愛を知った者として、私たちもまた、同胞である日本人に、イエス・キリストの福音を忍耐強く宣べ伝えてゆきたいと願うのである。