2023.7.23 主日礼拝の案内

2023.7.23 主日礼拝の案内
 
週 報 78巻 30号 2023.7.23
 
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。

これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

(ローマの信徒への手紙12章1節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
 
奏楽  田 中  愛
 
<神の招き>
 
招 詞   イザヤ書42章1節
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
 
*讃 詠   545A
父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらのみさかえあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
 
*罪の告白と赦し 交読詩編130編1節~8節
1【都に上る歌。】
深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。
しかし、赦しはあなたのもとにあり
人はあなたを畏れ敬うのです。
わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。
イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かな贖いも主のもとに。
主は、イスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。
 
*讃美歌   Ⅱ編 1(1—3)
心を高くあげよう
1.  こころを高くあげよう(。
主のみ声にしたがい、
ただ主のみを見上げて、
こころを高くあげよう。
2.  霧のようなうれいも、
やみのような恐れも、
みなうしろに投げすて、
こころを高くあげよう。
3.  主から受けたすべてを、
ふたたび主にささげて、
きよきみ名をほめつつ、
こころを高くあげよう。
アーメン
 
<神の言葉>
 
聖 書
 
イザヤ書1章10節~17節   (旧約P.1061)
10  ソドムの支配者らよ、主の言葉を聞け。
ゴモラの民よ
わたしたちの神の教えに耳を傾けよ。
11  お前たちのささげる多くのいけにえが
わたしにとって何になろうか、と主は言われる。
雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に
わたしは飽いた。
雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。
12  こうしてわたしの顔を仰ぎ見に来るが
誰がお前たちにこれらのものを求めたか
わたしの庭を踏み荒らす者よ。
13  むなしい献げ物を再び持って来るな。
香の煙はわたしの忌み嫌うもの。
新月祭、安息日、祝祭など
災いを伴う集いにわたしは耐ええない。
14  お前たちの新月祭や、定められた日の祭りを
わたしは憎んでやまない。
それはわたしにとって、重荷でしかない。
それを担うのに疲れ果てた。
15  お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。
どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。
お前たちの血にまみれた手を
16  洗って、清くせよ。
悪い行いをわたしの目の前から取り除け。
悪を行うことをやめ
17  善を行うことを学び
裁きをどこまでも実行して
搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り
やもめの訴えを弁護せよ。
 
ローマの信徒への手紙 12章1節~2節(新約P.291)
1こ  ういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
 
祈 り                 松 谷 信 司
 
*讃美歌  187(1—2)
1.主よいのちの ことばを
あたえたまえ、わが身に。
われはもとむ、ひたすら
主よりたまう みかてを。
2.ガリラヤにて みかてを
わけたまいし わが主よ。
いまも、いける ことばを
あたえたまえ ゆたかに。
アーメン
 
 
説  教   「わたしたちのなすべき礼拝」鈴木 美津子
 
 
<神への応答>
 
*讃美歌   332(1—3)
1.主はいのちを あたえませり、
主は血しおを ながしませり。
  その死によりてぞ われは生きぬ、
われ何をなして 主にむくいし。
2.主は御父の  もとをはなれ、
わびしき世に 住みたまえり。
かくもわがために さかえをすつ、
われは主のために、 なにをすてし。
3.主はゆるしと いつくしみと
すくいをもて くだりませ。
ゆたけきたまもの 身にぞあまる、
ただ身とたまとを 献げまつらん。
アーメン
 
*使徒信条 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。

アーメン。

 
公 告  
 
*献金感謝 
 
*主の祈り(座席前そなえつけ) 
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
*頌 栄  542
世をこぞりて
ほめたたえよ、
みさかえつきせぬ
あまつかみを。
アーメン
 
 
*派遣と祝福
 
*後 奏  
 
礼拝当番
(今週)増田 裕子

(次週)松谷 信司

 
献金当番
(今週)安井 国雄  勝 理恵

(次週)菊地 晴子  星野  勇

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

 

2023.7.23~2023.7.29 の集会案内

2023.7.23~2023.7.29 の集会案内
      集 会

 
〇日曜学校            9:00

〇朝カフェ            休  会

〇クワイア練習          中  止

〇礼拝堂の清掃(有志)       礼 拝 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「充実した礼拝生活のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会は、9月14日(木)まで、

酷暑のため、例年通り休会にしております。

 
次 週 礼 拝
説教「一つの体を形づくる」   鈴木 美津子
イザヤ書44章1節~5節

ローマの信徒への手紙 12章3節~8節

 
讃美歌      田 中  愛
545B、19(1-3)、537(1-3)、191(1-3)、543

日曜学校説教 「葦の海の奇跡」  岩 本 道 子
出エジプト記14章19節~31節

2023.7.23 週報 教会からのお知らせ

2023.7.23 週報 教会からのお知らせ
◇次週7月30日(日) 14:00~ 埼玉4教会の集い(牧師、長老)

浦和教会にて行います。

 
平和記念礼拝のお知らせ
 8月13日(日)こどもとおとなの合同礼拝
 会衆一同で「平和を求める祈り」をいたします。

 礼拝後、「みんなでかき氷」をします。どなたもご参加ください。

 
【豪雨による秋田教会の状況】
先週の秋田地方の豪雨により、教会員家屋2軒が床上浸水、1軒が床下浸水の被害を受けました。どうぞ、お祈りにお覚え下さい。

 
【2023年度 東京中会 長老・執事・委員研修会予定】
日時・場所:11月23日(木・休)10:30~15:00 横浜海岸教会

主題:「今日における長老・執事・委員のつとめ

―キリストの体なる教会を建てるために―」

講師:冨永憲司(柏木教会牧師)

*今年度は対面形式を再開します。お祈りに覚え、ご予定ください。

 
◇猛暑が続いております。礼拝の前後には必ず水分補給を忘れずに
 お願いします。

2023.7.23 の週報掲載の説教

2023.7.23 の週報掲載の説教
<2023年5月21日説教から>
『失望しない人生』
ローマの信徒への手紙9章30節~33節
                   牧 師 鈴木美津子
 
見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く(33a)」。

なぜ、ユダヤ人は「行いによる義」という考えに固執してしまったのか。ユダヤ人はどうして、そこから抜け出すことができなかったのか。その理由をパウロは「彼らはつまずきの石につまずいた」のだと言う。「つまずきの石」とは、イエス・キリストのことである。特に十字架にかけられたメシアは、ユダヤ人にとって、つまずきであった。なぜなら、ユダヤ人にとって木にかけられた者は呪われた者だったからである。ユダヤ人たちにとって、そのようなメシアを信じることを通して、神の義を受け取ることができるとは、受け入れがたい「つまずきの石」だったのである。

しかし、神はこのつまずきの石に依り頼む者は、失望することがないと、預言者を通して語って来られた。この十字架のキリストにこそ、真の希望があり、このお方を他にして、救いへの道はない、ということである。
「十字架の死は、呪われた者の死」。そうであれば、今の時代の教会にそびえ立つ十字架も弱さの象徴、愚かさの象徴、不名誉極まりない「しるし」である。だから、この世の力や、この世の論理で、或いは私たちの都合で十字架を仰ぐ時、必ずと言っていいほどつまずくのである。理性では、到底理解できない。信仰の目で見ることができなければ、理解できないのである。だから主イエスにつまずく、福音につまずくのである。

しかし、私たちは、主イエスにつまずくのではなく、主イエスに立ち帰る者、行いで救われようとして、つまずくのではなく、主イエスに立ち帰ることによって救われる者。

私たちは、信仰の目で十字架を見上げる、見上げ続ける者。

私たちは、この世の論理に流されずに、御言葉によって約束された終わりの時に希望を持ち続け、神に感謝して、罪を犯しても悔い改め、そして常に主イエスに立ち帰る。その時、つまずきの石、妨げの岩こそが、我が救いであり、我が盾となるのである。

どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない。(39b)」私たちは、今日もそしてこれからも御国の完成に向かって、このキリストによって失望しない人生を歩み続けるのである。