2026.9.20 週報掲載の説教

2026.9.20 週報掲載の説教

【2026年7月5日の説教から】

『私の羊を飼いなさい』

ヨハネによる福音書21章15節〜23節

鈴木美津子

 
ヨハネ福音書の弟子たちの歩みは、「来なさい。そうすれば分かる」という主イエス・キリストの招きから始まり、「わたしに従いなさい」という招きで結ばれる。弟子たちは主イエスに従い、多くの奇跡を見、御言葉を聞き、豊かな恵みにあずかった。しかし十字架を前にすると恐れに支配され、ペトロは三度「イエスを知らない」と口にしてしまう。それでも彼らの歩みは失敗で終わらなかった。復活の主は弟子たちの前に現れ、ガリラヤ湖畔で食卓を共にし、まず彼らとの交わりを回復された。

食事の後、主はペトロに「ヨハネの子シモン」と呼びかけられる。「ペトロ」ではなく、最初に出会った時と同じ名で呼ばれたのは、教会の指導者としてではなく、一人の人として向き合われたからである。主は彼の弱さも失敗も悲しみも喜びもすべてご存じの上で、その名を呼ばれた。

続いて主は三度、「わたしを愛しているか」と問いかけられる。この問いは失敗を責めるためではなく、三度の否認を三度の愛の告白へと変え、ペトロを立ち上がらせるためであった。ペトロは「主よ、あなたがご存じです」と答える。自分を飾ることなく、自分をすべて知っておられる主に身を委ねたのである。

その告白を受け止めた主は、「わたしの羊を飼いなさい」と使命を託された。教会は人のものではなく、十字架によって贖われたキリストの教会である。だからこそ、主は赦した者を用い、ご自分の羊を委ねられる。教会の歩みは、主が先に愛し、赦し、託してくださる恵みから始まる。

さらに主は、「わたしに従いなさい」と再び招かれる。人と自分を比べるのではなく、それぞれに与えられた道を主と共に歩むよう招かれているのである。エゼキエル書が約束した「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。(エゼキエル34:11)」という言葉は、良い羊飼いイエス・キリストにおいて成就した。羊は最後まで主の羊であり、教会は最後まで主の教会である。主は今も私たち一人ひとりの名を知り、今日も静かに語りかけておられる。「わたしに従いなさい」と。