聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記38章1節-30節 2011年5月5日

 創世記38章1節-30節 2011年5月5日
 37章からヨセフ物語が始まったが、突然38章で、前章の流れは中断される。ヨセフ物語りは性格には「ヨセフを中心としたヤコブの息子たちの物語」ということなのであろう。
 34章では娘のディナが辱めを受け、シメオンとレビが報復をするという出来事があった。37章ではルベンを初めとするヨセフの兄たちがヨセフをイシュマエル人に売る相談をしている。そして38章でユダに焦点が当てられる。
 この話しを読む限りにおいて「ユダの罪」が強調されるように感じる。我々はこの箇所を罪の箇所として読むのか、もしくはそれ以外の御言葉として読むのか、そのことを考えつつ読み進めていきたい。
 ユダはカナン人シュアの娘を妻とした(名前はなく「シュアの娘」とだけ言われている)。ユダは妻との間に、長男エル、次男オナン、三男シェラをもうけた。ユダは長男エルにタマルという女性を嫁に迎えたが、エルが主の意に反したのでエルは死んでしまった。そこからこの物語が始まっていく。
 ユダはタマルに、次男オナンとの間に子を儲けよ、ということを命じた。これは当時の風習の中にあった「レビラート婚」もしくは「レビラート婚姻法」と言われる有名な規定で、旧約律法の中にも記されている(申命記25:5-6)。子が出来ないまま早くして夫を亡くした者は、夫の兄弟もしくは最も近い近親者との間によって子を儲けることができる、という法律である。この法律には拘束力があり、未亡人にはその権利があり、夫側の親族にはそれを果たす義務があった。(新約聖書のマタイ22:24ではレビラート婚を前提にサドカイ派の人がイエスに問答を仕掛けている)
 この法律は、未亡人のためにある法律と考えてよい。当時、子が生まれることはその家の祝福と見做された。従ってそれが叶わずに命の絶たれた家のためにこの慣習があったのである。その為タマルは夫の弟であるオナンとの間に子を儲けることとなった。
 しかしオナンは、生まれた子が自分の子ではなく「兄の子」となることを承服しなかった。彼はタマルとの関係の中で敢えて子が出来ないように振舞った。つまりそれが神の御心に反したということで、次男オナンも死んでしまうこととなったのである。
 これらによって想像出来ることは、エルとオナンの兄弟仲が大して良くなかった、否、悪かったのではないかということである。祖父ヤコブとエサウの兄弟仲、ヨセフと父である兄たちの兄弟仲が悪いのに加え、その息子たちも悪かった、ということは親が親なら子も子である、ということであろうか。
 さて、これを見たユダは三男のシェラもまた兄たちのように死なせてはならないと思い、タマルに近づけさせなかった。林嗣夫氏は「タマルは災いをもたらす不吉な女であるとして人間的な判断をした」と言っている。
 11節では「シェラが成人するまで~」とその期限が設定されているが、その後に「シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった」とあるように、これがユダの本心であるように思われる。とにかくユダはタマルに近づいて欲しくなかったのだ。
 この判断に対して、タマルは娼婦の格好をしユダと関係を持ち、彼女の画策したとおりユダとの間に子を儲けたのである。それがペレツとゼラであったことが最後に書かれている。冒頭でも言ったように、この話は「ユダの罪」がクローズアップされるように思われる。つまりユダ中心の物語としてこれを読むことが多いと思うのである。しかしここで視点を変えタマルの物語として読むならば、これが罪の物語ではなく、神の祝福の物語となる。
 タマルは何とかして子を授けられる事を願った。それで義父との間に子を儲けることを考え付くのである。考え付くというよりも、タマルにとって当然であったのかもしれない。なぜならば、それが彼女の常識であったからである。タマルが行なったような、義父との関係によって子を儲ける、ということは、現代の我々の感覚から言って、非常に不謹慎で、倫理上あり得ない事柄と感じるかもしれない。しかし聖書の中で法制化される前に、既にレビラート婚は古代東方諸国で一般的な慣習として行なわれていた。特にヘト人の間では、義父もその責任を負う、ということが認められていた。つまりタマルはヘト人であった可能性が高いのだ。そう考えるならば、タマルの行なったことは何ら非難されることではないと言えるだろう。
 彼女は三男シェラとの関係が絶たれたことを知ると、しばらく自分の父の家に無をひそめる事となった(11節)。タマルは満を持して行動にでた。タマルという言葉は「ほっそりした人」という意味だそうである。彼女が細く背の高い女性であったとするならば、神殿娼婦として道端に立ったとき、目立つ存在であったのかもしれない。
 また彼女は賢く振舞っている。それは保証の品として「印章と杖」(18節)を受け取っていることである。印章と杖は、身分保証書にもなりうる。コピーすることや、同じ物を大量生産できない時代である。羊のように同じような判別のつきにくい保証ではなく、彼の持ち物に着眼したことは、彼女の賢さである。
 彼女は計画を果たし、そこから3ヶ月身を潜めた。これもまた身ごもったことを確認するための期間であった。ユダはこの知らせに憤慨した。タマルが不義を犯したとなれば、身内関係者として生かしておくことは出来ない。姦淫を犯した女性は、祭司の娘は焼き殺され、一般の女性は石で打ち殺される規定になっていた。(だからと言って彼女が祭司の娘であるとも限らない。律法が出来る前の出来事だからである)。
 そこでタマルは保証の品を見せたのである。身ごもったのは自分の子であったことを認め、ユダは彼女の非常手段を肯定せざるを得なかった。ユダは罪を犯した。それは人間的な思いを優先させ、自分の身を守ることに執着した結果であった。しかしタマルは身を危険に晒しながらも、自分と神との関係の中で、正しいと思う事を行なったのであった。タマルの行動は、一方では「騙す」という決して正しいとは言えない行動でありながら、しかし自分の名誉と命の危険を冒してでもこのような措置にではことは賞賛に値するのである。
 特に彼女の境遇や、置かれた状況を考えて
みると分かるのではないか。タマルは長男と結婚した。しかしタマルの罪ではなく、長男エルの何らかの罪によってエルは早死にしてしまった。それはタマルによって、大変不幸なことであったに違いない。しかし律法はこのやもめに対して寛容であり、レビラート婚という措置を設けていた。そのため、彼女には将来を見ることが可能であった。しかしオナンは兄弟仲によるものか、自分の子にならない事を妬んでか、とにかく人間的な思いの中でタマル中心に考えることはしなかった。そしてオナンも死んでしまった。またやもめとなったタマルは、今度こそとばかりに三男シェラに期待をかけるのだが、今度は穢れた者を扱うかのように(言ってみればタマルは冤罪であるにもかかわらず、タマルが不吉であるかのように扱われ)、シェラが成人するまでという条件が提示された。彼女はこれを信じたのだろう。しかし「かなりの年月がたった」のち、シェラが成人したはずなのにその連絡はこなかった。その為彼女は非常手段に出た。義父との関係を得るための強硬手段に出たのだった。しかし義父がタマルの妊娠に気がついたとき、それは彼の犯した結果となっていた。彼は26節で語っている。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ」と。ユダは素直だった。自らの罪を認め、その原因・理由も理解していた。
 タマルの行為は、娼婦を装い半ば騙す形で子を得るということであった。これは決して手放しに賞賛されることではないかもしれない。しかし男性主導の家父長制社会を生きる女性として、レビラート婚の権利を人間的な感情で(しかもタマルに近づくと不吉である、という勝手な解釈のもとで)彼女は子を得る権利を奪われていたのだ。そうなればこうするより他はない。彼女には情状酌量の余地がある。
 タマルは人間による妨げをかき分けるようにして、神の約束(子の誕生)を得たのだ。決して人間の知恵や行いや努力を賞賛するものではないのだが、しかしヤコブが何とかして神の祝福を得ようとしたあの思いに通じるものがあると感じる。使徒パウロもフィリピ書で「私は既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」と言っているとおりである。
 
 最後にイエス・キリストとの関係について述べよう。タマルは異邦人(ヘト人?)であったのだが、彼女の祈りは神に聞き入れられた。この出来事を通して、さらにマタイ福音書1章のキリストの系図を見てみたい。興味深いことにヤコブの次はヨセフではなく、ユダがイエスの系図に繋がっていることが分かる。それはキリストが、異邦人も罪人も含めた、全ての人類の救いのためにお生まれになったことを示しているということである。
 聖書は決してユダヤ人のみの神なのではなく、ユダヤ人を罪人のモデルとして選び、人類の救済について語った神の言葉であると言える。タマルもまた、神の祝福と恵みのうちにあったのである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記37章1節-36節 2011年4月28日

 創世記37章1節-36節 2011年4月28日 祈祷会奨励
 37章から50章まではヨセフ物語です。かのゲーテは「旧約の中でヨセフ物語が特に文芸的な興味が深い」と言い、現代ではトーマス・マンが戦争亡命中に「ヨセフとその兄弟たち」という長編作品を書いています。このトーマス・マンは、このヨセフ物語を、人類物語の原型である、と言っています。それは、現代の我々のあり方の意味はこのヨセフ物語から解釈されねばならないということでありましょう。
 さて、今日の箇所で「ヤコブはカナン地方に住んでいた」とありますが、本当はヘブロンです。ここではヨセフが父ヤコブの偏愛を受けていることが明確に示されます。
 この偏愛とえこひいきは、兄弟たちの心をかきむしるものであったことは用意に想像できます。それはヨセフがヤコブの年寄り子であったということがその理由であるとされていました。実際にはヤコブがラケルしか愛していなかった、つまりラケルへの偏愛が反映されて、ヨセフに対しても同じように執着した、ということが言えると思います。
※(「袖の長い晴れ着」という言葉は実はどのような意味か分からないだそうです)
 しかし「イスラエルは、ヨセフが年寄り子であった」とありますが、実はこれは言いすぎです。ヨセフが生まれたとき、ヤコブはまだ働き盛りでした。当時の平均寿命とか、当時の労働条件等を加味すれば、年寄りであったのかもしれません。日本の農家でも昔は40代後半で隠居していたようです。
 
 兄弟たちはヨセフを憎み、殺そうと考えましたが、ルベンの「命まで取るのはよそう」という説得を受け入れて、売り飛ばすことで何とか我慢することとなったのです。彼らは「空の井戸」にヨセフを投げ入れました。
 
 ヨセフ物語は、当時の世界観や世界の流通事情が反映されています。イスラエル地方は、東側にメソポタミアの大平原が広がり、そこでは文化が栄え大帝国が起こりました。この当時の世界の二大文明であるエジプト文明とメソポタミア文明ですのちょうど中間にイスラエルは位置します。この二大文明の間には多くの流通貿易が行われました。東からは、シリアの都ダマスコを通り、ヨルダン川の東ギレアドを通り、ヨルダンを渡って、シケムを通って海岸平野に出て、海岸沿いにエジプトまで続く、というのが、イシュマエル人などの隊商たちのメイン道路であったということです。この意味でヨセフ物語は、エジプトという当時最大の文化の中心を踏まえた、国際的な大舞台の物語で、当時の状況を反映している物語であると言えるわけです。
 イシュマエル人はイシュマエルの子孫で砂漠の遊牧民です。平和なときには隊商として交易に従事し、事あれば農耕民を襲って略奪もする。それは海洋民族が通商もするし海賊になるのと似ているということです。彼らが商っているのは、主に「樹脂、乳香、没薬」という香料で、これは医薬品でもあるため、高価な品物でした。海上の大量輸送とは違い、らくだの背中に乗せて長い旅の間運ぶので大変なコストが掛かります。ですからよほど高価な品物でないと採算が取れないというわけです。
 最初はルベンの提案を受け入れた兄弟たちでありましたが、ユダの同じような提案をし、イシュマエル人に売り飛ばそうと言いますが、そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかって、彼らがイシュマエル人に売ってしまいました。
 穴から消えてしまったのを見たルベンは嘆きます。嘆くなら最初からこんな事をしなければよいのに、と思うのですが、人間の罪とはこういうものでして、後から反省しても後悔先に立たず、というのはこのことでありましょう。この状況を父ヤコブに伝えましたが、ヤコブの嘆きはそれ以上のものでした。
 ここではルベンだけは嘆いているのですが、その他の兄弟たちは、狡猾な手口を使って父を騙そうとします。つまり彼らの行なった事を隠すための隠蔽工作です。ヨセフの着物を取り、雄山羊の血に浸して野獣に食われたことにさせたのです。もちろんDNA鑑定などという物はありませんから、それを証拠にされてしまったヤコブは、全てを悟り、数日間嘆き悲しんだのでありました。
 ヨセフ物語を最初を読むとき一番感じるのは、人間の罪に関してであろうと思います。親の偏愛、兄弟の憎悪、そして実際に犯した罪、などです。しかしもう一つ、ヨセフが犯した罪、それは傲慢で、偉ぶった「天狗になっていた」という罪もあると思うのです。彼はえこひいきされていました。親の偏愛を一身に受けて、彼は自分が特別な者であることを自負し、アピールし、兄弟たちの気持ちを考えないところがあったのでしょう。聖書にはヨセフの傲慢についてはっきりと書かれてはいないのですが、しかし夢の話を悪びれもせずペラペラと話せる事を考え見れば、彼は少なくとも、兄弟たちの気持ちに対して鈍感であり、無頓着であったのではないかと思うのです。つまりここにあるのは、罪の数々です。それをヨセフ物語の一番始めに見せ付けられるのです。
 しかしこの章の最後の部分で、今後続いていく神様の大いなる計画と摂理について深く考えさせられます。最終的に行き着いた先は、ポティファルのところでした。彼はファラオの侍従長でした。ポティファルというのは、エジプトの言葉では「太陽神ラーの贈り物」という意味だそうです。このポティファルによって、異教の神々の場所にもたらされた一人の人物が、その後どのような歩みを与えられていくかは皆さんご存知の通りかもしれません。それがこれから50章まで続いていくわけですが、少なくとも、人間の目には罪と映る悪しきことであっても、憎悪、悪意、騙しと言った嘆かわしいことであっても、しあし神はその全てを予期に計らって下さる方であることを、これからの学びの中でみて生きたいと思います。人間が犯した罪が、神の下でよきものに変えられていく。自分の罪ゆえに招いてしまった悲劇が、同時に神の祝福に巻き込まれていく。取り返しのつかないことが、物語り全体の中で、全ての事柄が恵みとなっていく。その事を見ていきたいと思います。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記36章1節-43節 2011年4月21日

 創世記36章1節-43節 2011年4月21日 祈祷会奨励
「エサウの系図」
 エサウは何人もの妻を持つ。ヘテ人の娘アダ。ヒビ人の娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマトです。この事情は26章34節~35節にも書かれていますが、全く名前が異なっている。
 ヘテ人は申命記7章1節によるとか何の地の七つの原住民の筆頭民族である。アブラハムはサラが死んだとき、この「ヘテ人」からヘブロンにあるマクペラの洞穴を買い取った。ヘテ人ハ北方から来た先住の民族であり、文明は進んでいた。エサウは原住民ヘテ人の娘と結婚することによって原住民と強調的に過ごすことが出来ました。また、最も東に住むイシュマエルの娘を娶ることによって、東の民(アラビア)との友好関係を築いた。そのためエドムは広い地域を安定して確保できたといえる。
 36章の系図の著しい特徴は、それがまさにこの部分におかれているということにある。ヤコブに関する伝承の長い結論部分がエサウに関するものであることは、素晴らしいことである。ヤコブについての物語り全体を聞いてきた全ての人は、古い世代の事を忘れて新しい世代へと、すなわち、ヨセフへと向かう準備が出来ていることを知っている。しかしながら、伝承それ自体はそんなに急いではいない。伝承は、エサウを放っておくことに困難を感じている。そしてそのことが、明らかにヤコブの家族からの圧力と誠実さによって形成された一つの伝承にとっての重要な問題点を提起している。
 エサウは「ヤコブ物語」全体を通して敬意を持って扱われている。27章の長子の祝福が奪われる場面では、エサウは、人の心を動かさずにはおかない情感をもって描かれているし、33章の和解の場面においては、彼は高潔に描かれている。また36章7節では、エサウとヤコブの間の富の分割が論争によってではなく、実際的に、そして平和裏になされたことが述べられている。13章のロトの場合と同じように、富の分割は、エサウに対して何らの汚点も残していない。
 エサウはカナンをヤコブに明け渡し、自分はセイルに身を引いたと読むことが出来る。33章の場面ではヤコブとエサウのやり取りの中でエサウが好んでセイルに行っているように見えるが、36章の場面では、ヤコブのために身を引いたと受け取られる。
 全体的な印象として、聖書は暗黙のうちにエサウを褒め称えていると見ることができる。ヤコブ物語の中で、ただ一度として、エサウに対する痛烈な言葉というものは見当たらない。ヤコブに対する彼の怒りさえも、批判されることなく、正当なものとして描かれている。
 私たちは、ヤコブが選ばれ、エサウが長子の権利を軽んじたという出来事を見てきたため、あまりも割り切って聖書がエサウを否定していると考えがちである。確かに聖書はヤコブを選んでいると伝える。しかしもっと正確に聖書のメッセージを語るならば、聖書はヤコブを選んでいるけれども、しかしエサウが拒否されているわけでもない、という事が言えるだろう。それは既に、女奴隷ハガルや、その息子イシュマエルに対して祝福の言葉と守りが備えられているようにである(16章)。もっと遡って言うならば、カインとアベルの争いによって、アベルを殺してしまったカインに対し、神は彼を追放するのであるが、しかし最終的に彼に与えられた言葉は、4章13節~16節の祝福の言葉であった。
 
 使徒言行録14章16節には「神は過ぎ去った時代には、全ての国の人が思い思いの道を行くままにしておられました。しかし神はご自分の事を証ししないでおられたわけではありません。」このようなパウロの言葉がある。しかし今やこの時代は過ぎ去ったとパウロは言う。つまりこれまでは別々の歩みをしてきた異邦人たちも、ユダヤ人たちも、ギリシャ人たちも、全てのひとがこぞって主を賛美し、主の御名をあがめる日がやってきたのだ。それこそが主イエス・キリストの十字架と復活である。
 キリストが我々の間に立ち給うならば、そこにはそれぞれの差異を越え、民族の違いを越え、生き方の違いを越えたもの同士が、キリストの復活に与ることが出来る。そこ現実をいま受難週のこの時に改めて感じさせられたいと思うものである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記35章1節-28節 2011年4月14日

創世記35章1節-28節 2011年4月14日
1節~4節
 シメオンとレビが犯した虐殺に対し、周囲諸民族たちはその報復を考えていたはずである。新参者というだけでも肩身が狭いのに、その新参者たちが大勢を殺したとなれば、周辺諸民族が黙っているわけがない。そのため神は「さあ、べテルにのぼり、そこに住みなさい」と言われた。神はヤコブ一家に対し、逃れのための命令と、新しくやり直す言葉を与えた。
 1節の「神のための祭壇」や2節の「服装を変えること」は、心機一転させるための表面的な変化ではなく、恨みを持つ人たちから逃れるためだけのものでもなく、また、報復に対して軍備を備えるということでもない。これはヤコブ家の宗教改革であった(渡辺)。身につけてい外国の神々とそれに関連する全ての習慣と装飾品を捨て、真の神に立ち返ろうとしたのである。それはアブラハム、イサク、そしてヤコブの神への立ち返りであった。
5節~15節
 彼らはシケムを立ち、べテルについた。神は逃れた彼らを追跡することなく(5節)無事にこの土地まで行かせた
 ここで乳母のデボラが死んだことが述べられている。デボラとはリベカの乳母であり、イサクと結婚するときに一緒に(24章59節)ついて来た乳母である。リベカはこの時やコブと対面する前に亡くなっていたと考えられるが、デボラは3世代に亘って長寿であったという。
 重要なことは、彼女が死んだとき「嘆きの樫の木」の下に葬られたということから、彼女が大変慕われていたということである。ヤコブの家でも屋台骨を支える柱となっていたのかもしれない。
16節~29節
 ヤコブの家はベテルから南下し、父イサクの住む、ヘブロンのマムレに向けて出発した。
 これまでの道のりを考えるならば、ヤコブはイサクに対して特に愛着を感じていなかったようである。パダンアラム(ラバンのところ)にいた時に「親族の下へ行け」と神に示されたのち、ヤボクでエサウと20年ぶりの再会を果たす。しかしエサウの「ヤボクの南にあるセイルで一緒に暮らそう」という申し出を断り、ヤボクから遠くない「スコト」に留まった。その後すぐにべテルに行くわけでも、ヘブロンに向かうわけでもなく、シケムでぐずぐずとしていたために「息子たちの罪」を招いてしまう。そこで父と再会するのであるが、パダンアラムを出てから父に会うのが明らかに遅いように思う。つまり「父はエサウを愛し、母はヤコブを愛した」のは、「エサウは父を愛し、ヤコブは母を愛した」ということを示しているのだろう。
 最終的にエサウとヤコブに看取られてイサクはその生涯を終えるわけであるが、その前にヤコブは最愛のラケルの死を迎えるのである。
 (16節)一同がべテルを出発した後、ラケルは産気づいた。かなりの難産であったため、その苦しみは大変なものであったようだ。彼女は生まれた子に「ベン・オニ」(私の苦しみの子)と名づけたが、それでは耐えられないと思ったのであろう、ヤコブは「ベニヤミン」(幸いの子)と名づけた。
19節~22節
 19節以下~22節はヤコブ一家にとって衝撃的な出来事であり、父ヤコブに対する侮辱でもあった。なぜこのような事が起きたのかは分からないが、おそらくラケルの死によって、ラケル所有の側女であるビルハの(所謂)所有問題が起こったのかもしれない。いずれにしてもルベンはレアの子でありヤコブ家の長男であるが、その彼がビルハと関係を持ったということは、ヤコブ家の罪を現している。父に対して罪を犯し、母レア、ラケルに対しても罪を犯し、姦通の罪ということで、自らの命への罪を犯している。
 渡辺信夫は次のように言う。「ラケルの死は、ヤコブ一家にとって衝撃的な事件であり、その衝撃は必ずしも人々を精神的に高めるのではなく、むしろ刹那的快楽に陥らせない歯止めになっていた支えを取り外す作用をします。イザヤ書22章13節に『我々は食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』という不信仰の世界で横行する諺が惹かれています。死の陰がチラチラするところでは性の快楽への誘いが活発化します。この諺をコリント前書15章32節が引用するところであきらかになりますが、死の衝撃には死人の復活を対置させなければ、人間の崩壊を食い止めることはできません」
 とにかく、ここに出てくるのはイスラエルの(選ばれた)12部族の始祖たちである、ということである。つまりこの始祖たちの罪の数々を見る限りでは、決して「選ばれた」という言葉を使うことが出来ないほどに彼らの行いは汚れている。しかし神はこの罪深い12部族を選んだのだ。それは美しく、清く、正しい、聖なる民であるからではない。申命記7章6節~9節にある約束の言葉がそれを証している(旧約292頁)

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記33章1節-19節 2011年3月31日

 創世記33章1節-19節 2011年3月31日
 32章では「ヤボクの渡し」で神と格闘する。正確には「神の使いと思わしき者と格闘する」のであった。ヤコブは大腿骨をいとも簡単に外された。そこで神の力に驚く。彼はここで肢体不自由となったのであろうが、そこで神との出会いを受けた。
 1節-2節、6節-7節の順序は何を意味しているのか。好きな順番という感じがするが、もっと具体的に言うと、大事な順に挨拶をさせていき、安全をはかっていった、ということである。最初にエサウと会わせて大丈夫なら次、という感じであった。今ではこのようなことはまかり通らないと思うが、古代の話であることを前提にするとこれはまかり通るのであった。
 エサウは走りよってヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口付けし、共に泣いた。放蕩息子のたとえの中で、父親が放蕩の限りを尽くして帰ってきたろくでもない息子を快く迎え、帰ってきたことを大歓迎し、祝いの宴をもうけた。あの放蕩息子のように、ヤコブは出迎えられたのである。しかしなぜこのように和解できたのだろうか。
 それは「7度地にひれ伏した」という言葉が現している。普通敬いとしてひれ伏すのは3度と決まっていた。しかし王に謁見する時ばかりは7度ひれ伏す、と決められていた。つまりヤコブはエサウに対して、王に対するのと同じ7度ひれ伏して思いを表した。それによってエサウの心が何らかの仕方で変化したかどうかは分からない。聖書には書いていない。しかしエサウにとって400人のお供を連れてヤコブを迎えに来たことから鑑みると、エサウの中に全く警戒心がなかったかというとそうではないと感じる。つまりエサウはヤコブに不信感を抱いていたのだ。ヤコブも不安だったがエサウも不安だったのだ。
 しかし不安は7度のひれ伏しによって解消されたと言える。それはヤコブの悔い改めであった。彼は自分の行いに対して、悔い改めをもって兄を敬った。あの放蕩息子は父から受け継いだ財産を全て使い果たし、一文無しになったのであるが、あの息子は自分のふがいなさと間違いに気付き、自分の生きる場所に戻りたいという悔い改めをもって父の元に返ってきたのだ。それを父は受け入れた。
 エサウはこの父と全く同じであるかどうかは別として、いずれにしてもこの中に書かれているのは、悔い改めと赦しという出来事なのである。
 ヤコブはプレゼントを渡そうとする。彼はこれを是非受け取ってもらわねばならなかったものなのであった。しかしエサウは最初は遠慮する(9節)。しかし是非に、という言葉に促されて「しきりにすすめたので」(11節)受け取った。
 このように11節まではヤコブが兄エサウと和解するまでの出来事が描かれていた。しかし12節からは少し変わってくる。「さあ一緒に出掛けよう」(12節)。「わたしが連れている者を何人かお前のところに残しておくことにしよう」(15節)。エサウの申し出を何度も断り続けたヤコブは、なぜこのようにしたのであろうか。
 それは、ヤコブがまだ警戒していたからである。一緒に行こう、という申し出も、護衛の者をつけてやろう、という申し出も、断ったのは、つまり早くエサウと別れたかったからである、と考えることが出来る。ヤコブは大変慎重にことを進めようとしていたのである。まだエサウを信じきっていなかったと言ってもよいかもしれない。それはエサウの好意に疑いを持っていたから、というよりも、自分の内なる思い、つまり自ら犯した罪の重さが彼をそのように疑い、不安し、恐れさせていたのであろうと思う。
 しかし今日の箇所で注目すべき言葉がある。それは10節である。「いいえ、もしご好意を頂けるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取り下さい。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えてくださったのですから」
 この言葉は少なからず戸惑いを感じさせる。それは兄の顔が神の顔のようだ、と言っているからだ。うがった見方をすれば、人間を神格化しているかのような言葉として受け取られてしまいかねない。しかしこの言葉は非常に重要である。実はこの箇所はヤコブとエサウの再会、という一連の出来事の流れの中で「顔」が一つのモティーフとして現れている。32章20節「~ヤコブは贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば~」。32章31節「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」。そして33章10節である。
 ここで考えたいのは、ヤコブは兄の顔を見ることが神の顔を見ることに似ている何かを見つけたということである。聖なる神の中に疎遠な兄の何かがあり、赦す兄の中に祝福する聖なる神の何かを見出したのである。ヤコブは兄の顔を直視できなかった。しかし直視するために彼は、なだめの贈り物を捧げ、7度ひれ伏し、最善を尽くして罪の贖いを求めた。我々が神の顔を見ることが出来ないのは、我々が罪を持っているからである。我々が顔向けできない神に対して、我々その御顔を仰ごうとする。それは罪の告白と赦しの中で、神と人間の関係が正常化していくことによって、神の顔を仰ぐことへと向き直らされていくのである。言い換えるならば、ヤコブは自分の罪の重さに気付いていたために、神の顔を見ることの出来ない思いを持っていた。私たちも、嘘をついたとき、悪い事をしたとき、何か自分の中に顔向けできない何かがあるとき、その当事者の顔を見ることができないように、我々は神の御顔を仰ぐことができないのだ。
 そして、この10節の言葉から考えられるのは「赦しという行為が存在する中に、神の存在が垣間見られる」ということである。エサウは神ではないし、神と呼べる何物も持っていない。しかし罪を犯したヤコブにとっては、兄の赦しは、神の赦しに匹敵するようにさえ思えた大きさを持っていたのである。勿論聖書も、神とエサウを混同してしまうような読み方を許しているのではない。しかし、天上の事柄と地上の事柄が全く乖離されたところにあるのではないということ。世俗的な事柄と神聖な事柄が全く相容れないものではなく、その両者の中にある、何かをここに見出すのである。
 大事なのは、「エサウが赦し得たことを賞賛する」ことではない。また、「ヤコブが7度ひれ伏したから赦した」というような、原因と結果の事柄としてエサウの赦しを捉えることで
もない。ヤコブは兄と出会う事を求められていたし、兄は赦す事を求められていたということである。もっと突っ込んで言うならば、32章で大腿骨を外されたヤコブが、その後片足が不自由になって生きる事を余儀なくされたことを通して、その不自由さを神の自由の中で祝福として受け止めたとき、そこに神の存在が立ち上がったのであろうと思う。さらにエサウがヤコブに父からの祝福を奪われてしまい、殺意を抱くまでに憎んだあの出来事を通して、その中にある神の御旨と御意とを受けとめ、その喪失を絶望と受け取らずに神の与え給う喪失であると受け止めたとき、そこに神の姿が立ち上がったのではないかと思うのである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記30章25節‐31章16節 2011年2月17日

 創世記30章25節‐31章16節 2011年2月17日
 ラケルとの子どもであるヨセフが生まれるや否や、ヤコブは故郷に戻る事を決意します。それはラバンとの争いの始まりを意味していました。ラバンはヤコブに対し、巧妙で注意深い言い方によって彼を引き留めようとします。ヤコブは20年もの間、ラバンのところで働いてきました。もともと7年の約束であったわけですが、それが14年に延び、その後さらに6年間ラバンの家に留まって働いていたのです。これは現代的には不正就労と言えるでしょう。リベカを嫁にやったのだからもう少し働いてくれ(・・と言った」かどうか分かりませんが)そのままヤコブを働かせていたのです。14年がもともとの労働契約であったのが、ラバンの巧みな言葉に言いくるめられたのです。
 ラバンは不正に働かせることによって多くの恵みを受けました。当時は多くの財産を得ることは、その家が祝福されている証とされましたから、ヤコブによってもたらされた恵みは、そのままラバンへの祝福となったのです。しかしラバンはここで得たものをヤコブと分け合おうとしませんでした。ラバンは得た恵みを全て自分の懐に入れようとしたのです。現代的には「業務上横領」的な悪だくみであります。そのやり方はまさに詐欺的な掠め取りでありました。
 ヤコブの願いは愛する妻子たちとの独立でした。所謂「暖簾け」を求めたのですが、これは、当時としてはごく自然に行われていたものと考えられます。かつてアブラハムの僕達と甥のロトの僕達との折り合いが悪くなった時、ロトへ暖簾分けとして「肥沃な土地」を選ばせたアブラハムの姿に私たちは感銘を受けました。アブラハムは本家の優越を捨てて、分家に選択権を与えているのです。自分の場所はどこでも良いから、これからの(若い)人「ロト」のために、好きな場所を選ばせたのです。
 しかしこの箇所でラバンが行なった暖簾分けは、ラバンにとって格段に有利であり、ヤコブにとって不利な条件が提示されています。ヤコブは自分の置かれている立場上、強く権利を主張するわけにもいかず、不利な条件を飲むしかなかったのでしょう。本来ヤコブは、彼の功績から言って、ラバンよりも多くの財産を分けてもらう権利をもっていました。しかしラバンに有利なものにしておかないと、独立する承諾を得られないと考えたのでしょう。ヤコブはこの不利な条件を自ら提示したのです。ここでラバンとヤコブとの間に不平等条約が結ばれました。
 ここで出されたのは、羊とヤギの、しかも黒みがかったもの、まだらとぶちのある見た目によごれのあるものだけを下さい、というものだったのですが、しかしラバンはそれすらも渡す事を惜しんで、裏工作を行い、息子たちにそれら黒味がかった家畜たちをあらかじめ手渡していたのです。あたかも現代の欲深な資産家が、儲けの大半を税金に持っていかれることを拒んで、家族に別会社を作らせ、そこに資産を分けて脱税するかのように、巧みなやり方で、一つの財産も渡すものかと躍起になっている様子を見るのです。
 
 ヤコブはラバンにとって義理の息子であり家族であります。勿論、当時の家や結婚の感覚が、今の企業間の買収とM&Aの関係などに似ている、と何度も言ってきましたが、その観点から鑑みるならば、娘の夫であるヤコブは他の企業の社長であり、ラバンの実の息子たちが「ラバン ホールディングス」の系列会社ということになります。ですから出来るだけ財産の流用を押さえたい、という思いが働いたのでしょう。しかし誰のおかげでここまでの財をなしたのかを考えれば、ヤコブの功績を認めれば良いと思うのですが、彼はそうしませんでした。ラバンはそれを失うことが惜しかったのです。ですから彼は占いの結果とでも何とでも言いながら、ヤコブに労働力として留まらせるように説得したのです。
 しかしヤコブに対する主の導きはラバンのところに留まることではありませんでした。あくまでも悪条件を提示してまでも独立することだったのです。32節以下に書かれているヤギと羊の条件に対してラバンは息子に税金対策的な策略を施すのですけれども、それに対して37節でのヤコブはそれよりも一枚上手であったことが分かります。しかし「ポプラとアーモンドとプラタナスの木の枝を取ってきて皮をはぎ~」と書かれているこの行為は、一種のおまじないのようなもので、これをしたから効果があった、というものでありません。しかし彼は神の御手に従って、圧倒的に強い叔父ラバンの策略をかいくぐって、自分たち家族の独立と財産分与のために戦う姿を見ることができます。結果的にここで起こったのは、白いヤギと羊から、黒みがかったものと、まだらとぶちのあるものが多く生まれ、それが全てヤコブのものとなっていった、という事が示されます。人間の策略の中に生きたラバンと、神の導きに生きたヤコブの対照的な結果が表されます。
 
 さて31章に入りますと、今度はラバンの息子たちがヤコブに言いがかりをつけています。「父のものをごまかして、あの富を築き上げた」とは、随分な言い掛かりです。むしろヤコブのものをごまかしてあの富を築いたのが父ラバンであることに息子たちは気付いていないのでしょうか。しかしその後「故郷に帰りなさい」という主の言葉を聞いたヤコブは、その決心を固めていきます。「わたしの報酬を10回も変えた」と言われているのは、ヤコブに約束された条件(黒みがかったとか、まだらだとかいう条件)をコロコロと変えている状況が言われています。ラバンはその都度条件を変え、「やはり黒みがかったのは私のだ」とすれば今度は白い羊ばかりが生まれ「やっぱり白いのが私のだ」と条件を変えれば黒いのしか生まれてこなくなる、という状況を言っているのでしょう。つまりヤコブの策略ではなく、創造者である神様が為さりたいようになさった結果が示されているのです。
 確かに人間の目には明らかに神がかった出来事ですからラバンの息子たちは不正と受け取ったのでしょう。しかしこれこそが神のなさったことであったのです。つまりヤコブをもといた故郷に戻すための準備をなし、そのための蓄えと、それ以降の生活のための備えをさせていたのです。
 今日の箇所で最も印象深い言葉は「私はあなたと共にいる」という言葉と、そして2節と5節にある「あなたたちのお父さんは、私に対して以前とは態度が変わった」という言葉であります。ヤコブはラバ
ンを主人としてこの20年間働き続けてきました。しかしいざとなるとラバンは、自分の私利私欲のために条件を変え、何とか自分の私服を肥やし、一生懸命働いたヤコブのためには何もしませんでした。最終的な暖簾分けの時でさえも裏工作をして、実の息子たちにあらかじめ財産分与をし、財産の流出を押さえようと躍起になったのです。その条件は自分の有利なように、10回も変え続けたのです。自らの利益のためにコロコロと蝙蝠のように条件を変え続けるラバンの姿(人間の姿)をここに見ます。聖書は、は「あなたたちのお父さんは私に対して態度が変わった」という言葉に示されるように、これこそが「人間の主人である」と言っているのです。
 しかし神は如何なる方であり給うのか。神は我らと共にいまし、今いまし、昔いまし、永遠に居まし給う方。「草は枯れ、花は散る、しかし私たちの神の言葉は永遠に変わることがない」と言われた、変わらぬ真実と真理をお持ちの主人。この方こそが「我々の神である」と聖書は言うのです。
 そして今や、ヤコブは20年もの逃れの生活終止符を打ち、故郷に戻る事を決意するのです。それは「父と母の待つ場所」を意味しません。母はもうおらず、衰えた父と、自分を憎む兄の待つ困難な場所。諍いを投げ出して逃げてきたあの場所、一度時間の止まったあの場所に、和解と悔い改めを求めて、もう一度戻る事を決意するのです。これまでの経験と導きが、ヤコブをどのように変えたのか。果たしてエサウの怒りと憎しみはどのように変えられたのか。もしくは変わっていないのか。その場所に向けて、決して容易ではない場所に向けて歩みだすのであります。