主日礼拝説教使徒言行録6章8節-15節

主日礼拝説教使徒言行録6章8節-15節  『その顔は天使の顔のように見えた』  2010年8月29日

 先週私たちは、初代教会の人たちの中で起こった、問題についてみてまいりました。それはギリシャ語を話すユダヤ人、いわゆるヘレニストと、ヘブライ語を話すユダヤ人、いわゆるヘブライ人との間に起こった問題でした。社会的弱者としてのやもめへの配慮が欠けているという事で苦情が出たため、初代教会は「霊と知恵に満ちた人物」を7名選び、それに按手をして教会の働きに就けた、という内容でありました。
 この時選ばれた7人は、ヘレニストとヘブライ人の代表者をそれぞれ選んだというのではなく全員がヘレニストでありました。つまり教会という場所とその教えは、社会的弱者、弱い人、苦しむ人に対して、神の愛と施しを行なうために建てられ、存在している場所だということなのです。私たちの教会は、強い者に迎合し、強い者に味方して生きることではなく、弱く苦しんでいる者たちのために、神の言葉を語り、具体的な奉仕をするように促されているのであります。その事を前回の箇所から聞くことができました。

 しかし今日の箇所では、そのヘレニストたちが問題になっています。ステファノは、選ばれた7人の「霊と知恵に満ちた人たち」の一人でしたから、その言葉においても、信仰においても、人を惹き付け、説得力を持っていたのでしょう。8節には「ステファノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の間で行なっていた」と書かれております。彼の働きは民衆の心を打ち、また弱る者たちを強め、困る者たちを助ける善き働いをしていた、ということであります。

 しかしそのステファノと真っ向から対立する人々が現われました。「キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々」であります。彼らはが「立ち上がり、ステファノと議論した」とあります。この「解放された奴隷の会堂に属する人々」というのには、云われがあります。古代ローマ帝国時代、紀元前63年にポンペイウスがエルサレムを攻め滅ぼしたことがありました。そのときユダヤ人の捕虜をローマに連れ帰り、奴隷としたのですが、その後間もなく彼らは解放されました。その自由の身となった人たちが、エルサレムに戻ってきて自分たちのシナゴーグ、すなわち「ユダヤ人の会堂」をつくりました。それがここに出てくる「解放された奴隷の会堂」というわけです。また、そこに集まった人々の中には、「キレネとアレクサンドリアの出身者と、キリキア州とアジア州の出身者がいた」と書かれていることから想像しますと、この会堂に属する人たちは「ヘレニスト」であったことが分かります。ヘレニストということは、あの初代教会の中で弱者の立場にあった、やもめたちの立場、ということです。つまり前の箇所では「弱者」として登場したヘレニストが、今度は「強者」「敵対者」として登場してくるわけです。

 そしてこのステファノも同じくヘレニストでありましたから、同じギリシャ語を語る仲間に対して、キリストを伝えるという使命感に燃えていたのでしょう。その情熱を持って多くの議論が交わされたと言います。しかし結果は「知恵と霊によって語った」ステファノに、ヘレニストたちは完全に歯が立たず、太刀打ちできませんでした。主イエスこそ、キリストであるという事を理路整然と語ったことにより、ヘレニストたちは全く反論できなかったということでありましょう。

 しかしこのステファノの言葉は、単なる理論や理詰めの論争、ということではなく、「知恵と霊に満ちた」という言葉から分かりますように、彼の言葉には真実があり、誠実があり、神の義と、神の愛に満ちて

8月15日 敗戦記念日集会 講演

 8月15日 敗戦記念日集会 講演会  朴寿吉(パク・スギル)氏(在日大韓基督教会牧師)

『世界の平和を願って』 ― 在日大韓基督教会の平和教育と関連して ―


はじめに
 1910年8月は韓国が日本の植民地になった時で、今年が丁度100周年になる。特に、今日は太平洋戦争で日本が敗戦して65周年の年にもなる。戦後の日本は平和憲法のもとで今まで平和的に過ごし、経済的な発展を遂げて来た。
 21世紀に入り、また科学技術も想像を超えるように進歩して来たと言えるであろう。しかし、人間の社会が進歩して来たのかと問われたら、答えに迷う人がいるかも知れない。確かに、古代の奴隷社会よりも、現代の資本主義社会の方が人間の平等と福祉をより実現している面は認めなければならないであろう。だが、現代の社会がどのような人間をも公平に扱っていると断言する人はいないであろう。
 今日、科学と技術の発展と共に教育環境に革命的な変化を与えている分野が情報化技術である。「マルチ・メディア」によって、もっと本格的に吹いてくる、ポストモダン(Post-modern)の世界は我々の日常生活をすでに深刻に揺さぶっている。

1.平和をつくり出す教会の教育
 先ず教育とは何かという定義をして見る必要性があると思う。定義は理解を明確にし、思想や行動に方向を与え、相互関係のために共通の基盤を提供して、意見の不一致がある中でも人々が共に考えることを可能にする。
コロサイの信徒への手紙・3章9~10節に「あなたがたは、古い人をその行いと一緒に脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」と記され、第二コリントの信徒への手紙二・3章18節に「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」と記されている。
人間の内にキリストのかたちを形成するのは神の業である。即ち神の恩寵の業であり、奇蹟である。神は聖霊を通して人間の内にキリストのかたちを形成される。そのキリストの仲保媒介性において、聖霊を通して行われる人間形成の業が平和をつくり出す教会の教育なのである。
 私たちが教育の根本目的を考える時、個人と社会は決して分離して考えることはできない。 教育は個人を主体にし、社会をその場とすることによって成される作用である。学ぶ喜びを体験し、継承することなしに、教育を具体的に考え、それに取り組むことはできないと思う。
 また、寛容は決して真理に対する無関心を意味しない。確固たる確信を持つことは、寛容の必要条件である。自分と対立思想の持ち主に対し、無関心を装うことが寛容なのではない。対立を対立と認めながら自分自身の立場に潜む相対性と不完全を率直に認め、学問の多元性を維持しようと努める時、私たちは寛容の精神を現実化できるのではなかろうか。

2.在日大韓基督教会の平和教育宣教
 在日社会は、戦前・戦後を通してその大半は苦節の生活を強いられてきた時代であった。1970年代からの在日の生活権確立と人間の尊厳への取り組みは、在日をはじめそれまでの外国人に対する閉鎖的な日本社会において、外国人の人権問題がすでに避けて通れない社会的な課題となった。この間徐々にではあるが、法的・制度的及び社会的差別が解消され、在日の生活の安定にも大きな影響を与えてきた。その延長線上に「多民族・多文化共生社会」という21世紀へのビジョンが明確にされてきた。
 また、在日社会は今日多様化に直面している。在日社会の構成員の多様化やアイデンティティーの多様化である。在日社会の世代交代が進み、一世はごく少数となり、日本生まれの世代に中心が移り、すでに五世も生まれている。国際結婚による多国籍家族、日本籍取得者、また80年代以降来日した新一世及びその二世も増加している。後者はそれぞれの世代、地域性や生活環境、民族教育の有無、母語の使用、民族名使用の有無等を背景としての民族的アイデンティティーの多様化である。これらの多様化は在日コリアンのライフ・スタイルにも関係している。
 21世紀における日本社会の目指すビジョンは「多民族・多文化共生社会」の実現である。日本社会は外国人と日本人の「共生」を達成し、新しい時代を迎えるために、新しい価値観が必要である。外国人の人権と民族的・文化的独自性、そして地域社会の住民としての地位と権利を包括的に保障することが不可欠である。同時に在日社会においてもそれに向けたライフ・スタイルの変化、すなわち責任をもって自らの住む地域社会に参画し、その発展を共に切り拓くことが求められている。
 ここで、在日の歴史や現況を確実に捉えて、宣教戦略の可能性を共に見出して行きたい。それには今までの情報や経験を生かしながら、その具体的な戦略を話し合って行くことが望ましい。在日大韓基督教会は、2008年に宣教100周年を迎え、自らの方向性をもう一度確かめながらその信仰継承をして行くために、どのような教会の教育をして行くべきかを考えて見た。過去の歴史を振り返る必要性と100周年を記念し、多元的な教育宣教について共に取り組んで行きたい次第である。


3. 教会の教育的使命
 教会は、全ての人間が神御自身の姿に似せて造られたから人間を神と対話する「神の子ども」(ヨハネによる福音書・1章12節)として、あるいは「神の家族」(エフェソの信徒への手紙・2章19節)として見ている。「神の家族」形成はただ他者の「ために」ではなく、生命あるものと「共に」という視点を持っている。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」(ローマの信徒への手紙・12章15節)教会である。
 また、教会はキリストの十字架と復活を通して神と人間との霊的であり、人格的関係の出来事が発生する信仰共同体である。教会は永遠と時間が交差する神の啓示的な出来事と人間の応答が出会って、絶えず創造していく神秘的共同体である。
 その共同体の中で、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」とキリストは痛みをもつ者に対して、語っておられるのである。そして、弱さと痛みの極限にいる者と痛みを共にして下さるという恵み、これが福音なのである。
 このように、教会は、この世にあって様々な痛みを持つ人々に対し
て、特に、愛する者と死別し、悲嘆の過程にいる人に対して、キリストの愛、「神の痛みに基礎づけられし愛」を示すために奉仕をするという役割があるのである。
 この意味で教会はいつも社会より一歩先立てて行くべきである。これは神的命令である。そしてこのような状況が教会をもっと教育する教会に要請しているのである。
 生活と仕事の教育的意味の解明を通して、我々が整理してみることができる確かな教訓は、教会が教育的使命を正しく遂行するために、学校の教育理解と教育方法を無反省的に受容することを中止しようとする事実である。
主イエスは12弟子と共に生活しながら教えられた。教育と生活が分離されていなかった。教えと生活と仕事が一つであった。教育の本質である生活と仕事を教会が回復していく事が今日の教会の教育的使命なのである。

終わりに:共に生き、共に生かし合う社会を
 「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(ペトロの手紙一・2章9節)
 ここにはペテロの驚きがある。「驚くべき光」の中に招き入れられている。我々の教会は「驚くべき光」の中に、暗闇を照らす光、否定を肯定に変える光の中に包まれている。この光のゆえに自分の弱さが誇り(コリントの信徒への手紙二・12章9節)となる世界の中に生かされている。このキリストの光に包まれて、否定的なことも肯定して受け入れ、しかも、それを今生きる力にしてしまう。こんな明るい心を育て合う教会になれたらと思う。

 2004年の8月、第24回世界改革教会連盟(WARC)総会がアフリカ・ガーナにて開催され、代議員として出席する機会が与えられた。全世界107カ国の218教団・教派からキリスト者が1,000名程集まる世界会議であった。
 その時、“巡礼の旅”と称したフィールド・トリップがもたれ、15世紀末頃からアフリカの人々を奴隷としてヨーロッパやアメリカ大陸に運ばれた拠点であったCape Coastとエルミナ港にある奴隷城なども訪ねた。暗い奴隷地下牢で、韓国から参加された女性神学者とある黒人の方は500年前の黒人奴隷のつらさを思いすすり泣きをし、ある白人の方は涙して告白した。それは、自分たち白人は宗教改革の頃、教会の教理に対しては命をかけて戦っていたが、実はその時にも、目の前にいる、最も汚くつらい仕事をさせられ、最も虐げられている黒人奴隷のことは全く眼中にもなく、むしろ彼らが奴隷でいるのは当然であると考えていたのではないかという点であった。この黒人奴隷の問題に対しても共に戦い、黒人達は奴隷から解放されるべきであるのに、そのようなことには全く気付かなかったという自分たち白人の罪を告白し、悔い改めて泣いていたのであった。
 その会議では、主に南北の経済格差について話し合われた。私自身も、現在においてはアメリカ、ヨーロッパ諸国、日本同様、経済的には北側の豊かな国に属しているものである。そして日頃の生活の中で自分の豊かさに慣れ、貧しい南に属する人々を顧みていない罪を示され、悔い改めた。私がその時、見てきたアフリカの現状や、今なお貧しい国々に対する正しい理解と支援などを伝えていき、いと小さき者と共に生きるという平和教育をしていく事も、我々の使命の一つであると考える。

 私は、自分が住む周辺の兄弟姉妹が負わされてきた歴史に対峙する姿勢が必要であると思う。最近までのイラク戦争を見ても、強力な軍事力によって人々は決して動かされないことが、悲しい形で証明されていた。力によって人に強制するものではなく、魅力によって人を引き付けるものを提示する平和教育が求められる。
平和とは、ただ戦争がない状態であればいいのかというとそれはむしろ消極的平和である。本当の平和とは、一人一人が安全であり、人権が保障されている状態であると言える。そしてその様な状態を作り出す者もまた私たち一人一人なのである。そのために自らを教育し、教育されていく必要があるのではないかと思う。
また、社会的弱者、すなわち、少数者(Minority)、難民、障害者、日雇い労働者、いじめや家庭内暴力等の問題を抱える者、引きこもりや自殺願望のある者、エイズやアルコール中毒者の問題などと係わることを通しても成熟していく面もあり、そこのような社会と共に歩む平和教育が今切実に求められている時である。

使徒言行録3章11節-26節 主日礼拝説教 2010年6月27日

使徒言行録3章11節-26節
『悔い改めて立ち帰りなさい』

 ギリシャ哲学の祖である、ソクラテスは、「無知の知」という事を言いました。それは「自分の無知を自覚する事から全ての知への探求が始まるのだ」ということであります。確かに自分は何でも知っている、という人ほど、怪しいものはありません。それは「私は神の使いである」と言ってのける怪しい宗教者も同じでありましょう。自分には力が無い、そのことから人間は謙虚さを学び、真理の追究が始まるのでしょう。

 さて、今日の箇所でペトロとヨハネは、12節でこう言います。’「イスラエルの人たち。なぜこのことに驚くのですか。また、私たちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたように、なぜ、私たちを見つめるのですか」‘。これは前の箇所からの続きとして語られています。つまり3章1節~10節の出来事、「生まれながら足の不自由な男性」が「立ち歩き出した」という奇跡を目の当たりにした民衆が、ペトロたちの起した奇跡に感心し、驚いていたことによって、12節で彼らは言っているのです。しかし奇跡は自分の力ではなく、神の力によるものだ、と強調いたします。つまり「ソクラテスの無知の知」ではありませんが、「自分に力が無いことを認め、力は神のみにあることを認める」という立場で宣教に臨んでいるのです。

 しかし彼らの興味関心は、「奇跡を実現させた力の所在」ではなく「この民の罪の責任」に強調点がおかれているのです。13節から14節までで語られているペトロの言葉は、十字架の出来事を具体的に言い表した、鋭い言葉であります。本来ならば命に導くはずの「命の主イエス」を殺した、それは自分の命を殺したのも同然の愚かなことであった、という事を鋭く暴き出しております。

 しかしペトロは、17節で、’「あなた方があんなことをしてしまったのは、指導者たちを同様に無知のためであったと私には分かっています」‘と、ユダヤ人の行なった所業に関して情状酌量を認めているように言われています。それはペトロという人物が、同じ民族、同胞であるユダヤ人に対して、その回心を求めているからでありましょう。今日の箇所を全体通して見てみますと、ペトロはユダヤ人に悔い改めを求め、出来ることならユダヤ人がキリストを信じる者として立ち帰ってほしい、という強い願いが示されているように読み取れます。もちろん私たちも、同じ日本人の回心を求める者たちとして、このペトロの気持ちは良くわかります。けれども聖書があらゆる箇所で、ユダヤ人の回心に関して語るとき、第一義的にユダヤ人、次に異邦人、というニュアンスで語られているように感じてしまいます。

 例えばローマ書2章9節にあるような’「ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも」‘という言葉に出会いますとき、私自身、本当に引っかかりを感じておりました。何故かといいますと、ヤハウェの神がユダヤ人の神であり、ギリシャ人もしくは異邦人はそのおこぼれに預かる者として、第二義的な救いの余り物を頂いているように読めてしまうからであります。私自身そう感じてならなかったのです。それは完全な民族主義でありますし、ユダヤ民族の宗教から脱し得ない「選民思想の最たるものだ」と、そのように感じてきたのであります。ですから今日の箇所のような、ユダヤ人に回心を求める箇所には、聊かならぬ抵抗を感じておりました。

 けれども、今日の御言葉に接し、この長い箇所全体を通し紐解いてみて、まったく違ったことを感じて聖書を読むことが出来たのであります。それは私自身の「バカの壁」が、取り払われる瞬間でありました。つまり今日の箇所で語られていることは、確かにユダヤ人を対象として語られているけれども、このユダヤ人とは民族主義的なユダヤ人のことではなく、’「罪ある全ての霊的なユダヤ人」‘ということではないか。’「ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも」‘と聖書が言う「ユダヤ人」とは、文字通りのユダヤ人を指しているのではなく全ての罪人、すなわち私たちのことだ、ということであります。神を信じているが、しかし神の約束を信じきることの出来ない者たち。つまり私たち。キリストの言葉に心開かれるがしかし、最終的には「そんな人は知らない」と三度に渡って神の御子を否んでしまう罪を持つ私たち。「十字架につけろ、十字架につけろ」と民衆意識を煽り立て、感情的に周りの人々に巻き込まれるようにしてこの独り子を十字架に追いやってしまった私たち。それがここで言われている「ユダヤ人」であり、ひいてはここにいる私たち姿なのではないだろうか。と、そう感じたのであります。

 私たちが聖書に書かれている「ユダヤ人」という言葉を聞きますとき、どうしても他人事のように感じてしまうのではないでしょうか。ヘロデに掛け合って主イエスを裁判に仕向けたのも、ピラトに詰め寄って「バラバを解放せよ」と叫び続けたのも、自分たちとは何の関係もない、あのユダヤ人の成した所業である、と、心のどこかで主イエスを十字架につけた罪を、他人の責任にし、客観視している自分が、心のどこかにいるのではないでしょうか。自分はキリストを十字架に掛けていない。欠けたのはユダヤ人だ。もし私がゴルゴタに居たら、キリストを十字架から引き摺り下ろして、力ずくでもキリストをお救い申し上げたのに。と、そう考えることがありはしませんでしょうか。しかしもしそう思っているならば、その人こそがキリストを十字架に掛けた、あるいは銀貨30枚でキリストを引き渡した張本人であると言えるのです。「無知の知」ならぬ「無知の罪」であります。自分は罪を犯していない、と思い込んでいる罪、なのです。

 つまり私たちこそがキリストの十字架の罪と最も関係の深い者たちなのだ、このことに気付かなければ、私たちの信仰も信仰生活も、全くの徒労に終わってしまうのです。このユダヤ人の罪こそが自分の罪。この裏切りこそが私たちの裏切り。そう認識することから、全ての救いが始まるのであります。「私は知らないという事を知ることから知ることが始まる」ように「自分が罪人であると知ることから、救いへの道が始まる」のであります。

 今日の箇所をもう一度良くみてみましょう。23節’「この預言者に耳を傾けない者は皆、サムエルをはじめそののちに預言した者も、今の時について告げています。あなたがたは預言者の子孫であ
り、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です」
‘。このように言われております。つまりこの十字架の罪に直接的に関わった者たちに対して、「あなた方こそが神さまの契約の子である」と認められているのです。契約の子とはすなわち「神の救いの中に入れられた、救いを確証された者」であります。「もう二度と滅ぼすことは無い」と言って、救いの虹を見せて下さったあの契約。シナイ山で神の救いの律法を与え下さったあの契約であります。十字架につけた張本人であるこの私が。そのあなたが。救いを確証された契約の子その者である、と聖書は言うのです。

 今日の箇所は、ユダヤ人に対する糾弾と言いうるほどの厳しい言葉に溢れています。特に13節’「ところがあなた方は、このイエスを引渡し、ピラトが釈放しようと決めているのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで人殺しの男を赦すように要求したのです。」‘このような言葉に、厳しいユダヤ人への責めと糾弾が込められているように感じてなりません。しかしよく読んでみますと、実はそれを遥かに凌ぐ恵に満ち溢れている箇所であることに気が付きます。それは26節です’「それで神は、ご自分のしもべを立て、まず、あなたがたのもとに遣わして下さったのです」‘。この言葉であります。このどこが恵みに満ちているのか、ということですが、それは’「まず」‘という小さな言葉であります。神は’「まず」‘主イエスをあなた方のところに遣わした、ということです。「まず」というのは「最初に」と言い換えても良いかも知れません。神は最初に、ユダヤ人のところに主イエスをお遣わしになった。神は一番最初に、最も罪深いユダヤ人のところに主イエスをお遣わしになった。ということだからであります。つまり、神は誰よりも先に、最も罪深い私たちのところに、十字架と無縁ではなく、むしろ最も身近なところで十字架の処刑に関与したこの私たちの罪のところに、御子イエス・キリストを、「まず」お遣わしになったのだ。これが神さまの私たちへのメッセージなのであります。罪あるところにキリストを派遣なされた。罪の最も深い場所に、キリストの贖いを与えて下さった。これこそが、今日の箇所で語られる、神の恵みの言葉なのであります。19節’「だから自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」‘。この言葉に導かれて、悔い改めの生活と共に、歩もうではありませんか。

ルカによる福音書22章35節-38節 『平和の剣を備えなさい』 2010年6月20日

ルカによる福音書22章35節-38節
『平和の剣を備えなさい』‘ ’(特別伝道礼拝説教)

日本人に初めてキリスト教を伝えたのはイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルでありますが、彼らが伝道した当時の日本は戦国時代の最中にあり、時の権力者織田信長の下に庇護を受け、順調に宣教活動を行っていきます。当時のクリスチャン人口は50万人とも80万人とも言われ、全人口の割合としては、2~3%ものクリスチャンがいたと推定されています。つまり、日本においてキリスト教が最も栄えた時代であるといえます。 信長がキリスト教を保護した理由については諸説あるにせよ、日本のキリスト教にとっては良い時代であったことには間違いありません。

 けれども、豊臣秀吉が政権を奪い、それまで保護されていたクリスチャンたちは一転して受難の時を迎えます。1587年、「伴天連追放令」が発布され、キリシタンたちは弾圧されるわけです。それまで全国各地で敬われ、歓迎され、親切にもてなされていた宣教師たちは、一転して禁教令政策の槍玉に挙げられたのであります。それは手のひらを返すような出来事であり、全く違う時が訪れた瞬間でもあったわけです。徳川家光の時代には、「寺請け制度」によって、全ての日本人が仏教徒として登録されました。また踏み絵による「キリシタン狩り」も行われました。1639年以降は、後に「鎖国」と呼ばれるようになりますが、外国との貿易を徹底的に制限する政策が取られていくわけです。そこからキリシタン弾圧がさらに激しくなっていくことは歴史が証言している通りであります。

 かつては受け入れられる時代があり、それが一変してしまう。その中にあって、当時のキリシタンたちは、所謂「カクレ・キリシタン」と呼ばれる、地下組織的な信仰の継承を余儀なくされていきます。それは信仰というものが、国家や権力などに左右されやすく、それによって状況が如何様にも変わり得ることの最たる出来事でありました。それまでは町の人々に歓迎され、敬われ、親切にもてなされていた宣教師たちに、今や全く異なる時代が訪れたことを知らせる瞬間でありました。
 
 さて、今日の箇所を見てみましょう。35節’「それからイエスは使徒たちに言われた。『財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか』。彼らが、『いいえ、何もありませんでした』と言うと」‘と、このように言われています。弟子たちはかつて受け入れられた状況にありました。ルカ福音書9章1節を見てみますと、12人の弟子たちが宣教のために派遣されたことが記されております。9章3節にはこのように書かれています。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」このように言われておりました。それは当時の町の人々が、弟子たちの携える宣教の言葉に耳を傾ける時代であったことが分かります。それはちょうど「日本におけるキリスト教の世紀」と呼ばれた時代のように、宣教する者は歓迎され、敬われ、親しい交わりに預かっていたのであります。

 けれども今日の箇所で主イエスは言います。36節’「イエスは言われた。『しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。言っておくが「その人は犯罪人の一人に数えられた」‘と書かれていることは、私の身に必ず実現する。私に関わることは実現するからである』」。かつては受け入れられた時代があった。しかし今は全く違う時が訪れようとしている。このことを主イエスはおっしゃるのであります。それは国家において権力を持つものが、福音を保護するか否かによっているのです。どのような状況であれ、国家がこれを保護する時は、民衆もこれを歓迎する。しかし政治的権力を持つものがこれに睨みを利かせ、弾圧しようと目論むなら、信仰共同体はひとたまりもなく弱者へと変わっていってしまうのであります。それがこの時の主イエスの状況であり、弟子たちを取り囲む状況であったのです。

 今日の箇所は「それに対して備えをせよ」という主イエスの勧告であります。’『しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい』。‘このようにイエス様はおっしゃいます。これまでは皆、歓迎されてきた。けれども今は全く違う状況になった。ということであります。
この36節を読む限りにおいては、’「財布を持っていくこと」「袋を持っていくこと」「剣を備えること」‘の3つが’「備えるべきもの」‘として要求されているように感じます。しかし正確には、こういう文章です「持っている人は財布を取りなさい。袋も同じように。財布を持っていない人は服を売りなさい。そしてその代金で『剣を買いなさい』」、こういう意味であります。つまりこれらの行動の目的は’「剣を準備すること」‘に掛かっている言葉であるのです。

それに対して弟子たちの用意は周到でした。38節’「そこで彼らが『主よ、剣なら、この通りここに二振りあります』と言うと、イエスは『それでよい』と言われた」‘このようにあります。弟子たちは主イエスから要求されるであろう剣の用意を既にしていたのです。これまで間違いばかりの弟子たちでありましたが、最後の最後で主イエスの要求を前もって知ることが出来た、そのように読み取ることが出来るでしょう。イエス様に対して無理解であった弟子たちも、ようやく弟子としての役目を果たすことが出来た。良かったよかった、ということであります。

しかし、本当にそうなのでしょうか。日本語の聖書、とりわけ口語訳や新共同訳聖書では、イエス様のお答えになった’「それでよい」‘の言葉の意味が曖昧でありますから、弟子たちの行為を肯定しているように受け取ることが出来ます。しかし他の訳文を見てみますと、この言葉の意味が良く分かります。岩波訳の聖書ではここを’「それで十分なのか?」‘と訳します。またミュンデルという注解者は’「もうたくさんだ」‘と訳し、F.B.クラドックという注解者は’「この話はもう充分だ。この話題はここまででやめよう」‘。と意訳しています。つまり弟子たちはイエス様の真意を汲み取って二振りの剣を用意していたのではなく、この期に及んでも、やはり弟子たちは無理解だった、ということが示されて
いる、そのような主イエスの言葉なのであります。
「剣を備える」‘ということは何を意味するのでしょうか。剣とは、言わずと知れた「戦いの道具」であり「戦争の象徴」であります。それを準備するということは、弟子たちに臨戦態勢に入りなさい、という要求に他なりません。しかしこれまでイエス様の教えの中に、「戦争に備えなさい」というものはありませんでした。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と言われましたが、決して「右の分もやり返しなさい」とは言われませんでした。「上着を取られたら下着をも差し出しなさい」と言われましたが、「上着の分も仕返ししなさい」とは言われませんでした。つまり、イエス様の福音には、愛の教えはあっても、憎しみの教えはない。攻撃や暴力の教えはないということであります。ですからここで「剣を用意しなさい」と言われているのは、実際の剣のことではなく、何かを譬えて語られているに相違ないと思うのです。

 私が感銘を受けた本の一つ、ウォルター・ウィンクという神学者が著した’『イエスと非暴力 第三の道』‘という本があります。その中で、一般的に悪に対する対処法は、人間の歴史上、二種類あると言われています。一つ目は無抵抗(すなわち悪を受け入れて為されるがままに任せること)。二つ目は暴力的対抗(暴力に対して暴力を持って対抗するということ)。であります。そして人間の歴史が私たちに提示してきたのは、「逃げるか戦うか」という2択だけであったというのです。しかしイエス・キリストは、この選択肢とは全く接点を持たない第3の道を示された。積極的に悪に立ち向かい、それでいて暴力を用いない戦い方、それこそが’「非暴力的闘争」‘という道であった、と言うのです。

 ルカ福音書22章50節で、弟子たちは、主イエスが連行されそうになったとき、大祭司の手下に向かって「その右の耳を切り落とした」と書かれております。つまり第二の道である「暴力的対抗」であります。しかし一転して、大祭司の中庭でペトロに嫌疑が掛けられたとき、「私はあの人を知らない」と三度に渡って主イエスとの関係を否定したのです。つまり第一の道である、「無抵抗」「逃げる」という対処の仕方であります。

 では第三の道とはどういう道でしょうか。単に耐え忍ぶという道でもなく、無我の境地に立つ、という道でもありません。インド独立運動の立役者マハトマ・ガンジーは、主イエスの非暴力に感銘を受けて自らそれを実践したといわれますが、彼は非暴力の道を次のように言い表しました。
「武器を取る勇気のない者や、自分は暴力を用いる抵抗運動はできないと考える者は、非暴力運動はできない。非暴力は、死ぬことを恐れるような者や抵抗する力を持たない者には教えることが出来ないものである」「非暴力においては、かつて自分がそれに熟練していた武器よりも、はるかに勝る、非暴力の力を身につけたと実感できない限り、その者は非暴力とは何の関係もない者でしかなく、結局は武器に戻ってしまうだろう」‘。
 このように言いました。すなわちガンジーは、主イエスの言葉の真意を汲み取ってこのように言ったのであります。「剣のない者は服を売ってでもそれを用意しなさい」という主イエスの言葉は、自らが十字架に向かうという予告であるばかりでなく、弟子たちに戦う勇気があるか、と問う信仰の告白を求める言葉に他ならないのであります。「私がこれから追うべき十字架を、あなたも負う勇気があるか。確かに今の状況は、歓迎された、喜ばしいものではない。迫害を受けつつあるかもしれない。しかしその中で、悪に対して、悪に立ち向かう気概を持ち、剣ではなく、剣よりもはるかにまさる剣を持って戦う意思があるか」、と、弟子たちにそして私たちに問うているのであります。

 剣に勝る剣、それこそが福音に他なりません。その剣を、服を売り払ってでも買いなさい、用意しなさいと主は言われます。服とは必需品のことであります。なくてはならない、なくなったら困る、大切なもの。しかしそれを売り払ってでも、つまり自分がこれまで大切にしてきた全ての物や事柄を捨て去ってでも、剣に勝る剣を準備しなさい。といわれているのです。
 キリストの福音とは、「神の愛の力」であります。その福音をもって、自分に悪を行う者に対して、愛を行えるか。自分を罵倒し、迫害する者に対して、愛を行えるか。そのことを弟子たちに、そして私たち迫っているのであります。「平和の剣を備えなさい」主はそうおっしゃいます。それはあなたのうちに、第三の道である、福音による剣が備わっているか、ということであります。敵を愛すること、自分を憎む者を赦すことは決して容易いことではありません。しかしイエス・キリストの十字架が私たちの前に聳え立つのであるならば、それを私たちの平和の剣として、愛しうる者となれるのであります。悪に対し、逃げることではなく、暴力によってでもなく、ただ只管に第三の道である、福音を力とする道に突き進みたいのであります。この世の中は混沌としています。暴力も悪も絶えることがありません。しかしキリストの福音に聞き従うことが出来るならば、この世に愛の実を実らせることが出来るのであります。平和の剣を備えなさい。このキリストの要求に、従ってまいりたいと思うものであります。

『キリストの名によって立ち上がりなさい』 使徒言行録3章1節10節 2010年6月13日

浦和教会主日礼拝説教  使徒言行録3章1節10節 2010年6月13日
『キリストの名によって立ち上がりなさい』

「ペトロとヨハネが、午後3時の祈りの時に神殿にのぼって行った」とあるように、熱心に祈りを献げる様子が描かれています。当時のユダヤで、祈りの時は1日に3回あり、その内、夕刻の祈りと献げ物の時間が午後3時に行なわれたと言います。ペトロとヨハネは、信仰深い他のユダヤ人と同じく、神殿での祈りを捧げるためにここに来ていたのであります。

 そこへ生まれつき足の不自由な男性が物乞いをするために運ばれてきました。ここに書かれている言葉から、彼の人生と、その苦しみ全てを知ることは出来ません。どこで生まれ育ったのか、今何歳ぐらいなのか、親兄弟などはいるのか、などの詳細な情報は、この箇所から読み取ることは出来ません。しかし2節で「生まれながら足の不自由な男が『運ばれてきた』」とあるように、彼は誰かに「運ばれてきた」のです。親・兄弟たちが、物乞いをさせるために神殿に連れてくる、という事はありえないと思いますから、おそらく友人・知人たちがこの場に運んできたのだろうと思います。毎日定期的になのか、イレギュラーになのか分りませんけれども、とにかく彼はこのとき神殿の敷地内で物乞いをするために来たのです。

 そこにペトロとヨハネの二人が通りかかりました。彼らは神殿での祈りのためにここに偶然居合わせたのです。足の不自由なこの人は、ペトロたちに施しを乞いました。おそらく金銭を要求したのでしょう。今私はお腹がすいています、食べる物がありません、お金を下さい、というようなことを言ったのでしょう。ペトロたちは彼をじっと見つめます。何かもらえる、という期待が膨らみました。しかし彼らの答えは意表を突くものでした。「わたしには金や銀は無いが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と。そして今日は、この言葉に思いをよせてみたいと思うのです。

 現在の私たちは、生まれつきの体の不具は、生物学的、又遺伝子的な因果の下で理解されることが多いわけですが、使徒言行録の時代、肉体的な不自由は、その人自身の罪、もしくはその人の祖先の罪が原因とされておりました。また生まれつきの障碍であれば、神の呪いと考えることもありました。そのため人々はこれを自業自得として片付けておりました。ユダヤ社会はその人に対して、福祉的な手を差し伸べることも、医療介護の手を差し伸べることも皆無であり、彼は毎日を物乞いという形で過ごすことを余儀なくされたのであります。
 
 私たちは、このような彼の不幸な人生に対して同情の念を覚えずにはおれません。けれども彼が最も不幸であるのは、その生き方の繰り返しの中に自分の人生を据えざるをえなかったということ、言い換えるならば、この生き方以外に可能性を見出せず、それに縛られ、そのサイクルに飲み込まれている、ということなのです。彼の人生は、その場しのぎの日々の糧を他者から受け、裕福な者たちの食卓から落ちる僅かなパン屑で生きる以外に、彼の命を生き永らえさせる頼るものは何も無かったのです。足が不自由なことも、物乞いをすることも、それ自体が不幸の全てではないのです。むしろ彼から、人間の尊厳が取り払われ、誇りを持って、希望を持って生きること自体が毟り取られているという事実が、彼の不幸であるのです。創世記1章27節には、神様が人間をご自分の似姿としてお造りになった、と書かれていますが、その神の似姿としての尊厳は、ここにはありません。あるのは、日々をどう生活しようかということ、目先の事だけがいつも問題にされるのです。またそれに慣れてしまっている生き方が「強いられている」ということなのです。

 彼はペトロとヨハネに金銭を乞いました。その日の糧を得るため、そして、あわよくば明日以降の必要分までを調達することを願って、金銭を要求したのです。しかし彼は、金銭を受けませんでした。勿論ペトロたちはお金をあまり持っていなかった、という事もあるでしょうけれども、しかしキリストにあって生きる共同体が行なうべき事は、一時しのぎのささやかな金銭的利益を与えることや、慈善事業を行なうことではなく、第一義的な務めがあるのだ、ということを示しているのです。それこそがキリストの御名によって救いを語ることであります。

 このことを読み取り私たちの教会を省みますとき、キリストにある共同体である教会は、苦しむ人々に対して何を行なうことが出来るのか。言い換えるならば、私たち人間が、苦しむ人々に対して何をして差し上げることが出来るのだろうかと、そのことを痛みと共に考えさせられるのであります。

 私事で恐縮なのですが、この教会に赴任し、1ヶ月半が過ぎましたが、この短期間の中で、金銭を乞いに来た人が実に6人もおりました。これは以前と比べて速いペースであると聞きます。おそらく景気の低迷や、雇用の減少などがその原因にあるのでしょう。とにかく金銭を乞いに来た人とお話しをしていていつも思いますのは、自分の無力さ、であります。この人を助けて上げたい。本当にそう思うのです。しかしこの人たちの生活を整え、仕事を探し、助け合う家族を探してあげるだけの、労力と、資金を、この人たちに費やすことの出来ない自分の無力さをいつも感じさせられるのです。今この場所で、その場しのぎのお金を差し出すことは、彼ら彼女らの救いにどう繋がるのか。むしろそうやって生きることに慣れ、それを良しとする道へと導いてしまう線を引くことになりはしないだろうか。その葛藤と悩みにいつも苛まれ、一人の人間としての無力さと悲惨さを感じさせられるのです。レ・ミゼラブルの中に出てくる、ジャン・ヴァルジャンのように、一瞬のうちに改心し、生活が一新されてしまう、あの劇的な出来事は、現実的には一つの物語でしかないと、その度に思わされてしまうのです。


 この箇所の、足の不自由な彼の物乞いの姿を見ますとき、彼の悲惨な状況に思いや同情が集まるかもしれません。しかしこの彼の姿を通して、この彼を鏡に映し返すようにして見えてくるのは、この人を救うことすら出来ない、自分の無力さであり、悲惨さなのです。その一人の人間としての小ささに気付かされるのであります。

 この一人の足の不自由な彼を見て、「この人は
救われるのだろうか」という問いと共に、「あなたはこの一人の人間を救うことが出来るのか」「あなたにこれを救う力はあるのか」という事を問われるのです。そして私たちは気付くのです。「このたった一人の苦しむ人間を救うことすら私には出来ないのだ」と。それが人間の現実なのだ。あなたの力の現実なのだと、私の無力さと、はかなさを主に突きつけられる痛みを帯びるのであります。

 しかし、これに対する今日与えられた聖書の答えは驚くべきものであります。聖書はペトロの口を通して神の示す道を語ります。つまり「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。この言葉によって足の動かない人の足を動かし、くるぶしを固定し、飛び跳ねて踊り上がるまでに回復した、というのです。この回復の出来事は、私たちの固執する思いを変化させ、そこから解き放つものとなります。「わたしたちに金や銀はないが」とペトロは語ります。この言葉が、実は私たちにとって重要なのです。
 
 この物乞いの彼は、実は用意周到に物乞いを行なっています。自分の足では動くことが出来ないから、人の助けを借りつつその場所に行きます。そして人が沢山集まる神殿の境内を選んで効率の良い物乞いを行なうのです。しかも午後3時という時間を見計らって、献げ物をしようとする人たちから、それを得ようとしていたのです。神殿に集まる人たちですから、信仰深い人たちが集まるでしょう。旧約の律法には、貧しい人への施しの一文が明記されております。信仰深い人の中には、知らぬ存ぜぬといかない人もいたでしょう。その人たちの同情を買って、その日の糧を得ようと、そう思って境内を選んだのではないかと思うのです。
 しかし彼を非難してこう言っているのではありません。むしろ彼の逼迫した生活や、止むに止まれぬ苦労、人知れず涙を流した日々を考えますならば、彼がたまたま生まれつき足が悪かったというだけで、なぜこのような苦しみを強いられるかと、このこと自体に不公平があると感じますし、なぜ神様はこのような苦しみの中に彼を選び、彼の心と体を蝕む人生をお与えになったのか、という疑問はつきません。ですから、この用意周到な物乞いのスタイルは、彼の境遇からするならば、当然の事であると思うのです。もし私たちが彼の境遇にあっても、同じように、物乞いに適した場所と効率の良い時間帯を選んでこのようにすると思うのです。だから彼を非難してはならない。

 しかし聖書は、彼の思いの全てが「金銭を得る」という事のみに集中していることを指摘するのです。彼はそれ以外に自分が幸福になる道を見失っていた。目の前のパン、目の前の蓄えに対して固執し、その呪縛から解かれることの無い、鎖で繋がれた囚人のように、彼の心は、目の前の現実のみを見つめていたのであります。物乞いによって得る金銭のみが、自分を幸福にすると信じ、それ以外では自分を幸福にし得ないと思っていたのでしょう。それと同時に、この人を救いたいと思う全ての人にとっても同じ事が言えます。この人を救うためには、「金銭を与える」こと以外にないと信じていた私たちも、その固執した思いから解き放たれるのです。自分の無力さを思い知らされていた人に、自分の無力はこの固執した思いの中にこそあるのだと気付かせ、神はそこから解き放つのです。

 聖書は、彼の思いを向き直らせます。本当に与えられるべきものに向って、彼は思いを向き直らせるのです。’「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」‘。この言葉によって、彼は歩き出したと言います。日々の生活を繰り返すだけに心を奪われていた彼に与えられたのは、しっかりとした「足」であったのです。彼は歩けないことによって、本来の彼の生きる意味を失っていました。彼は歩けないことによって、本来彼が持つべき人間の尊厳と、神への感謝を失っていたのです。しかし今やそれが回復された。彼は物乞いから、神を讃美する者へと変えられたのです。これが主イエス・キリストの名によって与えられる福音の力である、と聖書は語るのです。

 私たちはこの話を聞きますとき、足が治るという奇跡それ自体に目が奪われてしまいます。ともすれば「信仰を持つと奇跡が起こる」と、その事柄を直接的に考えてしまうかもしれません。もちろん信仰によって奇跡が与えられます。それは間違いありません。それを信じて生きるならば、その人に本当に奇跡が与えられるでしょう。しかしそれは、私たちの望むことと違うことが起こる奇跡かもしれません。足の萎えた彼の願いは「金銭を得ること」でありました。しかし神様は「肉体の回復」をお与えになったのです。その意味では、彼の望む直接的な願いは適わなかったと言えるのかもしれません。けれども彼にとって最も必要な回復が与えられたのです。そして聖書はこれが神様の奇跡である、と述べるのです。私たちの願いはいつも利己的です。エゴイスティックなのです。自分の望みと願いのみを神に乞うのです。しかし神はいつも私たちに、もっとも必要な状況をお与えになります。そしてそれを信じることから、神の奇跡が始まるのです。「ナザレの人イエス・キリストの何よって立ち上がり、歩きなさい」。この言葉は、足の萎えた人と、それに携わる私たち全てに与えられた、凝り固まった私たちの思いを解き放つ救いの言葉となるのです。

『民衆全体から好意をよせられた』 2010年6月6日

浦和教会主日礼拝説教    使徒言行録2章37節-47節

 「キリスト教共産主義」という神学的な理念があります。特にマルクス・レーニン主義が脚光を浴びていた時代盛んであったようですが、「共産主義こそがキリスト教徒が求めるべき、理想の社会体制なのだ」、と声高に叫ぶ者たちがいたということであります。それを唱える者たちが根拠にし、拠り立っているのが、イエス・キリストが、エッセネ派であったということです。ユダヤ教の一派であるエッセネ派は、財産が共有されていたと言います。だから主イエスも財産の共有を奨めていたはずである、という論理であります。もちろん聖書には主イエスがエッセネ派に属していたなどとは書かれておりませんから、憶測による状況証拠的な論理でしかない、といえます。

 そしてもう一つ彼らが拠り立っているのが、今日私たちが聞こうとしている箇所、使徒言行録2章、特に43節以下の記述である、というのです。彼らは、聖書によると、エルサレム教会では財産を皆が共有することによってキリスト教社会主義共同体が既に維持されていたのだ、と理解しているのです。エルサレム教会とは神学的な理念の異なる使徒パウロでさえも、ヤコブも、教会員同士の不平等があってはならない、と信じていた。だからこの聖書の箇所は、原始教会が共産主義的理念に立っているのだ、と、そのような根拠を引き出そうとしてきたのであります。

 確かに、この箇所をもう一度見てみますと、44節「信者たちは皆一つになって、全ての者を共有し、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」とあります。この言葉から連想されるのは、少なくとも資本主義社会ではなく、共産主義社会のそれに近いものであることは間違いありません。共産主義はご承知の通り、一切の私有財産の所有を認めません。簡単に言いますと、自分の財産を持ってはいけませんよ、つまり自分の土地も、貯金通帳も、タンス預金もその理念に反する行為である、というのが共産社会なのです。そしてこの箇所を読んでみると、そう読むことも出来なくもない。では聖書はそのように生きる世の中の実現を求めているというのだろうか。この箇所は私たちに何を語ろうとしているのだろうか。その辺りが、今日の主題となってくるのです。
 
 今日の箇所を読んでいると、このようにして生活することが、キリスト教倫理道徳上、優れたことであるのか、という疑問が沸いてまいります。やはり貧富の差が無くなる社会、キリスト教共産主義という理想を掲げることが、教会が支持すべき社会理念であり、社会システムであると聖書は言っているのか。という疑問であります。そしてもう一つ、共産主義が言われているのではないにせよ、今日の箇所が語るのは、教会とは助け合って、和気藹々と、和やかに過ごす集団であることが求められているように感じる、ということであります。一体、教会とは、信仰共同体とはこのような家族的な、あるいは共産主義的に生きる事が求められている集まりであるのでしょうか。結論から申しますと、「否」でありましょう。つまりこの箇所が語るのは、社会理念やシステムの構築、こうやって生活することが信仰的であって望ましい、という、共同体のあり方が語られているのではないのです。ですから私たちは、良く目を凝らして、聖書に耳を傾けねばなりません。

 47節「(彼らはこのように生活していたので) ~民衆全体から好意を寄せられた」とあります。ここに書かれている言葉を間違ってはならないのです。つまり単に「財産を共有しあっていたから好意を持たれた」のではなく「必要に応じて分け合ってたから」でもないのです。そうではなく、彼らが財産を共有するという事柄の前に、「彼らの内に起こった出来事が何であったのか」に注目したいのです。

 財産というのは、私たち人間にとって何を表すのでしょうか。それは、生きるための道具、自分の頑張りに対する価値、あるいは人生を賭けて得る報酬という方もいるかもしれません。とにかく、私たち人間にとって、財産は生きる術であり、自分を支える目に見える安心材料であり、また安全保障であると言えるでしょう。そのような財産は多かれ少なかれ、私たちはそのために生き、それを稼ぐために汗水流していると言えるのです。

 しかし彼らはそれらを「共有している」のです。自らの生きる術であり、安心材料であるそれを投げ出している、のであります。これが財産共有の意味です。つまり、彼らはそれまで生きてきた大事なものを、イエス・キリストの名において、放棄している。それまで彼らを支えてきた生きるために最も大事であると思ってきた物を投げ出しているのです。言い換えるならば、彼らは、財産の呪縛から解放されているのです。人は財産を得るためになら何でもおこないます。他者を傷つけ合うことも厭わず行います。それは私たちが「所有する」という欲求に縛られているからであります。創世記4章に出てくる、あのカインが、『主の祝福』という財産を得た弟アベルを妬み殺害したように、人間の罪はの多くは「所有する」ことに由来します。しかし今日の箇所で彼らは、多く持つ者が、そこから解放されて、共有することを良しとしているのです。彼らはそのように生きる選択をしたのです。そのように生きる者へと変えられたのです。
 それはちょうど、あのザアカイが、小銭を貯める事に必至に自分の命を費やしていたあのザアカイが、ルカ福音書19章で「主よ、私は財産を半分を放棄します。騙し取った分を4倍にして返します」と言って解き放たれたように、この人々は、自分の人生を縛り付けていた所有欲から解き放たれたということなのです。

 勿論私たちは、この話を聞いて「では全てを投げ出さなければならないのか」と早合点する必要はありません。決してこの箇所は私たちにストイックに、禁欲的に生きることを求めておりませんし、また財産の所有を敵視しているのでもありません。そのような早計な御言葉の適用ではなく、私たちは御言葉と信仰的生活によって、自らが変えられているか、という事に思いを寄せてみる必要があろうと思います。私たちは、キリストに出会う前に自分を生かして来た物や、縛られてきた事柄から、解放されているか。キリストとの出会いによってそこから解き放たれているか、ということが重要なのであります。御言葉は私たちを変えるのです。それがここでは彼らが財産の共同所有という形で現れた、ということなのです。


 さて、もう一度47節に戻りましょう。「(彼らはこのように生活し
ていたので) ~民衆全体から好意を寄せられた」というこの言葉には、もう一つの理由があります。それは、共同の食事ということです。これはしばしば、聖餐式の食卓を表していると言われてきました。勿論そのように読むことも出来ます。一同に集まり、パン裂きを伴う共同の食卓は、まさに聖餐式そのものであるからです。しかし当時の食事は、通常、その家の主人が「パンを裂いて、取り分けて、もてなす」という形式が採られていたようですから、必ずしも聖晩餐でなくてもこのような行為は伴ないます。聖晩餐であれ、通常の食事であれ、いずれにしましても、「信者たちは皆一つになって」(44節)それが行なわれていた、ということの中に、意味があると言えるでしょう。それは、貧富の差、地位の高さ、男女の性差、年齢差、そのような全ての格差を越えて彼らは皆一つになっていた、ということなのです。

 そもそもこの共同の食事の中に、イエス・キリストを見出さずにはおれません。使徒言行録の第1巻であるルカ福音書の中で「イエスが食事の席につかれた」という時は必ず、一緒に食事をすることを拒否された者たちとの食事か、もしくは、主イエスの論敵であるものたちとの食事でありました。ルカ5章29節では、忌み嫌われた徴税人レビと食卓を囲み、7章36節以下では、罪深い女と呼ばれる人と共に食卓を過ごし、19章5節では徴税人ザアカイに「今日は是非あなたの家に泊まりたい」と言ったのです。またファリサイ派とは、11章37節、14章1節などで、自分の論敵であるにも関わらず、共に食卓を囲んでいるのです。
 そしてルカ15章1節では、ファリサイ派の人たちが、罪深い者たちと食事をしている主イエスの行動を避難しているのです。それはイエス・キリストという方自身が、罪人を交え、論敵を交え、そして世間から忌み嫌われる者すべてを招く、分け隔ての無い方である事を示しています。社会的に差別される人たちは、しばしば食卓で排除されることを現代の私たちは知っています。南アフリカ然り、南北戦争のアメリカ然り、であります。当時のユダヤ地方も勿論厳格に差別を行い、被差別者たちを排除するのが慣例でありました。しかしイエス・キリストにある交わりは、かつて厳格に行なわれていた差別的な見方から、一人の信仰者として共に食卓につき得るものへの変革の徴であるのです。主イエスの共同の食卓は、社会的な障壁が打ち破られたことを証しする徴なのであり、また私たち信仰者がこの世においてそう生きることへと派遣されることを示す行為なのであります。

 つまりここで行なわれている行為によって示されていることは、単に道徳的に物を持ち寄って和気藹々と過ごすことが求められているのではなく、又、一緒に食事をする、という和やかさが求められているのでもないのです。ここに示されているのは、自分を縛り続けていた価値概念からの解放であり、また、社会を縛り付けていた差別的社会通念からの解放が、この主にある共同体の中で行なわれているのだ、ということなのです。だからその新しさに民衆は驚き、民衆全体が好意を寄せてきたのではないでしょうか。

 教会は、決して家族の延長として存在する集まりではありません。優しさとか、道徳心とか、理想の家族的集まりや、ほのぼのとした家庭の実現を教会の到達点としてしまうならば、必ず限界が訪れると思うのです。つまり私たちの教会という信仰共同体は、家族的なものとは違った又別の原理によって結びつかなければ、心を一つにして歩むことは出来ないと聖書は言うのです。それが46節以下に書かれています。「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、~喜びと真心をもって~、神を讃美していたので」。つまり、至極単純なことですが、「信仰共同体は信仰を何よりもの柱とする」ということなのです。その中で、私たちの内には、自分を縛り付けていたもの、そして、社会を縛り付けていたものからの解放が与えられていく共同体として、成長していくのです。解放とは、主の救いであります。日々の雑多な生活での、また社会生活での、様々な労苦と、呪縛からの解放が、私たち自身の身に起こるならば、それは主の救いでなくして何でありましょう。私たちはその救いが、全ての人々に広がっていくことを求め、その業に参与し、我々の身を主の救いに投げ打って生きて行きたい。それを今日の聖書から聞き取るのです。