神の約束に生きる

2009.5.24  創世記 15:1-19  牧師 中家 誠

 信仰とは、ヘブライ書11:1に記されているように、①神が大いなる方であり、はるかな見通しを持つお方であることへの信頼と、②その変わることのない真実さへの信頼に生きることである。3800年も昔のアブラハムの信仰は、そのことをわたしたちに示してくれる。

 信仰の祖となったアブラハムは、年老いるまで、ひとりの子さえ得ていなかった。しかし彼は、すべてを見通したもう神を信じ、また、神が約束されたことを必ず果される方であることを、信じ受け入れたのである。その故に多くの信じる者たちの父祖となった。

 神はその時彼に、約束の確かさを示すために、当時のしきたりに従い、「契約」(2つに切り裂いた動物の間を行きめぐる儀式)を行いたもうた。そして今度は、人類の歴史の中心部において、御子キリストを十字架上に切り裂いて、わたしたち人間の不真実を負いつつ、ご自身の真実を示したもう。これを「新しい契約」(新約)という。

 わたしたちは、この歴史を貫く神の契約に与かり、これを信じて生きる者たちの群なのである。