イサク誕生の予告

2009.7.26  創世記 18:1-15  牧師 中家 誠

 信仰の父祖アブラハムの生涯は、神との出会いの生涯であった。そしてそれは、神の訪れによるものである。「福音」とは「よきおとずれ=音信」のことであるが、また「神の訪れ」でもある。

 この時も、アブラハムの予期しない時に、神は3人の旅人として訪れてくださった。その旅人に対し、アブラハムは知らずして(ヘブライ書13:1-2)最高のもてなしをしたのである。

 しかし考えて見るに、真のもてなしをしてくださったのは、むしろ神のほうではなかったか。神は彼に、「来年の今ごろ、わたしは再び来る」と言い、「その時、あなたに子が生まれているでしょう」と告げられた。それは「喜ばしいおとずれ」であるはずだった。しかしアブラハムの妻サラは、心ならずも、心の中で笑ってしまったのである。「自分は年をとり、主人も年老いているのに、何の楽しみがあろうか」と。

 このようにわたしたちは、主のご真実に対し、心の中で不信仰を抱く者たちである。その信仰の弱いわたしたちに、主は礼拝において現われ、祈祷会において現われ、「わたしである。しっかりせよ」と励ましてくださるのである。そして不信の笑いに代えて、信仰の喜ばしい笑い(イサク=彼は笑うの意)を与えてくださるのである。