聖なる神

2009.7.19  イザヤ書 6:1-8  牧師 中家 誠

 預言者イザヤ(今から2750年前の人)が、神から召命(神に用いられるために呼ばれること)を受けた時、彼は神殿の中で、聖なる神の栄光が満ちるのを覚えた。それは高く天にそびえ立ち、また全地に満ちる神の栄光であった。

 そのとき、彼が聞いた天来の響きは、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」という讃美の声であった。「聖なる」とは、この世と「異なる」「はるかに超えた」との意であり、神が天地の創造者として持ちたもう尊厳と栄光である。

 彼は、その圧倒される力に打たれて、「災いだ、わたしは滅びるばかりだ。汚れた民の中に住む者であるのに、王なる万軍の主を仰ぎ見たのだから」と、心の内に叫んだとある。

 わたしたち日本人は、「神の聖」の観念がうすいと言われる。創造者と被造物が地続きとなっているのである。しかし両者には、絶対的な相違がある。一方は造り主であり、他方は造られたもの。一方は無限であり、他方は有限である。この高き無限の神が低き者となり、愛のゆえに人となって来られたのがイエス・キリストである。ここにキリスト教の基があるのである。