2017.11.26~12.02今週の集会

 2017.11.26~12.02

 

今 週 の 集 会

 

祈祷題「家庭集会のため」「世界平和のため」

「タビタの会」委員会(蒲田御園)28日()13:00

聖書の学びと祈り        30日()10:00

 Ⅰテモテ2章(担当 鈴木美津子)   司会 野 田 昭 子

*午前の祈祷会後、クリスマスの飾り付けをします。

聖書の学びと祈り        30日()14:00

 テトスへの手紙11節~      担当 大月 美智子

故近藤愛子さん納骨式(青葉園)  122()11:00

 

2017.07.16の説教から

 716日の説教から>
                      『誇るべきもの』
              フィリピの信徒への手紙32節~11
                                      牧師 三輪地塩
 
 この箇所ほどパウロが自らについて詳しく語っている手紙はない。5節からがその文章である。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。」
 「パウロは生まれて8日目に割礼を受けた」ので生粋のユダヤ人、正真正銘のヘブライ人、である。「イスラエルの民に属し」は、「由緒正しいヘブライ人」という事である。「ヘブライ人の中のヘブライ人」は、「ヘブライ語を使うヘブライ人」という意味である。パウロは元々タルソスという町で生まれた、離散の(ディアスポラの)ユダヤ人であった。つまり彼はギリシャ語ネイティブであったが、親の母国語であるヘブライ語を話す「バイリンガル」であった。
 「律法に関してはファリサイ派の一員」とは「エリート教育を受けた」と言う事である。更に彼は、「(キリスト)教会の迫害者」とあり、「熱心さ」という言い方は、「激しい弾圧をキリスト者たちに与えていた」という迫害者であった歴史を述べている。これは、自慢のために語ったのではない。むしろ、華々しいルーツを持つ事を「全くの無意味なものであった」と語ろうとしているのである。それは「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。」という言葉に示される。
 つまり、パウロは、彼自身の「出生」「ルーツ」「能力の高さ」「言葉の力強さ」「著作」など、を自身の支えとしてきたが、それがキリストの前では、無意味なものであることを伝えようとしている。フィリピ26節以下にあるように、「キリスト自身は、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執」せず、「かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられ」、神でありながら、「人間の姿となり、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順で」あったと、パウロ自身が記している。このキリストの姿は、パウロのそれまでの人生、「優越感」「エリート意識」を、根底から覆すものであった。彼はこれまで「・・・有利であった・・・と思われてきた・・ことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったの」だ、と語っている。
 

2017.11.26主日礼拝予定

 
  
 主 日 礼 拝  午前 10:30
 
                 奏楽 板
 
招 詞  ヨシュア記15
*讃 詠   (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編1021619
*讃美歌  (21)6(1-2)
 
<神の言葉>
 
聖 書 詩編10315節 (旧約P.939
マルコによる福音書21節~12節(新約p.63)
祈 り             松 谷 信 司                                                                                                                                                   
*讃美歌 (21)483
  子よ、あなたの罪は赦される
            三 輪 地塩                                         
<神への応答>
 
*讃美歌 (21)461
*十 戒 
  le='font-family:"serif";'>公 告  
*献金感謝
*主の祈り 
*頌 栄  (21)46
*派遣と祝福
後 奏