2026.8.9 週報掲載の説教

2026.8.9 週報掲載の説教

『隣人となるということ ―平和はここから始まる―』

ルカによる福音書10章25〜37節

鈴木美津子

*本日の説教の要約です。

8月になると、私たちは広島、長崎、そして敗戦の日を覚え、平和について考える機会が多くなります。世界に目を向ければ、今なお戦争や争いによって多くの人々が苦しみの中を生きています。私たちは、「いつになったら平和になるのだろう」と願い、祈ります。しかし本日の御言葉は、私たちに「平和はどこから始まるのだろう」と問いかけています。

律法学者はイエス様に、「わたしの隣人とはだれですか」と尋ねました。その問いの背景には、「誰まで愛すればよいのか」という思いがありました。そこでイエス様は、「良いサマリア人」のたとえを語られます。祭司もレビ人も倒れている人を見ながら通り過ぎました。しかし、当時ユダヤ人と対立していたサマリア人は、その人に近づき、傷の手当てをし、自分のろばに乗せ、宿まで連れて行き、回復するまで世話を頼み、費用まで支払いました。

イエス様は、「誰が私の隣人か」との問いに直接答えられませんでした。代わりに、「誰がその人の隣人となったか」と問い直されます。隣人とは、最初から決まっている人ではありません。目の前にいる人に近づき、その人を大切にするとき、私たちはその人の隣人となるのです。

しかし、このたとえは、ただ「あなたも良いサマリア人になりなさい」という教えではありません。まず、イエス様ご自身が私たちの隣人となってくださったという福音が語られています。罪によって神から離れ、自分では立ち上がることのできなかった私たちのもとへ、主は近づいてくださいました。そして十字架によって罪を担い、新しい命を与えてくださいました。その主の愛に生かされる者として、「行って、あなたも同じようにしなさい」と招かれているのです。

平和は、遠いところから始まるのではありません。まずイエス様が私たちを愛してくださったことから始まります。そして、その愛に生かされて、目の前にいる一人を大切にするところから、神が願われる平和は少しずつ広がっていくのです。