2022.1.1.9 の週報掲載の説教

2022.1.1.9 の週報掲載の説教
<2020年7月19日の説教から>

ルカによる福音書7章24節~35節

『言っておく、預言者以上の者である』
牧師 三輪地塩

 
洗礼者ヨハネは旧約預言者の受けた以上の苦しみを受けており、牢獄で憔悴し、動揺し、弱っていた。だが、イエスは、彼が語った言葉が弱くなり消えることはない、とヨハネをフォローする。なぜなら、その弱さの中にこそ、神の強さが実現するからである。

旧約聖書には義人と呼ばれたヨブが出てくる。心から神を信頼していたヨブは、受け入れ難いほどの悲惨な出来事に見舞われる。大勢の子どもたちは全員死に、財産は全て奪われ、健康を失った。見るも無残な状況にヨブは神への不信を募らせていく。義人と言われた彼さえも、自分が生まれたことさえも恨むようになる。

このことは我々信仰者とて同じである。健やかに順調に生活出来ている時は、神の祝福を感じるが、ひとたび失われると、「信仰ゆえに」極限まで弱くされてしまう。信仰者は、信仰者であるが故に、神を呪い、神に楯突き、神への疑いが生じる。

だが同時に、人が弱くされるとき、その弱さにおいて「強さ」も生じることを忘れてはならない。使徒パウロが「私たちは弱さの中でこそ強いのです」と語るとおり、主にあって弱くされた後に強くされる我々は、逆説的であるが、“人間的な強さ”を手放し、神の弱さと共に強くされる確信を得る。つまり、キリストのゲツセマネでのあの「弱さ」と「十字架上の弱さ」の内にこそ、“人間的強さを越えた、神の弱さ”の中で勝利を得るという救いの本質を知るのである。

生まれて間もない赤ちゃんは、ちょっとした怪我や病気で弱ってしまうが、“親を求める”という点において、誰よりも強く けたたましく叫ぶ。母親・父親を呼び求める乳飲み子の力は、恥も外聞も無く強く表出される。弱さの中で泣き叫びながら助けを求める力は、その弱さゆえにこそ強くされるのだ。信頼し、何が何でもそこにしがみつこうとする幼子は、「限りない強さ」を持っていると言える。

ペトロの手紙一2章2節に「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです」とあるように、信仰者の「強さ」とは、この乳飲み子の弱さのような中で実現する。