2022.12.11 の週報掲載の説教

2022.12.11 の週報掲載の説教
<2022年10月23日説教要約>

『恵みの賜物』
ローマの信徒への手紙5章12節~15節      牧 師 鈴木美津子
「恵みの賜物」とは、主イエスにあって神の御前に正しい者とされ命を得る者のことである。恵みの賜物とは義の転嫁のことだからである。主イエスの「義」が私たちに与えられているので、私たちは神の御前で義しい者と見做されるのである。それゆえに神は、主イエスを信じる者を正しいと認め、命を与えてくださる。

しかし、アダムの違反は賜物のようなものではない。アダムは罪と死をもたらしたが、主イエスの正しい行為によってもたらされた恵みの賜物は、それとは比較にならないからである。アダムは「恵み」がどんなに「罪」よりも豊かで素晴らしいものなのかを強調しているのである。それほどに、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物は多くの人に豊かに注がれるのである。

ユダヤ人もギリシア人も、日本人も世界中のすべての人がアダムの子孫であり、契約の代表者であるアダムの罪責と腐敗を持って生まれてくる。そのような私たちを義とし、聖なる者とするために、神は、新しい契約の代表者として、御子イエス・キリストを遣わされた。このイエス・キリストこそ、私たちを救うために終わりの時代に表れてくださった人間(アダム)である。これが初めの人アダムが来るべき方を前もって表す者であったと言われる所以である。

神は、私たちに、このイエス・キリストを信じる信仰を与え、私たちのすべての罪を赦し、私たちを聖なる者とするために御言葉と聖霊によって造りかえてくださるのである。そうであるから、私たちはもはや死の支配のもとにはいない。イエス・キリストを信じている私たちの死は、もはや罪の刑罰としての死ではない。なぜなら、私たちの主イエス・キリストが十字架上で死に、三日目にその死から復活され、死に勝利されたゆえである。もはやキリスト者にとって、死は罪の刑罰ではなく、罪からの完全な解放という全く違った意味を持つようになったのである。私たちは死を通して、神との完全な交わり、永遠の命にあずかる者となり、主イエスを信じる私たちのうえには、神の恵みの賜物が豊かに注がれるのである。