2023.4.2 の週報掲載の説教

2023.4.2 の週報掲載の説教
ローマの信徒への手紙7章7-25節(14-25節)

『私の中に住んでいる罪』

牧 師 鈴木美津子

 
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。(15)」

 
「わかりません」は、原文から直訳すると「知りません」であり、「認めない」という意味でもある。 「自分がしていることを認めない。」というのは、「私の本当にしたいことはそうではない。本当の私は別のことを求めている。私が行なっている罪を私は認めない。それは私のではないからだ。私はそれを捨てる」ということである。

つまり、これは「わたしは悔い改める」という意味であり、「それを私は認めない。それを私は憎む。それを私は捨てる」と言って、その罪を自分の外に追い出して捨てるのである。本当の自分は、神を愛して神の御国を求めている。パウロは、自分の犯す罪が自分に本当の意味で自分に属していると認めることを拒んでいるのである。

実際、私たちには、心の中の罪との戦いや生活の中の罪との戦いがある。完全な者になったというわけではないからである。罪をたった一度だけ悔い改めたのなら、もう完全に罪のない者になれるとしたら、私たちはそれほど深く愛を求め、義を慕い求め、御国を求める心を持つようにはならないであろう。それ故、神は、様々な訓練を通して私たちが成長して完全に向かうように導いてくださるのだ。神の似姿として、神の栄光を表わすことができる者になるよう、私たちが罪と戦うように神は導いてくださっておられる。そして、私たちが、自分の心の中にある罪の意味の深さを悟るように導いてくださるのである。それによって私たちは、主イエス・キリストを信じる信仰の意味とその大切さと素晴らしさを真に知ることができるようになるのである。

神は、毎主日、礼拝に私たちを招いてくださる。私たちは、その招きに応えて「神が私を愛してくださっている。神の恵みにより、キリストの十字架の死と復活によって、私は救われます」と告白して、その恵みに感謝の心をもって立ち上がるのである。感謝の心に立ち返って、再び立ち上がった私たちを神はまた送り出してくださる。そして、私たちは神の愛を覚え、感謝の心に戻って、新しい日々を歩むのである。