2023.8.6 の週報掲載の説教

2023.8.6 の週報掲載の説教

<2023年6月11日の説教から>

『心で信じて、口で告白する』
ローマの信徒への手紙10章5-13節

牧 師 鈴木 美津子

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。(9)」

なぜ、心で信じるだけではだめなのか。口に出そうが出すまいが、信じていればよいではないのか。しかし、口に出さずに心だけで信じることを保っていけるほどに、私たちの心は確かではない。だから、信仰を告白するというとき、その告白した事実こそが私たちの信仰を守るのである。
ここで「公に言い表す」と訳されている言葉は、もともと「同じ」という言葉と、「言う」という言葉から成り立っている。すなわち、告白するとは、「同じことを言う」ことだということ。告白とは、順境であれ、逆境であれ、どのような状況、どんな境遇にあっても、その生涯、一つの同じこと「イエスは主である」ということを、言い続けていくことである。そのことが、私たちの揺れ動く人生を、そして価値観をつらぬき導く一筋のまっすぐな道となっていくのだ。
また、「同じことを言う」、というのは、主イエスにあって結び付けられた者たち、すなわち教会の兄弟姉妹たちと同じ信仰を語り合い、分かち合う、ということでもある。キリストの体なる教会に連なる者として、同じ信仰の告白を通して、結びついていく、ということである。一人一人は、それぞれに生きてきた環境、置かれている立場は様々である。しかし、「イエスは主である」という告白において、一つ、その拠り所とする人生の土台において、一つである。そして、信仰の歩みも、皆で一つとなって、共に祈り合い、支え合って歩んで行く。ですから、キリスト者のこの地上の旅路、御国への旅路は、決して孤独な歩みなどではない。主と共に、また愛する人々と共にあるからだ。
イエス・キリストの救いは、人種や民族や国籍の壁を越えて、イエス・キリストの名を呼び求めるすべての人に与えられる。神は、主イエス・キリストの名を呼び求めるすべての人を豊かに恵み、救ってくださる。ですから、私たちは主イエス・キリストの名を呼び求める礼拝において、また「イエスは主である」と告白する礼拝において、主の恵みと救いを豊かにいただくことができるのである。