2023.8.27 の週報掲載の説教

2023.8.27 の週報掲載の説教

<2023年6月25日の説教から>

『恵みによって選ばれた者』

ローマの信徒への手紙11章1節~10節

 
牧師 鈴木美津子

 
神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした(2a)」

列王記上の19章に記されているとおり、イスラエルの中からバアルにひざまずかなかった七千人を、神はご自分のために残しておられた。まことの神である主を退け、バアルに従っていったイスラエルであったが、そのような中にあっても、神は選びの民であるイスラエルになお七千人の人々を残しておられたのだ。
神は「残りの者」と呼ばれる者たちをとっておくことで、イスラエルを完全には退けることをなさらなかったのだ。しかも、パウロによれば、エリヤの時代に残された七千人は、バアルに膝をかがめなかった報酬として、残りの者とされたのではない。そうではなく、神が恵みによって七千人を残してくださったからこそ、彼らはバアルに膝をかがめなかったのである。パウロはこのことを受けて、「同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っている(5)」と語る。エリヤの時代も恵みによって選ばれたからこそ、七千人がバアルに対してひざまずかずに残されたが、今の時代も同じように恵みによって残されたイスラエルが、神が遣わされた主イエスをキリストとして受け入れているというのである。
ユダヤ人キリスト者の数は、当時の全ユダヤ人に比べれば少数にすぎない。それは、エリヤの時代に残された七千人と同じくらい少ない人数に違いない。しかし、この少数の選びが、やがて終末の時には全イスラエルの救いの発端とされているのである。
このようにして、大多数のイスラエルが追い求めていた「神の義」は、返って彼らが異端としていたユダヤ人キリスト者によって獲得されたのである。それも律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって、神の義を得ることができたのである。そして、その反対に行いによって義を得ることのできなかった大多数のイスラエルは、ますます心を頑なに閉ざし、福音に耳を傾けなくなってしまった。なぜ、ますます頑なになってしまったのか。それはわからない。しかし、神はご自分の民とされた者たちを見捨てられることはない。今は、神が残りの者を恵みによって選ばれたことを通して、全イスラエルの救いの約束を実現しようとしておられるのだということを心に留めておきたいと思う。