2023.11.12 の週報掲載の説教

2023.11.12 の週報掲載の説教
<2023年9月3日の説教から>
『隣人を自分のように愛しなさい』
ローマの信徒への手紙13章8節~10節
牧 師 鈴木美津子
この「隣人」とは、一体誰であるのか?それは、私たちの助けを必要とする「すべての人」のことである。「人を愛する」こと、「隣人を愛する」こと、そのどちらも「すべての人を愛する」ことを意味している。また、この戒めは、自分を愛していることを前提としている。イエス様は、山上の説教の結論として、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である(マタイ7:12)」と言われた。キリスト者が行う具体的な愛の基準は、「キリスト者が自分を愛して、自分に悪を行わない。そうであるならば、キリスト者は隣人に対しても自分が人にしてほしくない悪を行わない方が良い。自分が人に同じことをされたら、どう思うであろうか」と、いうことである。

しかし、私たち人間にこの基準を満たすことはできない。なぜなら、私たちは必ずしも自分自身を愛しているとは言えないからである。却って、自分のことを憎んで、自分を破滅させるようなことを行ってしまうことさえある。

しかし、ここで言われている「愛」は、神の愛・アガペーである。私たちが本当の意味で自分を愛することできるのは、神が私たちのために、私たちを愛するが故に、ご自分の愛する御子イエス・キリストを十字架の死に引き渡してくださったことを知ったことによってである。主イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださった。そのことによって、わたしたちは神から愛されていることを知って、その神の愛を聖霊において心に注がれ、私たちは自分を愛することができる者とされる。そして、その愛で、隣人を、そしてすべての人を愛することができる者とされる。その真の神の愛で、自分を愛し、隣人を愛して生きるとき、私たちは律法を全うしているのである。なぜなら、神の愛の掟は、神の愛でしか満たすことができないからである。神の掟である十戒は神に対する愛と、隣人に対する愛とに要約される。言いかえれば、律法を守るということは、愛を実践することであり、愛を伴わない律法の実践は無意味で空しいことなのである。

愛は律法を全うし、愛だけが神の御心を全うすることができるのである。