2018.08.19の説教から

       <819日説教から>
     『天地創造のはじめから
       マルコによる福音書101節~12
                          牧師 三輪地塩
 1世紀当時のユダヤ教には「シャンマイ派」と「ヒルレル派」という有名な派閥があった。シャンマイ派は、保守的で旧約の律法に厳格であり、離縁は絶対に禁止、という立場を取っていた。これに対しヒルレル派は、柔軟で穏健な立場をとっており、婚姻に関しては自由主義的・ラジカルな考え方をしていた。離縁については、場合によっては積極的に勧める事もあったようである。ここにある「モーセは離縁する事を許しました」という立場はシャンマイ的な立場と言える。
当時のユダヤ地方は、この二大派閥が結婚・離婚問題について激しく論争していたと言われる。つまり今日の箇所でファリサイ派が狙っていることは、「イエスを罠にはめ、どちらか一方の立場を取らせ、それによって他の派閥を遠ざけようとしていた」ということである。マルコ福音書に出てきた洗礼者ヨハネは、ヘロデ王の結婚問題を非難したため、首をはねられてしまった。ファリサイ派とヘロデ王は蜜月関係にあったので、下手に答えれば、イエスに身の危険が迫ってしまうのであった。
 この質問に対するイエスの答えは、彼らが予想したものではなかった。イエスは、どちらの立場も否定しなかったからである。裏を返せば、どちらの意見も尊重した、のであった。離縁して良い、というモーセの律法は、積極的に用いられるべきルールではなく、我々人間の罪の故に、やむなく制定されたものであると言うのがイエスの答えであった。つまり、モーセの律法は正しい。しかしモーセは積極的に離婚を推奨しているのではなく、あなたがたに罪があるから、モーセはやむなく離縁してもよい、と言っているのだ。
 どちらの立場も尊重する、というイエスの姿勢は、「イエスの名によって悪霊を追い出した者」に対し、「やめさせてはならない」「私たちに逆らわない者は、味方である」というイエスの言葉を彷彿とさせる。今日の箇所でも、天地創造の秩序をもとに、お互いの意見や立場を受け入れなさい、と語るイエスの穏健な語りを感じる。

2018.07.29の説教から

729日の説教から>
一杯の水を飲ませてくれる者は
        マルコによる福音書938節~41
                         牧師 三輪地塩
 イエスの名前を使って悪霊を追い出している人を見たヨハネは「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」と憤慨して言った。ヨハネは「主イエスに」ではなく「わたしたちに従わないので」と言っている。ヨハネは「イエスの名を使うなら、専売特許を持つ「我々12弟子に」許可を取る必要があるのだ」と言っているようでさえある。この自負心は「キリスト教会」にも起こりうる。これまでやって来た苦労、経緯、誇り、努力などが重なるほど、我々には自負心が生まれる。「我々はクリスマスに年に一度しか現れない、にわか信者とは違うのだ」とか、「教会のイベントやコンサートなどの時にしか来ない人たちとは違うのだ」という「誇り」や「自負心」が我々を取り囲みやすい。このようなヨハネ、ひいては我々に対して、イエスは「やめさせてはならない」「にわかファンでもいいじゃないか」と語るのである。
 我々は、何かの集団を作るとき、内側と外側という領域を作り、イエスの名だけを語る偽物と、正統な我々、という構図を明確にしたがる。だがイエスは「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と言う。この思いが極端になるとき、「自分たちに従わないので、私たちの基準に達しないので「排除」しましょう」という思考になる。まさにイエスの十字架はそのような思考構造の中で起きたことであった。
 今から2年半前に、フランス「シャルリー・エブド社」が、ムハンマドの強烈な風刺画を掲載したことで社員数名が射殺されるというテロ事件が起こった。単純に語る事は出来ないが、しかし一つだけ言えることは、この事件には深すぎる「自己(中心的)愛」があるということだ。「自己偏愛」と言ってもよい。自己や、自己の集団・信仰を愛するがあまり、その枠を超える言説を認めることができなくなる。それがこの事件に繋がったのではないかと思う。
 イエスの「逆らわない者は味方である」という言葉は、人間が、自己中心的偏愛から解き放たれ、自己と他者の垣根を越える世の構築を予期させるのである

2018.07.22 の説教から

722日の説教から>
この子供の一人を受け入れる者
        マルコによる福音書930節~37
                       牧師 三輪地塩
 イエスが弟子たちに「途中で何を議論していたのか」と尋ねのは、彼らが「誰が一番偉いか」について議論し合っていたからであった。彼らはイエスの思いとはかけ離れた価値観にあった。恐らく彼らも、誰が一番偉いかという事が本質的なものではないことは何となく分かっていたはずである。だから「黙っていた」のであろう。
この弟子の姿を見たイエスは、12人を呼び寄せた。「一番先になりたい者は、全ての人のあとになり、全ての人に仕える者になりなさい」。この言葉には信仰の本質が示される。イエスは、偉さの概念を、大きさや、立派さの中にではなく、身の低さ、謙虚さ、自己否定の中に示された。
 興味深いことに、イエスは「一番の弟子になって良い」と言う。イエスが言う「一番」は、人を出し抜いて奪い取る一番ではなく、仕える事による一番であり、人のために行なうことの一番である。イエスは謙虚さを求める。しかし、ただ控えめな謙虚さや引っ込み思案ではなく、「積極的な謙虚さ」である。弟子たちが「誰が一番偉いのか」について語っていたのは「ただの積極性」であった。イエスの求めは、「積極的謙虚さ」であった。イエスは「子ども」を引き合いに出し「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」。と語る
 当時の子どもは「弱さ、無力さ」の象徴であった。政治的・経済的・軍事的に、人数として数えられるのは「成人男性」であり、女性・子供は、公の場に出ることが無かった。そのような小ささ、弱さ、無力さの象徴、である者たちを受け入れる者こそ、一番偉いのだ、とイエスは言う。
 現代も同じ響きを持って語られる、「現代社会の中で小ささ、弱さ、無力さを持った人」、さらに「蔑まれている人、軽蔑されている人、迫害されている人、虐め、虐待を受けている人」に対し、「私の名のために、その『小さく、弱く、蔑まれた人』の一人を受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」。この言葉は真実である。

2018.07..15 説教

715日の説教から>
『信じる者には何でもできる』
        マルコによる福音書914節~29
                       牧師 三輪地塩
 
癲癇(てんかん)を持つ子の父親が、イエスの弟子に癒しを求めたが、癒すことは出来なかった。イエスは弟子たちに対し「何と信仰のない時代なのか」と、癒やせない事が「不信仰によるもの」と述べている。
だが、弟子のみならず、この父親も信仰と不信仰の狭間にいたのであった。22「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助け下さい」と彼は言う。「おできになるなら」という言葉から、父親の思いを読み取る事ができる。彼の「もし出来れば」は、「弟子たちが出来なかったのだからこの人もできないのではないか?」という、疑いと迷いの表われである。
だが、これを聞いてイエスは言う。「『出来れば』と言うか。信じる者には何でも出来る」。ここに信仰の本質が表現される。絶望をもってキリストを信じるか、希望を持ってキリストを信じるか。ここに我々の信仰のあり方が問われている。
 この主イエスの言葉に対して父親は「信じます。信仰のない私をお助け下さい」と答えた。これはとても逆説的な言葉である。「信じる」と言っておきながら「自分は信仰が無い」とも言っているからである。一見すると矛盾しているようにも感じるがそうではない。我々の多くが、信じることと信じられないことの中にいるからだ。この父親の姿はあたかも我々の姿を投影するかのように描かれる。彼は、イエスのもとに息子を連れてくるほどの信仰を持ちながら、しかし尚も「もし出来るなら」と、疑いを隠し切れない不信仰を持っている。そして我々こそが、この父親のように、信仰と不信仰との狭間を、葛藤と共に歩むのである。時には堅い信仰心を持って、しかし時には疑いを持ちつつ、そうして練られて鍛えられた鋼のように、いつしか信仰は鋼鉄のように堅く確固たるものへと変化していくのである。
 
 

2018.07.08の説教から 

 
78日の説教から>
『モーセ・エリヤ・キリストの栄光』
        マルコによる福音書92節~13
                      牧師 三輪地塩
     
 山上でキリストの変貌を見たペトロは「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」と提案した。仮小屋を建てようとした理由は明確ではないが、これを「栄光の保存」という言葉に置き換えることができよう。記念碑を建て、永遠にこの栄光を保存したいという欲求である。
 筆者は記念碑を否定するつもりはないが、「記念碑の建立」という作業は、我々人間にとって、「瞬間の切り取りと保存」という意味を持っている。パリの凱旋門はナポレオンがオーストリア帝国とロシア帝国を打ち破ったアウステルリッツの戦いの戦勝記念として1836年に建てられた。だが完成する15年前に、彼は既にセントヘレナ島に幽閉されそこで非業の死を遂げていた。なんとも皮肉なことである。
 記念碑とは、まさにこのような一瞬の出来事、輝かしい事柄の保存、という意味はあるが、逆に「その意味しか無い」とも言えるだろう。つまり「永遠ではない」のである。その人の素晴らしく立派な行いとその生涯を、一瞬だけ切り取ったとしても、その一瞬は、その人自身のすべてを表わすものではないのだから。
 つまり「キリストの栄光」の瞬間を留めたとしても、キリストの生涯にとって何の意味もないのである。キリストは、美しく煌びやかで輝かしい生涯を送ったのではない。彼の存在の意味、意義、理由、性質においては、まことに輝かしい神の独り子であり、「肉をとり言葉となった神」である。だが、その栄光や輝かしさには「十字架」がない。キリストは美しく死んだのではなく、謂われのない罪に問われ、人間社会において「法的に正しく裁かれ」死んだのであった。その「正しさ」は、正に人間の罪における「正しさ」でしかなかった。人間の正義がまやかしであることを示したのがキリストの十字架である。そこには輝かしさはない。だがそれがキリストであり、我々は、そのキリストの痛みと苦しみによって生かされているのである

2018.07.01 説教から

        <7月1日の説教から>
         『キリストに従う者は』
       マルコによる福音書8章31節~9章1節
                         牧師 三輪地塩

 ペトロはイエスを「わきへお連れした」というのは「子
供や病人を世話するために連れて行く」というニュアンス
の単語である。又「いさめ始めた」というのは、これまで
イエスが行ってきた、「悪霊や嵐を叱った」時の「叱る」
と同じ語である。つまりペトロは、「主イエスを諭すため、
叱りつけるために、わきへ連れて行った」のである。彼は
「あなたはキリストです」と告白した。だがその彼が、イ
エスの十字架を否定し「そんな事を言ってはいけません」
と諭している。換言すれば、ペトロはイエスの上に立ち、
主導権を握ろうとしていたとも言える。神の上に立とうと
する時、神からの叱責がある。それがイエスの叱責である。

 あのモーセが、シナイ山で十戒を授かった時、彼が帰っ
て来ないことを心配した麓の民らは、それぞれ所有する金
を集め、金の子牛を鋳造した。金の子牛は当時の周辺諸国
で信奉されていた神の姿であった。印象深い神の姿。彼ら
はヤハウェの神を、自分たちの知る神の姿に矮小化させた
のである。まばゆい黄金の輝きに照らされる理想的な神の
形。「目に見えるようにそれを作った」のであった。
 
 イエスを「いさめた」ペトロは、この金の子牛の鋳造に
も匹敵する「神の姿の矮小化」を行なっている。マルコ福
音書は、弟子たちの無理解が一つのテーマであるが、それ
は人間という存在そのものの無理解を示しているだろう。
 
 ペトロの言葉の裏にあるのは、「自分自身」である。「メ
シアには、私(ペトロ)の思うように歩んでほしい」とい
う彼の願いが先行したため、イエスをいさめたのである。
だが、神の計画には「十字架の苦難」があった。痛みと苦
しみがあった。メシアを待ちわびる者たちが予想だにしな
かった救世主の姿である。だが、イエスにとっては通らね
ばならないプロセスであった。目を背けてはならない道筋
であった。それを取りのけて下さいと願う、ペトロの思い
は良く分かると共感できる。だが、神の計画のプロセスに
十字架は不可欠であった人間の思いを超えて、神の思い
が働く。それがイエスの叱責の意味である。